目的のものは追加し、削除するべきところは取り払った。

これで、クライアントも満足してくれるはずだ。なのに、どうも気分が晴れなかった。

 

 広げっぱなしにした設計図を片づけ、定規やらペンやらを鞄にしまう。

テーブルと椅子を元通りに戻すと、開放されている窓を閉めに向かった。

 

 だが、すぐに閉めることなく、

アストの視線は、先ほどまでトランディスが眠っていた場所に向けられていた。

しかしすぐに外し、気にしていないかのように窓を閉めた。

いや、本当は気になるのだが、今更遅すぎると思って止めてしまった。

 

 

(頬、大丈夫だったのだろうか……)

 

 

 相当酷く叩いてしまった。

その証拠に、その音が部屋中に広がっていた。

相手が部屋を出てからも、いい気にはなれなかった。

 

 どことなく重い足を引きずりながら、アストは階段を1段ずつ下りていく。

アベルのカプチーノとクレアのベイクドチーズケーキを食べれば、

少しは気分がよくなるだろうと思いながら、

カウンターにいるであろう者達に声をかけようとしたが――。

 

 

「おう、アスト、お疲れさん」

 

 

 いつもと違う人物が立っていることに、アストは思わず階段を踏み外しそうになった。

思わず、本来そこにいるであろう者達を探したが、その姿が見当たらない。

 

 

「な、な、何でそなたがそこにおる!?」

「何って、店番だよ。2人とも、スフォルツァ嬢にケーキを届けに行ったからな」

 

 

 刑事がカフェの店番をするだなんて聞いたことがない。

もう閉店近くだからということもあって、客が少ないのが唯一の救いだ。

さらに言うなら、彼の同僚や上司がいなかったこともだ。

 

 しかし、店主が2人ともいないのであれば、

ご褒美のカプチーノとベイクドチーズケーキはお預けのようだ。

アストは1つだけため息をつくと、カウンターに向かうことなく、玄関へ向かって歩き出した。

 

 

「おい、座っていかないのか?」

「アベルもクレアもいないんじゃ、寄っていく必要などない。2人が戻って来たら、お礼言っておけ」

「俺が淹れると言っても、帰るのか?」

 

 

 ドアノブにかけた手が、思わず止まってしまう。

そして勢いよく、トランディスの方へ視線を動かす。

そこに見えた顔は、予想通りの反応に満足している用に見えた。

 

 

「今、何と言った?」

「俺が淹れるって言うんだよ。こう見えても得意なんだぜ」

「信じるものか。今まで、コーヒー1つ淹れるのでも面倒臭いと言っていたではないか」

「あの時は、お前のご自慢のエスプレッソメーカーを使うわけにはいかなかったからだ」

 

 

 どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、アストは徐々に分からなくなってきていた。

だが、表情からして、きっと自信があるのだろう。

彼女は断念して、玄関から離れ、カウンターの、いつも座っている椅子へ腰掛けた。

 

 

「カプチーノとベイクドチーズケーキでよかったんだよな?」

「ああ……って、まさかそなた、ベイクドチーズケーキまで……!」

「まさか。クレアがお前の分にって、残していったんだよ」

「な、何だ、そういうことか……」

 

 

 安心したような表情に、トランディスは思わず笑ってしまいそうになったが、

カプチーノを入れることの方が先だと思ったため、

いつもアベルが使用するエスプレッソマシーンの前に立った。

 

 真剣な、でもどこか楽しそうな表情を見せるトランディスを、

アストは相手に気づかれないように、横目で眺めていた。

まるで、本物の店員かのような手つきに、思わず感心してしまいそうになる。

 

 

(これだけ見れば、いい男だけですむのにな……って、何を考えているのだ、余は!)

 

 

 ふと浮かんだ言葉に、アストははっとなって、気づかれないように首を左右に振る。

必死になって視線をそらすが、気になって元に戻してしまうあたり重傷だと思う。

 

 

(帰りたい……)

 

 

 こんな気持ちになるのなら、断るべきだった。だがどこかで、

誘ってくれたことが嬉しく感じてしまうのはなぜだろうか。

 

 

(仕方がない。付き合ってやるか)

 

 

「ほら、出来たぞ」

 

 

 コトッという音と共に、アストはすぐに我に返る。

目の前には、小さな湯気を出したカプチーノが置かれている。

 

 

「アベルの味に勝てるかは知らんが、結構自信あるんだ。飲んでみてくれよ」

「……不味かったら、タダではすまないからな」

 

 

 少しだけ睨みつけ、出来たてのカプチーノが入ったコーヒーカップを持ち上げる。

口に含めば、とても香ばしく、そして優しい味が広がっていく。

自然と、体がぽかぽかと温かくなる。

 

 

「どうだ? 美味いだろ?」

 

 

 自慢げに微笑む顔に、一瞬、アストは悔しくて、また睨みつけようとした。

だが、ここから感じるトランディスの優しさに、その気も失せてしまった。

 

 

「……すまなかった」

 

 

 ポツリと呟いた声に、トランディスは一瞬顔を顰めた。

 

 

「さっきは、その、すまなかった。頬の痛みはどうかえ?」

「そりゃあ、もう、スゲー痛かったぜ。お前も本当、手加減というものを知らないヤツだな」

「あの時は、ちょっとその、荒れていて……」

「ああ、分かってる。だから、気にするな。ほれ、ご希望のベイクドチーズケーキだ」

 

 

 冷蔵庫から取り出されたからか、

ベイクドチーズケーキが盛られたお皿はひんやりとして気持ちがいい。

飾り付けも、毎回崩すのが勿体無いと思ってしまうほどの繊細だ。

 

 口に運べば、しっとりとして、まろやかな味わいが口の中に広がっていき、

思わず顔が綻んでしまうほどだった。

その表情を、トランディスは見つめながら、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 本当のことを言うと、トランディスは自分でコーヒーなど淹れたこともなく、

エスプレッソメーカーも、もちろん使ったことなどなかった。

だが、アストをイラつかせた原因が自分にあるとクレアに言われたため、

とりあえず仲直りをしなくてはいけないと思って、アベルに使い方を教えてもらったのだ。

そして、アストは気づいているかどうか知らないが、ベイクドチーズケーキの飾り付けも、

クレアに教わって、何とか見本通りに作り上げたのだった。

 

 

「……トランディス」

「ん?」

「本当、すまなかった。……ありがとう」

「あ、悪い、最後の言葉が聞こえなかった」

「何じゃと!? もういい。二度と言ってやるか!!」

 

 

 

 

 言葉とは裏腹に、どことなく嬉しそうな顔を見せるアストに、

トランディスは満足したかのように微笑む。

 そんな2人を、暖かな夕日が包み込んだのだった。

 

 

 

 











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