『相変わらず大変だな、わが主よ』
「もういいわよ。ここまで来ると、どうでもよくなって来たわ」
電動加熱機に水と茶葉の入ったポットを置いて、胸元にしまっていた小型機械の画面に出ている「光」と話していた。
相手は一応「男性」らしい。
「アベルはアベルで、ヴィエナの任務を終えて来ているのだから、疲れは多少あるはずだからね。
今日はこのまま、何もなければいいんだけど」
『そうだな。……わが主よ』
「ん〜?」
『ポットが危険だ』
「えっ? ……わー! 沸騰してる〜!!」
慌てて電動加熱機の電源を消し、ポットから携帯用のティーカップに紅茶を注ぐ。
一口飲んで、安心したようにため息をついた。
「ハ〜、やっぱ、アルビオンの紅茶は美味しい〜」
『そんなにまずかったのか、先ほどの紅茶は?』
「うん。ま、こういうところのって、大体そんなもんよ。ローマから道具を一式持ってきて、正解だったわ。アベルにも持って行こうかしら?」
『そうするといい。“クルースニク02”は、汝の紅茶が好きだそうだからな』
「ミルクは持って来てないけど、角砂糖なら持って来ているし。ちょっと行って来るわ」
『了解した』
は小型機械の電源を切ると、それを胸元にしまい、
ポットと角砂糖、近くにあった紙袋、もう1つのティーカップを持って部屋を出ると、
少し離れたアベルの部屋のドアをノックした。
相手は紅茶を見て喜んだように笑顔になると、歓迎するように部屋に入れた。
瞳の奥がキラキラ輝いている。
「実は今、エステルさんからピーナッツ・バターのサンドイッチを戴いたんです。もう、ありがたくてありがたくて」
「相変わらず、貧乏しているわけね。……はい、これも少し足しにして」
「お〜っ! これは、さんの特製マドレーヌじゃないですか!!
おお主よ、生きていれば必ずいいことも起こるものなんですね〜!」
アベルが嬉しそうに紙袋の中のものを食べると、は近くにティーカップをおき、そこに紅茶を注ぎ淹れた。
角砂糖を13個入れると、すぐにゲル状になってしまうのが少し勿体ないと思ってしまうのだが。
「はい。アルビオンの積み立てダージリンよ」
「ありがとうございます! ……ん〜、やはりさんの淹れてくれる紅茶は最高です!」
「そう言ってくれると嬉しいわ。ありがと」
が満足そうに微笑むと、先ほど飲みかけていた自分の紅茶に口をして、周りを見回してみる。
どうやらここも、と同じ状態らしい。
しかも、北枕だ。不吉すぎる。
「それより……、随分錆びれた街ね」
「ええ。それも、例の方のせいかもしれませんね」
「たぶんね。……さっきトレスから連絡が入って、今日、“帝国”から戻って来るみたいなの。
彼はそのまま一緒にいるみたいだけど、今夜あたり、来そうな気がして」
「ここに、ですか?」
「ええ。……あまりそう考えたく、ないんだけどね」
出来ることなら、アベルをゆっくり休ませてあげたい。の頭に、その言葉が横切った。
今回のの任務は、あくまでもアベルのバックアップだ。
彼女自身が攻撃しないようにと、こうやって尼僧服を着ているぐらいなのだから。
「……また、心配事ですか?」
「え?」
「さんの考えていることは、大体分かってますよ」
「……やっぱ、あなたには隠せないようね」
諦めたように苦笑すると、アベルがそっと、彼女の髪に触れ、そのままそっと撫で下ろした。
「大丈夫です。ここに来るまでに、十分休みましたし。ほら、見て下さいよ。このピンピンな体を」
「一瞬、ひ弱そうに見えるのにね」
「ええ、実際そう……、って、そんなこと言わないで下さいよ〜」
アベルの情けない声に、は思わず笑ってしまう。
けどそれが彼の望みだったのか、彼はそんな彼女を見て、安心したように微笑む。
「ま、今回はバックアップ役だから、細かい雑用とかは任せなさい」
「よろしくお願いします。……さん」
「ん?」
「さんがその格好すると、やっぱ柔らかい感じがしますね」
「僧服だと、ゴツゴツしているものね。アベルはそっちの方が好きだって、前言ってたじゃない」
「そうですけど、こちらもこちらで、私は好きですよ」
「……そういうこと、平然と言われると恥ずかしいわ」
少し顔を赤らめたを、アベルが微笑ましく見つめている。その姿は、彼女のことを何もかもお見通しといった感じだった。
そんなほのぼのとした時間が、ずっと続くと思っていた。
……教会に、1人の吸血鬼が現れなければ。
下がバタバタする音が聞こえたのは、ちょうど2人が紅茶を飲み終えた時だった。
「何かあったんですかね?」
「分からない。調べてみるわ」
は胸元に閉まっていた小型機械を取り出すと、すぐに電源をつけ、プログラムを起動した。
画面に、先ほどの「光」が出現すると、彼は早口で2人に言う。
『わが主よ、“クルースニク02”、聞こえるか?』
「聞こえているわ、スクルー」
「一体、何が起こったのですか、スクラクトさん?」
『礼拝堂に、例の吸血鬼の仲間が進入し、ほぼすべてのシスターと神父がやられた模様』
「そんな! どうやって!?」
「とにかく、下に行きましょう。……と言っても、階段を使って……って、え?」
「アベル、どうし……、へ?」
2人が同時に立ち上がったからなのか、床がギシッと音がして、そこからヒビが一気に広がっていった。
「ちょ、ちょっとこれって……」
「……さん、しっかり捕まって!」
「捕まってって……、きゃあ!」
ヒビから隙間が現れ、2人は一気に下に落ちていく。
は慌ててアベルにしがみ付いたが、1階の床に激突すると察知してか、すぐに身を翻し、安全な場所に着陸しようとする。
が、実際、その安全な場所というのが、アベルの真上に尻餅の態勢で着陸することだと言うことを、
彼女は相手が鼻血を出した時に気づいたのだった。
「キャー! アベル、大丈夫!?」
「な、何とか……。いっ…ってー……。古いにもほどがありますよ、この教会……」
アベルは鼻血が出ている鼻を抑えながら言うと、そこは丁度礼拝堂だったらしく、
目の前には例の吸血鬼と、その吸血鬼に首をしめられているシスター・エステルの姿があった。
「神父様! さん! 来ちゃダメです! 逃げて……」
「神父……? ……ふーん…」
「こいつは…――、――がっ…」
吸血鬼に強く首をしめられ、手が離れた時には、エステルの意識はなくなっていた。
がその場に行くと、すぐに彼女の首元に指を当て、脈を確かめた。
どうやら、命に別状はないらしい。
「そう、あんたが例の神父か。ねずみか何かだと思ったぜ。屋根裏から登場とは、目立ちたがりの神父様がいたもんだ。
しかも、シスターと一緒にとは、ね。――てか、なにそれ?」
「へっ、ピーナッツバターサンドです〜。も〜、これだけは死守しましたよ!」
「い、いつの間に……」
が驚くのも意味ない。第一、下に落ちた時、彼の手には何も持っていなかったはず。
なのに今、彼の腕の中には、エステルが作ったピーナッツバターサンドが入ったバスケットをしっかり持っているのだから。
彼の食べ物にかける執念はすごいものだ。
(私のマドレーヌも、中に入っているのかしら? ……って、そんなこと考えている場合じゃない!)
不意に意識の中に飛び込んだ言葉を首を振って取り払った時、
目の前では、例の吸血鬼が“加速(ヘイスト)”を使って、アベルに襲い掛かっていった。
「そういやジュラ様が、神父は大っ嫌いだって、よ!」
背中から伸びた骨で出来た針上のものが、アベル目掛けて飛び掛って来た。
がすぐに手助けをしようとしたが、彼は素早く、それを手で受け止めた。
「ナンセンス。一般市民相手に“加速”を使い、――まして己の種族の気高さを誇るその一方で、
見境なく血を吸うなどとは……、恥知らずにもほどがあります」
手に掴んだものを勢いよく引っ張り、それを追ってしまう。
その力は、普通の人間の持つ力ではない。
「――…あっ、ぐああああっ!」
「ご安心を。殺しはしませんよ。あなたがするのは、懺悔です」
もう1つの骨と腕を掴み、そのまま後ろに回す。
相手は痛みに苦しむ顔をしているが、事実はどうなのか分からない。
「さん、あなたはエステルさんとそこに倒れている少年を安全な場所まで連れていって下さい。ここは、私が何とかします」
「嫌だと言っても、そうするんでしょ、アベルは」
「……分かってしまいましたか」
「分かるわよ、それぐらい。……本当に大丈夫なのね?」
「もちろんです。……約束します」
「……分かった。気をつけて」
はエステルを抱えると、その場から立ち上がり、近くに横になっている少年のもとへ行き、彼も一緒に抱えようとした。
「……ん……、あなた、は……?」
「よかった、目が覚めたのね。私はシスター・・。あそこにいる神父様の……、
ナイトロード神父の連れの者よ。すぐに動ける?」
「あ、はい……。……エステルは!?」
「大丈夫、気絶しているだけよ。心配しないで。さ、行くわよ」
「……はい!」
は少年の手を取ると、とりあえず2階にある彼女の部屋まで行くことにした。
どこでもいいから、彼女を横に寝かせなくては。
「ところであなた、名前は?」
「ディートリッヒです。ディートリッヒ・フォン・ローエングリューン。ここで、掃除などの雑用係をやっています」
彼の名前を聞いた時、一瞬、の動きが止まった。
ディートリッヒ・フォン・ローエングリューン。
もし彼の名前が本当にそうなのであるとすれば、彼は……。
「……どうか、しましたか?」
「あ、ううん、何でもないわ。それより、彼女の部屋、どこなのか知ってる?」
「2階の、一番奥の部屋です。案内します。……あの、大丈夫ですか?」
「え、ああ、これね。大丈夫よ。こう見えても、結構力あるから。さ、急いで案内して!」
「はい!」
何はともあれ、とりあえず今は、エステルを安全なところまで非難させることが先決だ。
彼はどんなことがあっても助かるかもしれないが、彼女はそういうわけにもいかない。
ディートリッヒの案内で、はエステルの部屋まで行くと、彼女をベッドに寝かせる。
ここの床は安全そうなので、とりあえず胸を撫で下ろす。
「ディートリッヒ、彼女の目が覚めるまで、そばにいてあげて。私は礼拝堂の様子を見て来る」
「でも、下には吸血鬼が……!」
「私は、大丈夫。そんな危険なことはしないわよ」
「……分かりました。気をつけて」
ディートリッヒはそれだけ言うと、エステルの手を強く握り、彼女が目を覚ますのを願っていた。
不安要素はある。もし相手が彼女の予想通りの人物だとしたら、2人きりにするのは危険かもしれない。
でも今の感じだと、彼はすぐに動く気配がなさそうない。
とりあえずは保留にしておくことにして、アベルの様子を見に行くことにしたのだ
1階まで下りて、先ほどの礼拝堂へ行く。
するとそこには、事を全てやり終え、髪を黒のリボンを縛り直すアベルの姿があった。
先ほどの吸血鬼は、首筋に2つの穴を残して倒れている。
その様子を見て、は事をすべて飲み込み、彼の側へ近づいた。
「……アベルが他人のを自ら吸うなんて、珍しいわね」
「ええ……。……本当は、あまりしたくなかったんですけどね」
アベルの笑みは少し苦笑気味で、それを見るだけで、自身も少し辛くなってしまう。
彼の言いたいことが、何となくだけど読めてしまうからだ。
「……とりあえず、ここを片づけましょう。彼はケイトに頼んで、迎えに来てもらうように頼むわ。
アベルはすぐに、ヴィテーズ司教様にこのことをお話して、やられたシスターと神父様達の居場所を確保してもらうように頼んで」
「分かりました。……さん」
「ん?」
「……すみません、こんなこと、させてしまって……」
「言ったでしょ。今回の私の任務は、アベルのバックアップよ。心配することないわ」
「そうです、よね。……ありがとう」
「どういたしまして。さ、やりましょう」
「はい」
はイヤーカフスを弾いて、誰かにコンタクトを取るように話し始めると、
何かを投げかけるかのように彼女を見ながら、アベルは彼女に背を向け、
ヴィテーズ司教のところへ向かったのだった。
これは敵からの、1つの「予告」みたいなものだと、はどこかで感じていた。
、アベルと共に落ちてみました(笑)。
けど本当、コミック読んだときには、どうやってあのバスケットをゲットしたのかが謎でした。
だって、エステルが渡す前に、すでに持っていたのですから。
(今回は、が来る前にもらったことにしています)
今回、小型電脳情報機(サブクロスケイグス)とプログラム「スクラクト」の名前が出ていませんが、
あくまでも漫画版は漫画版で独立させようという考えのもとに、こういう形を取らせて頂きました。
まぁ細かいことは、2巻でいろいろ語ることにしてあるのでごうご期待、といったところです。
(ブラウザバック推奨)