「ああ、そうそう。ところでセニョーラ・クリスタ。あなた、どこかでアルフォンソ・デステを見かけませんでした?」




 が不信感を抱いている一方、当のアントニオはクリスタの方に手を回し、落ち着かせるような声で彼女に問い掛けていた。




「あの男を人質に取れば、うまく脱出出来るかも。……城のどこかで見かけられませんでしたか?」

「さあ、ひょっとしたら見かけたかもしれませんが、私、あの方のお顔はご存知ありませんので。ごめんなさい、お役に立てなくて」

「いや、いーんですヨ。……おっと、着いたかナ?」




 開かれた格子戸から見えたのは、居心地よさそうな詳細だった。壁の棚と暖炉の前にいたのは……。




「下が騒がしいな。……何かあったのか、フリードリッヒ?」




 机の前で何かを話し合っていた2人のうちの1人が振り返ると、その場にいる人物を見た瞬間、

皺深い顔に驚愕と狼狽を浮かべて顔を上ずらせる。




「き、貴様は!?」

「ようやく再会出来ましたわね、アルフォンソ・デステ元大司教……」




 が目の前にいる男――アルフォンソ・デステに向けて言うと、

相手は傍らで無表情に頭をあげたもう1人の男を盾に取ってあとずさっていた。

相変わらず、1人では何も出来ない男だ。

はふとそう思いながらも、言葉に出していうことをやめ、盾にしている男の顔を見た。



 ……もしかして、あれはまさか……!




「き、貴様ら、一体どこからここに――」

「おっと動かないで!」




 アベルやが銃を抜く前に、アントニオが警告の声を発すると、小銃を目の前にいる2人に向け、勝ち誇ったように叫ぶ。




「主は己を助ける者を助ける……。ボクら、何て幸運(ラッキー)なんだろう、アベル君、君! 

探しモノがこんな形で両方とも見つけられるなんて!」

「両方とも? それじゃあ――」

「やっぱり、彼が“智天使(ケルビム)”!?」




 アベルの言葉の先をが先に言う。確かに彼は、事前に見つけていたデータと同じ顔をした人物だ。




「アベル君、キミは昇降機の電源を落としてくれたまえ。下の連中に昇って来られると困るからネ。

君は、そのまま銃を2人に向けておいてくれたまえ。セニョーラ・クリスタ、貴女は“智天使(ケルビム)”をこれで縛って下さい」




 周りにいる同行者にてきぱきと指示を送りながら、小銃の提げ紐(ストリング)をクリスタに渡した。

は指示通り、目の前にいる2人に銃をかかげ続けていたが、

途中、横にいたアントニオの不可解な行動を目撃した瞬間、の銃口が2人からずれていった。




「きゃあああっ!」




 アントニオの小銃の先には、無事に“智天使(ケルビム)”を縛り終えたクリスタの姿がある。

それを見た瞬間、は全てを察知したかのように、アントニオの方を見つめた。




「アントニオさん! あなた、何やって――」

「……こんなことになって、ボクとしては非常に残念ですヨ、セニョーラ・クリスタ」




 割って入ろうとしたアベルを片手で押しとどめたのはアントニオではない。

引き続きアルフォンソと“智天使(ケルビム)”に銃口を構えなおしただった。




さん!」

「お願い、アベル。ここはしばらく、ボルジア司教に任せて」




 全てを話しても構わないのだが、相手が正体を見せた時に言った方が都合がいい。

ここはアントニオに任せ、は一歩下がる形で見守ることにしたのだった。




「さあ、三文芝居はおしまいにしようヨ。……そろそろ正体を教えてくれてもいいだろう? 

キミは一体何者なんだい、アンハルト伯爵夫人?」

「何をおっしゃっているのです、司教様? 私、おっしゃっている意味が全然分かりませんわ! 

私は私です! 正体なんて――」

「でも、キミ、さっき言ったよネ。――“アルフォンソの顔は知らない”と。じゃあ、どーして今、

ボクの指示に従うことが出来たのかなァ?」




 なるほど、そういう手で来たか。

は納得したように呟くと、珍しく尊敬したようにアントニオを見ていた。

以前、“教授”が言っていたことは本当のことだったらしい。



「“智天使(ケルビム)”を縛れって言われて、迷わず“智天使(ケルビム)”を縛ることが出来たのはどーしてかなァ? 

キミは最初から“智天使(ケルビム)”あるいはアルフォンソの顔を知っていたんだ。――違うかい?」

「……あ」




 ようやく事の状況が理解したかのようにアベルが口を開けると、咄嗟に貴婦人の方に視界を滑らせる。

その表情は、今までなぜ気づかなかったのかと言わんばかりに驚きを隠せないでいる。




「ただ、分からないこともまだあるんだよネ。てっきり、ボクはキミのことを新教皇庁のスパイか、

ボクらを煽ろうとするメディチ枢機卿の手の者かと思ったんだ。でも、それだと、

ボクらを“智天使(ケルビム)”に接近させた理由が説明出来ないんだよネ。……伯爵夫人、キミは一体何者なんだい?」

「それは私が答えます、ボルジア司教」




 アベルとアントニオが気づいたときには、の左手にはもう1挺の銃が、

フルロードモードに設置され、クリスタの前に突きつけていた。

一体、いつの間に……?




「ようやく、ご対面出来たわ、アンハルト伯爵夫人クリスタ様、いえ……、

薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ・オルデン)”階位8=3(マギステル・テンプリ)、称号“氷の魔女(アイス・ヘクゼ)”、

ヘルガ・フォン・フォーゲルワイデ!」




 の答えに、最初に驚いたのはアベルだ。

相手があのテロリストのメンバーだったことより、どうして彼女がその情報を知っているかが気になるらしい。




さん! いつの間にそんなことを!?」

「今朝、あなたが彼女と一緒にキッチンへ向かった直後、データがこちらに入ってきたの。その後、

すぐにでもあなたやトレスに伝えたかったけど、お互いに準備があって、なかなか言い出せなかったのよ」

「ってことは、最初から疑って……」

「アベル、あなた、私が薔薇の香水以外に敏感な匂いが何なのか、忘れてなんていないわよね?」




 に逆に質問され、アベルは自分の言葉を切られてしまう。

しかし、が出した質問の答えを思い出した瞬間、何かを察知したかのように言い返した。




「もしかして、あの時――!」

「そう。4日前、私が気分を害して倒れたのは、薔薇の香りに血の匂いが混ざっていたからよ」




 通常、血の匂いは頻繁に出されているものではない。

もちろん、それを押さえることも可能である。

その上、この血の匂いは普通の人間では感知しにくく、普通に横を通っても全然気にならない匂いなのだ。



 しかしそれが香水――例えば、薔薇のような少しきつめなものをつけた場合、

2つの香りが表に出てしまい、時に異臭とも思わせる匂いを引き出してしまうのだ。

その香りは、普通の人間がかめば吐き気が出るほど酷く、

場合によっては呼吸混乱を引き起こすケースもあると言われている。




「しかし君、ボクやワーズワース博士、神父トレスは、あの時何も感じなかった。アベル君もそうだろう?」

「え、ええ、まぁ、確かに……」

「それにはいくつか理由がありますが、あの時のは無意識に発していたもで、あまり大量に排出されていなかったので、

普通の人間には気づきにくく、大したダメージにならなかったからというのがあります」

「じゃ、どうして君はあの時、気分を悪くしたんだい?」

「それは……、ま、いろいろあるんですけどね」




 どうして自分だけが感知したのか。

その理由を知る権利は彼にはない。

は答えを少し濁したが、これ以上散策されないように、もう一言言おうとしたその時――。




「く……くくっ……、実に愚かよな」




 今まで蒼白な顔でわずかに俯いていたクリスタが、低くため息をするように、悪意に満ちた嘲笑をし始めた。

まるで、この世のすべてを嘲るかのように。




「せっかくこの妾が、こんなつまらぬ芝居まで打って骨を折ってやったというのに……。実に愚かだ、そなたらは」

「おっと、動かないで!」




 アントニオが鋭い警告を飛ばしたが、相手はそれを無視するかのように、

スカートの下から取り出された細長い棒を、彼が持っている小銃に向ける。




「女性を打つのはボクの趣味じゃないんだよネ。ここは大人しく――」

「「――避けて、アントニオさん(ボルジア司教)!」」




 クリスタ――あるいはそう名乗っていた女の握る棒がアントニオを指したのに気づいたのはアベルとは、

本能的にアントニオにタックルをかける。

3人は床に倒れ、かすめるように行き過ぎたモノを見ると、そこには1メートルはあろうという巨大な氷柱が、

手前にある本棚ごと石壁に深々と刺さっていたのだった。




「あのまま、このヘルガの思い通りに動いておけば、そなた達も、スフォルツァも、

無事に命を拾ったであろうに……。あたら小賢しさが命を縮めたのぅ」




 女――“氷の魔女(アイス・ヘクゼ)”が、再び小杖(ワンド)を差し伸べると、白く発光を始めた先端部の水晶を3人に向ける。

それを固唾を飲んで、床にいる者達は見つめている。




「本当は、汝らの手でスフォルツァを救わせたかったのじゃが、こうなった以上はやむを得ぬ。

この“智天使(ケルビム)”は、妾の手で直接ローマに届けるとしよう。……だから、汝らは安心してあの世に参るがいい!」










ようやく、最終目的地へ到着です。
そして香水の謎も無事に解明されました。


ちなみに、この設定は個人的に作り上げたものなので、本編とは全然関係ないです。
ただ、この匂いが普通の人間じゃ分からなく、“フローリスト”であるが分かったということは、
必然的に“クルースニク”であるアベルも分かった、ということになります。
だからアントニオへ同意する言葉が、少し戸惑ったようになっているわけです。
(結局、本文に理由が登場しなかったので、ここで付け足してしまいました/汗)






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