中庭に向かって歩く足音が、廊下中に響き渡る。照明も少し暗く、ちょっとだけ薄気味悪く感じる。



 今頃、アレッサンドロが中に入り、判決を出すのを止めているところだろう。

細かい説明は、すべてアベルに託してある。

あとは、異端審問局の動きを待つだけだ。



 結果は見えている。あれだけの証拠を持ってきたのだ。

さすがに相手も、提訴を取り消す以外、方法はないはずだ。




『……どうやら、うまく事が進んだようだな』




 静かにに響く低音が、自然との足を止める。

その顔は、少し驚いているようにも見える。




『だが、まだ詰めが甘い。まだまだ私には追いつきそうもないな』

「……何年かぶりに声をかけた『人』に、そんなこと言われたくないわ」




 空耳でないことが分かったのか、は見えない相手にクスッと笑い、

近くにある壁に寄りかかり、胸の前で腕を組んだ。



 天井から照らしているダウンライトの光が明るくなり、何かを映すかのように、目の前の壁を映し出す。

一瞬、人らしき形が浮き上がったのは気のせいだろうか。

いや、確かにそこに「誰か」いるのだが、その影がはっきりしない。



 だが、は相手の顔を知っているようで、少し懐かしそうな顔をして相手を見つめていた。

本当、彼に会うのは何年ぶりだろうか。




『情報は常々プログラム達から聞いている。もちろん、先日のことも含めてだ』

「あなた、まさか……、スクルーの代わりに説教しに来たんじゃないでしょうね!?

『そんな理由で現れたのではない、よ。……まあ、それも一理あるがな』

「やっぱり。全く、相手も考えたわね。さすがにあなたが相手じゃ反抗出来ないわ」




 が呆れたような顔をするが、相手は特に変わることなく、

むしろ当然といった態度で彼女に向かって微笑んだ。



 昔から、は「彼」に勝った験しがない。

いや、どうやっても勝てないのだ。

どんなにいい案を持ち込んでも、すぐに「彼」に破棄されてしまう。

そしてすぐに、それを上回るようなことをいとも簡単に成し遂げてしまう。

そんな「彼」に、いつもは闘志を燃やしつつも、心の中では尊敬の眼差しで見つめていた。




『何故、アベル・ナイトロードが呼びかけるまで何も動かなかった? 何か企みがあったとしか思えないのだが?』

「いつも私から呼びかけるから、たまには呼んで欲しかっただけよ。何かこう……、悔しいじゃない。負けるみたいで」

『私にはいつも負けるくせにか?』

「だから、なおさら他人に負けたくないの! お分かり!?」




 目の前の影に向かってまで、は突っ込みを入れてしまう。

本人を目の前にしていたら、さらにどっ突きも加えていたことだろう。

……その前にかわされてしまうだろうが。




「だいたい、昔からあなたは強すぎなのよ! どんなに強いウィルス作ってもすぐに破壊しちゃうし、

どんなに強い戦闘プログラムを組み立てても、平気で潰していくし!」

『それはただ単に、お前の詰めが甘いだけだ、よ』




 この突っ込みを聞くのも何年ぶりだろうか。

懐かしさのあまりに顔が緩みそうだったが、ここはとりあえず堪えることにした。




『今回は見逃してやるが、次にやった時はこれだけではそまさんぞ』

「お願いだから、昔みたいにプログラム1000個作れなんて言わないでね。本当、死ぬほど頭が重くなったんだから」

『分かっておる。もっと楽な罰を考えておく。……それより、

「何?」

『……そろそろ限界が近づいて来ている』




 相手の言葉に、自然との表情が硬くなる。

まるで、何かを察知しているかのように、目が自然と鋭くなる。




『今後、アベル・ナイトロードが何度暴走するか分からないが、今のままではそれすら受け止めることが出来なくなる』

「つまり、少しでも『力』を解放した方がいい、ということ?」

『そうだ』




 いずれ、開放しなくてはいけない時が来ると思っていた。

どんなに反発しても、それだけは避けることが出来ない現実なのも分かっている。

しかし今は、このままの力で事を終わらせたい。

出来ることなら、「あいつ」が現れるまでは使いたくない……。




『お前の気持ちはよく分かる。しかしこのままでは、お前だけではなく、アベル・ナイトロード

の身にまで危険をさらすことになる』

「それぐらいのことは分かっている。けど……」

。お前にはやらなくてはならないことがある。果たさなくてはならないことがある。

だから、ここに生きているのではないのか?』




 何かを思い出したかのように、はハッとした顔で、目の前の影を見つめた。

そして昔の記憶を手繰り寄せるかのように、あの時告げられたこと言葉を思い出す。



 そう、遠い昔に誓った、あの約束を……。






『あなたは、アベルの“フローリスト”。そのために、今自分がやれることを、考えるのよ』






 生きなくてはならない。

自分の願いを、そして、彼女の願いを叶えるためにも、

生き抜かなくてはならない。



 逃げている暇などない。

守らなくてはいけないものがある限り、

現実逃避を繰り返すわけにはいかないのだ。




「……分かったわ。時期が来たら伝えて」

『突然襲い掛かってくるかもしれないが、それでも構わないか?』

「もう、とっくの昔に覚悟を決めているから大丈夫よ」

『よかろう。……

「ん?」

『お前には私とプログラム達がいる。そして「仲間」と呼べる者達と……、アベル・ナイトロードがいる。

それを忘れるな』

「……ええ……、……分かっているわ、『父さん』」




 がそっと微笑むと、相手が少し嬉しそうに微笑み返しながら、手を前に伸ばしていく。

彼女が寄りかかっている壁までの距離は結構あるのに、

「彼」の手が優しくの頭に触れ、慰めるかのように髪を撫で、すぐに手を引っ込めた。




『もうそうやって、呼んでくれないかと思ったよ』

「あら、いつ呼ぶのやめるなんて言ったかしら?」

『名前で呼ばれ続けたら、誰だってそう思う。だが……、たまには悪くないかもしれないな』






 ダウンライトの光がゆっくりと暗くなり、照らされていた者の影が知らない間に姿を消している。

いつ消えていたのかも分からないし、そこにいたという証拠もない。

しかしは、まだ近くにいるのではないかと感じ、相手に向かって呟いた。




「……やっぱり、あなたには勝てないわね」






 誰もいない廊下に、の声だけが、静かに広がっていった。











はい、「お父様」登場です(笑)。
しかし名前が出てきてないので、まだ誰なのか分からないですね、ハハッ。
ま、「人間」ではない、ということだけ言っておきましょう。


実は今回、このシーンを書くのが一番大変だったのです。
「彼」をどうやって表現したらいいのかだけで、1日はかかったと思います(爆)。
今現在も、本当にこれでよかったかと悩んでいるぐらいなので(汗)。
もしかしたら後々変更するかもしれないので、その時になったらまたお知らせします。
とりあえず、今回はこれで我慢して下さい(大汗)。






(ブラウザバック推奨)