飛行船“タクティクス”に戻ると、はすぐに、電脳情報機(クロスケイグス)の電源を入れ、
あるプログラムを入力し、左手首につけていある腕時計指揮リストバンドについているコードを、
横に設置されてあるプラグに差し込んだ。
リターンキーを押すと、用意した紅茶を飲み、深く椅子に座り込む。
大きく深呼吸をし、心拍数を押さえていく。
『プログラム〔スクラクト〕、進入10秒前』
ゆっくり呼吸を整え、次の衝撃を待つ。
鼓動が早くなりそうだが、それが少しでも現れたらおしまいだ。
ここは必死になって、落ち着かせなくては。
『プログラム〔スクラクト〕進入5秒前。4、3、2、1……、進入開始』
カウントの声と同時に目を閉じると、一瞬からだが軽くなり、どこかに飛ばされるような感覚に陥っていく。
頭の中に何かが横切り、それが終わると、ゆっくり彼女は目を開けた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
――目の前には、格子状に緑の線で区切られた床以外は何もなく、ただ真っ暗になっているだけだった。
その中で、は軽く飛び、そのままある一定の方向に向かって飛び始めた。
しばらく飛び続けると、目の前に大きな光の塊が現れ、彼女はその前にゆっくりと立ち止まった。
光がの存在を確認し、中心部を赤く光らせ、彼女に向かってシグナルを送り始めた。
「汝よ、主である我に反応し、真の姿を、現したまえ」
塊に向かって言うの声を、相手はすぐに確認するため、色を変えつつ点滅し始める。
やがて光は姿を変え、1つの人の姿が浮かび上がった。
「こうやって会うのは久し振りね、スクルー」
『小型電脳情報機(サブクロスケイグス)が出来てから、汝は我に、こうやって会う必要がなくなったからだ。仕方あるまい』
目の前にいる光――プログラム「スクラクト」の原型がそう言い、目の前に6つの映像が流れ出した。
それは先ほど、レオンが設置した映像機によって移されているシュピルベルク城だった。
「セフィー、そっちの準備はどう?」
『万全です、わが主よ』
プログラム「スクラクト」とはまた違う声が聞こえると、映像機が映し出されている隣に、また別の4つの映像が映し出される。
そこは、どこかの室内らしい部屋を映し出し、その1つには、教皇アレッサンドロと、
彼の叔父であるアルフォンソの映像が映し出されていたのだった。
――どうやら、これらはシュピルベルク城の内側の映像らしい。
『プログラム〔セフィリア〕を中に入れたのか、わが主よ?』
「ええ。本当は外にも設置したかったけど、『彼女』は4分割しか出来ないから断念したのよ」
『外からは、“ダンディライオン”によってつけられた映像があります。なので私は、このまま城内に拠点を置き、画像をそちらに送ります』
「ありがとう、セフィー。助かるわ」
プログラム「セフィリア」にお礼を言うと、は指示を出した3人が無事に到着したかを確認するために、
城外に設置してある映像を見始めた。
修道士に変装したアベルとトレスは城の正面に繋がる門の前、
僧衣に着替えたレオンは少し離れた位置にある作業場に続く道の途中でそれぞれ待機しているようだ。
<“フローリスト”、応答を要請する>
トレスの声が聞こえ、は通じている合図をするように指を鳴らすと、
プログラム「スクラクト」に聞こえる音量で交信をし始める。
「こっちはちゃんと聞こえているわ。準備万端のようね」
<肯定。こちらの映像が見えているのか、シスター・?>
「ええ。爆破予定時刻まで、あと296秒よ。突入の準備を整えておいて」
<了解>
交信を終了すると、はすぐ、別の位置にいる同僚に交信を求めるように、再び指を鳴らした。
「“ダンディライオン”、聞こえますか?」
<おう、バッチリだ。そっちの方はどうだ?>
「今のところは問題ないわ。あともう少しで作戦開始よ。しっかりと準備して」
<おう、任せろ!>
「頼んだわよ」
今回の通信は、すべてプログラム「ザイン」によって行われている。
3人にはそれぞれ、直接「彼」を通してに通信が取れるように、いつもとは違うイヤーカフスをつけてもらっている。
そうすることで、がプログラム「スクラクト」内でも、楽にお互いに会話が出来るようになっていた。
再び、城内の映像を見始める。
最上階にある独房には、いつの間にかアルフォンソに変わり、
元派遣執行官であるヴァーツラフ・ハヴェルがアレッサンドロに何かを話している最中だった。
「セフィー、3番の音声を出して」
『了解。――第3機音声プログラム、起動(オープン)』
少しでも、彼がここに来た原因を知りたい。
そして、どうにかして彼を助けたい。
そう思ったは、プログラム「セフィリア」に指示を出すと、それに答えるように、
ハヴェルの声がその場に響き始めたのだった。
<……私はこの場所が好きでしてね。ここから見るブルノが一番美しい>
ハヴェルの声はいつものように穏やかで、心に優しく響き渡る。
これを聞いた感じでは、どう考えても、達Axを裏切ったものの声とは思えないほどだ。
<……あ! あ、あれは、な、何ですか?>
<あれは手回しオルガン(ハーディーガーディー)と言って、古くからこの辺りの農村に伝わっている楽器です>
<の、農民? じゃ、じゃあ、あの人達はお、お百姓さん達ですか?>
アレッサンドロの質問に、が思わず首をかしげた。
おかしい。
どうして彼らは、ここにいるのだろうか?
普通は村にいるはずじゃ……。
『何かに気づいたようだな、わが主よ』
の疑問に反応したのは、長年一緒にいたプログラム「スクラクト」である。
「……もしかしてとは思うんだけど、城外に教皇庁(ヴァチカン)軍がいるの?」
『その通りだ。さらに付け加えると、今回の事件により、異端審問官が2人派遣されている』
「そのことなら、ここに来る前にウィルから聞いているわ。誰なのか、分かる?」
『今、汝に伝えても構わないが、恐らく名を知れば、汝はこの場から離れるだろう』
「それって……、……まさか!」
の頭に、1人の異端審問官の名前が浮かんだ。
それを確認した上で、プログラム「スクラクト」が、彼女に報告し始めた。
『そうだ。……異端審問局副局長、シスター・パウラが動き出した』
シスター・パウラ。
異端審問局副局長で、別名“死の淑女”と呼ばれる腕の持ち主だ。
彼女が持つ2つの三日月を組み合わせたような刃を持つ武器、
鴛鴦鉞(ムーンブレイド)を含んだ暗器を自由に操ることも出来る上、
十八番である素手の戦いは、見るものを圧倒させるほどの力を持ち、過去に数百人の命を奪っていった。
そして過去に起こった、あの海賊船爆発計画の実行犯1人でもあった。
『もう1人は、ブラザー・フィリポ。飛来した鋼線の先に括り付けられた小さな刃物
――ワイヤーピックを使って相手を攻撃する上、電撃攻撃を仕掛けてくる可能性もある』
「そう……。……となると、パウラがアベルとトレス側、フィリポがレオン側に来ることになる」
『その通りだ、わが主よ』
そこまで考えた時、はハッとしたように、トレスとアベルが映し出されている方を見つめた。
パウラが持つ暗器の力はすざましく、が対戦した当初も、それに何度か追い込まれた経験がある。
それにいくら体術に富んでいるハヴェルでも、彼女の素手の攻撃に対抗出来るほどの力は持ち合わせていない。
さらに言えば、あの場にもしトレスとアベルがいて、彼女に強く反発したとしたら、
彼らも異端と見做し、一緒に抹殺されてしまう可能性もある。
『“死の淑女”は恐らく、教皇と噴進爆弾を回収後、全ての異端と思われるものを抹殺すると思われる』
「その中にヴァーツラフの存在も無きにしも非ず」
『汝の言う通りだ、わが主よ』
ここまで推測した時点で、の頭に、今回の作戦の欠点が見え始めた。
フィリポはレオンがうまくやってくれるかもしれないが、パウラはそう簡単に切り抜けられるほど楽な相手ではない。
(1回、退散させた方がいいのかもしれない……)
ふとそう思ったのだが、首を横に振って、その考えを振り落とした。
今の段階で、すべてを決定させるのは遅すぎる。あくまでも仮説だし、この通りに進むとも限らない。
(こうなったら、やれるところまでやってみるしかないわね……)
心の中でそう誓った時、横から聞こえる声に、思わず振り返った。
プログラム「セフィリア」によって映し出されたハヴェルの顔が、珍しく血の気がさしている。
その様子を理解するため、は彼の言葉に耳を傾けることにした。
<貧しい彼らには蓄えなどありません。住居を移して、餓死するか凍死するしかない。ここ数年の異常気象で、毎年、酷い冷害だったこの場所で、
農民達は飢えをしのぐため、手持ちの財産を売り払うしかなかった>
このことは、自身も前から知っている情報だった。
農民達は自分達の生活のために、最初は土地を売ってお金にして、最終的には子供までも売りに出してしまうほど、
彼らの生活は荒れていたのだが、教会側は何も対処することはなかった。
主に子供や娘を転売していたプラークの金持ちや貴族連中の弟子によって構成された上級聖職者達にとって、
自分達の不利益になることをするはずもなかったのだ。
しかし、それを放っておいた教皇庁にも問題がある。
信仰を金儲けの手段に使っていたのに、教皇庁は何も対処してなかった。
その結果として、ハヴェルは彼らを裏切ることとなり、それを全部防いだアルフォンソがいる新教皇庁に寝返ったのかもしれない。
だんだん、事の発端が読めてきた。
はハヴェルがAxを裏切った理由が、少しずつ見えてきたのだ。
(ヴァーツラフに説得するのは無理な話かもしれない。けど……、やっぱり彼を敵にしたくない)
大体ではあるが、相手の脱退理由が分かったは顔を少ししかめながら思うと、
外で待機している3人の派遣執行官に目を移した。
爆発まで、あと1分。それぞれ、準備は万端だ。あとは……。
「……何なの、あれ……!!」
作業場を移しているプログラム「セフィリア」の映像を、は唖然として見つめていた。
それもそのはず。
噴進爆弾の周りにいたはずの兵士が、飛来した鋼線(ワイヤー)の先に括り付けられた縄?によって心臓をえぐられていたのだった。
(目を離した間に、何てことを……!)
はすぐに指を鳴らすと、今から作業場へ向かうレオンに向かって叫び出した。
「レオン! 作業場に異端審問官がいて、ほとんど全滅されてしまったわ! 辛うじて1人残っているみたいだから、その子を先に助けて!」
<面倒な奴らが来たな、こいつは。ま、適当に何とかするから心配するな>
「気をつけて」
がレオンとの交信を終わらせると、腕時計指揮リストバンドの秒針を見つめた。
……あと、30秒を切っている。
「……そろそろ時間だわ。セフィー、3人が中に入ったら、すぐに後を追って」
『了解しました、わが主よ』
は顔を上げ、すべての画像に一通り目を通す。
成功する保証などはどこにもないが、成功して欲しいという気持ちの方が強くあるのは確かだ。
どちらか1つでも解決すれば、あともう1つの対策を練ってから乗り組めばいい。
あと10秒になると、は目の前で十字に切り、そして祈った。
この作戦が、すべてうまくいくように……。
そして……、レオンによって設置された100以上のコンパクト型爆弾が、一気に爆発したのだった。
プログラム「スクラクト」に潜入したのはすでに短編集にて見せましたが、
今回は指令基地的要素で使っています。
そして、プログラム「セフィリア」が初登場。主に、画像転送が専門です。
で、彼女だけは、他のプログラムとは違う呼び出し方をするのですが、それはまた後日。
パウラが実行犯と出ていますが、あの事件自体が異端審問局の仕業だったため、
はそれを止めるために小隊を動かした、と言うのが正しいです。
お互いにライバル視しているので、結構火花が散ることになるでしょう。
それは、この話の最後あたりに出てくるのでお楽しみに。
(ブラウザバック推奨)