1つの歌声が、バラ庭園をそっと包み込んでいく。

 周りに人影などないのに、まるで誰かに披露するかのようだ。



 青空に響き渡るその声は、温かく、優しいのだが、

 どことなく悲しそうだった。

 そして、何かを願っているように聞こえていた。



 自然と空気に溶け込み、そしてゆっくりと消えていく。

 そして初めて、自分の後ろにいた人物の存在に気がついた。



 だが一瞬、その人物の背に、何か大きなものが映し出された。

 太陽の光を一杯に浴びて、輝く何かを……。




?」




 その声と同時に、彼女我に返る。

 そこにいたのは、普段と変わらない姿で佇むがいた。




「あ、ご、ごめんなさい! あの、その、ウィリアムおじ様が……」

「聞いてる。と、言うか、私が彼に教えてあげてって、伝えたんだけどね」




 の側まで歩くと、目の前に立っている十字架の前でしゃがみ、

 1つの小さなリーフをそっとかけた。

 そのリーフが、まるでその下に眠る者を現すかのように、そっと微笑んでいるように見える。



 十字に切り、祈るように手を合わせ、ゆっくりと目を閉じる。

 まるで、その間だけ時間が止まってしまっているようだ。



 がこの場所に彼の眠る場所を作ろうと提案した、ということを聞いた時、

 は心の底からお礼を言いたかった。

 そして1年後のこの日になったら、絶対にこの地へ来ようと誓っていた。

 今の自分の姿を、彼に見せるために。



 そんなことを思っていた時、一瞬、の閉ざされた瞳の奥から、

 何か光り輝くものが見えたような気がした。

 きっと彼女も、この地に眠る者のことを思っているのかもしれない。

 だが自分には聞く資格などないと思い、それを奥底へと閉じ込めてしまう。




「……さ、お茶にしましょうか」




 それを知ってか知らずか、沈黙を破るかのようにの目に飛び込んできたのは、

 いつもと変わらない、あの「天使」のような笑顔だった。

 そして自分を招くかのように、中庭の中心にあるテラスへと移動した。



 テラスの中にあるテーブルの上には1つの大きな籠が置かれている。

 それがの所有物であることは、以前ミラノで見たことがあるのですぐに分かった。




「もしかして、今日はここでお茶にするんですか?」

「そう。昔はよく、ここでお茶会をしたのよ」




 に答えながらも、は籠の中身をテーブルに並べていく。

 ポットに予め水筒に入れておいた水を注ぎ入れ、携帯用コンロの上に置いて沸かす。

 その間に、レアチーズケーキといくつかのティーセットを取り出し、

 1つ1つセッティングしていく。

 その数からして、まだ何人かがここを訪れる予定になっているようだった。




「他に誰か、来るんですか?」

「アベルとウィルがね。あと、ケイトも来るって言っていたわ」




 だが、それでもティーセットと小皿の数が多いことに、はすぐ気がついた。

 どう考えても、1人分多いような気がしてならないのだ。

 のことだから、数え間違えるはずがないから、なおさら疑問に思った。




「あ、そうそう。これも用意しなくちゃ」




 沸騰したポットにアールグレイの茶葉を入れて砂時計を上下逆さにしてから、

 は再び籠に手を伸ばし、1つの写真盾を用意した。

 そこから見えた顔に、ははっとして、の方を見た。




さん、ここってもしかして……」

「ここはね、彼の定位置なの。ここから見える中庭の風景が、一番好きだからってね」




 砂時計が落ちきったのを確認し、別に用意してあったティーポットにそっと注ぎ込む。

 茶葉に浸かりすぎて、濃くならないようにするためだ。

 そしてが、いつも座っていると思われる席に座るのを見て、

 は少し戸惑ったかのように、うろうろと見回し始めた。



 きっとここは、とアベル、“教授”とケイト、

 そして、目の前に移る写真の人物にとって、大事な場所なのだ。

 そんな場所に、自分はいていいのであろうか。

 そんな場所に、部外者が立ち入ってしまっていいのだろうか。

 自分はこの場所から、離れた方がいいのではないか。



 しかし、そんなの考えを覆すような言葉が、の口から飛び出した。




「あなたの席はここよ、

「えっ?」




 が指差した場所。

 そこは写真盾の置かれている席の真横の椅子だった。




「彼はね、昔からあなたをここに招待したいって言っていたのよ。けどその前に、私とアベルとケイトが

卒業しちゃったものだから、それが敵わなくなっちゃってね」




 まるで、当時のことを思い出すかのように、

 の瞳が一瞬歪んで見えた。

 しかしそれはすぐに消え、進めるかのようにへ注がれた。



 少し戸惑いながら、ゆっくりとそこに腰掛ける。

 横の椅子にそっと触れば、まるで彼の体温に触れたかのように、胸が熱くなっていく。

 もう2度と感じることなどないと思われていた、その温もりに。



 何度この優しさに包まれたことか。

 何度写真のような笑顔に勇気づけられたことか。

 何度彼の言葉に励まされたことか。

 そして……。




「師匠…………」




 何度彼の優しさに胸を熱くしたのか、分からないほどに。




「師匠……、父さん…………」




 大粒の涙がポタポタと落ち、頬をゆっくりと伝っていく。

 本当は笑顔でいなくてはいけないのに。

本当は笑って、元気なところを見せないといけないのに。

 その言葉とは裏腹に、擦っても擦っても、涙が止め処なく流れ続けていた。




「悲しいんなら、素直に泣きなさい」




 はっと振り返った先に見えたのは、

 優しく見守るような笑顔をしただった。




「悲しいんなら、無理して堪えるのはやめなさい。おもいっきり泣いて、そして最後に笑顔を見せてあげて。

そうすれば、彼もきっと喜んでくれるわ」

さん……」

「私もさっき……、あなたの歌を聞きながら、いろんなことを思い出して、泣いていたから」




 あの時、の表情が一瞬のうちに変わったのは、

 彼に対する、1つの「感謝」の気持ちだったのかもしれない。

 その気持ちを現すかのように涙を流し、そして笑顔を向けたのだ。



 再び視線を戻し、そっと椅子に触れる。

 そして再び、涙を流し始めた。

 彼と過ごしてきた思い出、言葉、そして「謝罪」を込めて。




「ありがとう……、父さん」




 そして数分後に見せた表情は、先ほどとはうって変わって、

 今まで自分を見守ってくれたことの「感謝」を込めた満弁の笑みだった。




「ありがとうございます、さん」

「お礼を言うなら、彼に言いなさい。私が決めたことじゃないんだから」

「けど、ここに眠る場所を作ることを提案したのはさんです。……本当に、ありがとうございます」




 ここに来れてよかった。

 は心の底からそう思った。

 そうでなければ、彼の温もりに触れることが出来なかったのだから。

 そうでなければ、このお茶会にも参加することなど出来なかったのだから。




さ〜ん、お待たせしました〜!!」




 どこからともなく聞こえる声に、は視線を動かした。

 その先には、慌てた様子のアベルと、お馴染みのパイプを手にした“教授”の姿だった。




「アベルとウィリアムおじ様だ!」

「やっと来たわね、あの2人は。……早くしないと、ここにあるレアチーズケーキと紅茶、

全部と2人で平らげちゃうわよ!!」

「うわ〜〜!! それだけは止めて下さい〜〜!! って、何でここにさんが!?」

「僕が君を招待したのだよ。それが、彼の願いでもあったわけだしね」

「ああ、なるほど、そういうことでしたか〜。……って、さん! 何で私の分がこれだけ

なんですか!?」

「遅れて来た罰よ、バ・ツ!」

「そんな〜! おお、主よ! どうして私は、いつもいつも……」

「アベル、さん、本気じゃないから、そんな辛そうな顔しないで。ね?」




(彼女はあなたの言った通りの自慢の「娘」よ、……ヴァーツラフ)




 笑い声が木霊する中、が呟いた言葉が耳に届いたのは、

 きっと写真の奥にいる、「彼」だけであるだろう。

















本編沿い短編「また、ここで逢いましょう」に登場した中庭を舞台にしたかったのと、
ちゃんの歌声がアンジェラ・アキに近い、ということもあって、
「This Love」をひたすらリピートしてたら浮かんだ作品でした。
幸里さんがオススメなものって、私も好きなのが多いのですが、
アンジェラ・アキもその中の1つです。

ヴァーツラフとちゃんの組み合わせは好きです。
一番はトレスですけどね。
本当、いい親子だなあと思います。
にとっても、ヴァーツラフはいいおじ様なので(そうだったのか)。
過去編になったら、また話が膨らみそうですね。
考えておこうっと。





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