重い瞼をゆっくり開くと、目に飛び込んで来たのは見慣れない壁だった。 横から、温かな香りがして、そちらに視線を動かせば、 サイドテーブルに置かれている紅茶から、ゆっくりと湯気が上がっている。
(そうだ、私、倒れたんだっけ……)
任務の報告を終えた後、中庭にいるであろうに会いに行こうと、 は廊下を急ぎ足で歩いていた。 任務先で手に入れた紅茶を届けたかったのだ。
その途中の廊下で、とトレスが雑談している姿を見つけ、 は声をかけようとした。 が、その簡単なことが出来なかった。
相変わらず無表情なトレスに、笑顔で話すが、 自分の知っている姿と違うように見えたからだ。
思わず立ち尽くしていたにが気づいた時には、 の体はふらつき始めていた。 任務を無事に終えた疲れた出たのだろう。 彼女はゆっくりと倒れる体を誰かに支えられながら、気を失ってしまったのだった。
(ということは……、ここはさんの自室?)
居場所を理解した時、扉が開く音がしたため、思わず鼓動が高鳴った。 そちらを見れば、部屋の主である尼僧が、水を溜めたボウルを持っていた。
「よかった、目が覚めたようね」
安心したような表情を見せたは、ボウルをサイドテーブルにある紅茶の横に置くと、 その前に置かれた椅子に腰を下ろした。 の額に載せてあったタオルを外し、ボウルの中に入れて、再び強く絞る。 それを額に再びのせれば、熱を冷やすかのように冷たくて気持ちいい。
「私、どれぐらい眠ってましたか?」 「30分ぐらいかしらね。本当、ビックリしたわよ。突然倒れるんだもの」 「ごめんなさい……」 「謝るほどじゃないわ。とにかく、今はゆっくり休みなさい。紅茶、飲む?」 「はい、ありがとうございます」
上半身を起こそうとするを助けるように、がそっと手を貸す。 それだけのことなのに、は嬉しかった。
サイドテーブルに載っていたティーセットをに渡すと、 中に入っている紅茶を口の中に注いだ。 少し柑橘系の味がして、とても爽やかな味わいである。
「これ、何か入っているんですか?」 「さすがね。――アールグレイの中にレモンをたらしたのよ。こういう時には、 ちゃんとビタミンを取った方がいいのよ」 「そうなんですね。……温かくて、美味しい……」
幸せそうに飲むを、は微笑ましく見つめていた。 いつも1人で、時に無茶なことも平気でしてしまうので、少し心配になっていたところがあったからだ。
「さんが、私をここまで運んでくれたんですか?」 「いいえ。ここまで運んだのはトレスよ」 「えっ、ト、トレスが!?」
急に顔が赤くなり、手にしていたティーカップを誤って落としそうになってしまう。 そんなに、は一瞬驚いたが、彼女の見せる表情が可愛らしくて、 かすかに笑ってしまう。
「そもそも、が倒れたのに最初に気づいたのはトレスだったの。で、急に姿が見えなくなるから どうしたんだろうって思ったら、後方で倒れそうになったあなたを支えていた、というわけよ」 「そうだったんですね。……何だか、とても恥ずかしい……」 「どうして? いいじゃないの。私だったら喜ぶけど?」
意味ありげに微笑むに、は気づいていたかどうかは分からない。 何せ彼女の脳裏には、とは違うことが駆け巡っていたからだ。
「あの……、さん」 「何?」 「さっき、その……、トレスと、何話していたんですか?」 「あら、気になるの?」 「あ、い、いえ、そんなんじゃ……!」 「ふふっ。本当、って面白いわ」
必死に否定するように首を左右に振るを見たは、 その姿に思わず笑ってしまった。 笑われてしまったはと言うと、引き続き赤い顔のままだ。
「あのね、ウィルがトレスに、ロケットパンチをつけてみようだの、指先に機関銃のような銃口をつけてみ ようだの言われたらしくて、それを想像したら笑いが止まらなくなっちゃったの。だって、あの無表情が顔 で、両手が飛ぶのよ? おかしいと思わない?」
トレスの両腕が90度に上がり、その手が彼の合図で発射される。 それを、特に顔の表情を変化させることなく見つめるトレス。 そして数分後、何事もなかったかのように両手がトレスのもとへ戻り、 「任務終了」と言って、その場から退散する。
……確かにおかしいかもしれない。
「おじ様も、相変わらず変なことを……」 「でしょ? でもま、彼のことだから、半分冗談でしょうけどね。きっとトレスのことだから、 『そのようなものは必要ない』って、真面目に答えたんだと思うわ」 「それ、トレスらしい答え」
いつの間にか、はと一緒に笑っていた。 まるで、不安がどこかへ消えたように。 そしても、が知らない間に抱いていた「嫉妬心」を取り除けて安心していた。
「さ、もう少しゆっくり休みなさい。私はここにいるから、何かあったら声をかけて」 「はい。本当、ありがとうございます。……さん」
ティーセットをサイドテーブルに戻し、再び横になると、 は椅子に座っているに向かって、自分の右手を差し出した。
「手、握っていてもらっていいですか?」 「いいけど、どうして?」 「何となく、さんに触れてると……、安心するから」
「天使」にも似たような笑顔を持つに触れていると、 は自然と力が抜け、安心するのだ。 だからこそ、はに手を握ってもらいたかったのだ。
一方はと言うと、の言葉が不審に感じていた。 自分は誰も支えることも、助けることも出来ない。 なのには、安心すると言うのだから。
「……本当に私でいいの?」 「さんがいいんです」
の、その真っ直ぐ見つめる瞳に、は1つ、諦めたようにため息をついた。 その瞳で見つけられたら、断れなくなってしまったのだ。
「分かったわ、。……ゆっくり休みなさい」 「はい」
しっかりと、そして優しく握られた手に安心してか、 はすぐに深い眠りへ入っていった。 それを見たが、握っている小さな手を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「触れられると安心する、か……」
後方にある窓ガラスから入る光を背に受けながら、 はの寝顔を見守った。 |
ある意味、「風邪引きさんシリーズ」の1つに入りそうな話でした。
一度、ちゃんを看病するが書きたかったので。
逆バージョンも書いてみたいものですね。
しかし、トレスの両手が飛んだらどうなるんだろうか。
見てる方としては面白いかもしれませんけどね。
つけられた本人はいい迷惑かもしれません。
今回は諦めた方がいいよ、“教授”(笑)。
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