「……あれっ、さんとトレス君は?」 「何か、が買いたいものがあるみたいで、トレスと一緒に席を外しているわよ」
左手にロンディニウムの地図を眺めながら、は左側に腰掛けたと思われる銀髪の神父に答える。 視線の先にあるのは、ロンディニウムの中枢に属する場所、ヴァッキンガム宮殿だ。
「あ、すみません、ミルクティお願いします。――スクラクトさんの調子はどうですか?」 「メンテナンスは順調みたいだけど、復帰するのにもう少し時間がかかるみたい。 作戦までには動かせるようには言ってあるんだけどね」
任務の当日になって、急遽、プログラム「スクラクト」のメンテナンスが行われるようになったため、 情報が一切入らない事態になってしまっていた。 そのため、は少しイライラしながらも、 自分の力で出来る限り情報を揃えようと試みていたのだった。
「こういう時に使えないのって、本当にきついわよ。自分でもある程度の情報は掴めるけど、 細かいところまでは分からないからね」 「でもケイトさんも手伝ってくれると言っていましたし……って、そうそう、 先ほど、彼女から最新情報を入出したという連絡が入りましてね。地図、お借りしますよ」
運ばれてきたミルクティに右手で砂糖を入れながら、 が持っていた地図を左手で持ち、危なっかしく片手で広げ始める。 時々、スプーンに盛られている砂糖が毀れそうになったりして、 は少しハラハラしながら見つめていた。
「アベル、地図広げるのか、砂糖を入れるのか、どっちかにしなさい」 「いえいえ、これぐらい大丈夫……、うひゃお!」 「ほら、言わんこっちゃない。全く……」
テーブルの落ちた砂糖を1ヶ所に集めると、 は誰も使っていない灰皿に集めたものを落として、テーブルの上に戻した。 半分呆れ返っていたが、予想していた通りの展開だったため、 それを通り過ぎて開き直ってしまったあたりが、自分が彼の幼馴染みたいな感じがして、 少し嬉しくなってしまったりするのだが。
「……で、ケイトが何だって?」 「ああ、はいはい。ケイトさんが言うには、どうやら敵は2つの勢力に別れているようでして、 今夜、その両者の密会があるそうなんです」 「つまり私達は、その密会を妨害すればいいってことね」 「その通りです。今回の集合場所は、ここ、ピカデリー・サーカスです。敵はそれぞれ、 トラファルガー広場とグリーンパークからこっちに向かうと思われます」
アベルが前に広げられた地図で場所を確認しながら説明するのを、 が1つ1つ確認するように頷く。 ロンディニウムは彼女の庭と言ってもいいぐらい親しみがあるため、 付け加えるかのように道をなぞり始める。
「ということは、トラファルガー広場側の方が、相手より早く現地に着くわけだから、 私達は2手に別れて、1つをここに、もう1つをグリーンパーク側に配置して止めた方が早いわね」 「それか、ピカデリー・サーカスへ向かう途中の道を塞ぐ方法もあります。 そちらは、私とトレス君で押さえますよ」 「そうね。確かにそうした方が、楽かもしれないわね」
敵がどういったルートで繰るのか分からないが、 ピカデリー・ストリートなどの大通りを通っていくことなどまずあり得ない。 細道を通るとなると、グリーンパークから確実に目的地に行く道も限られているため、 そこをアベルとトレスで塞いでしまうのだ。
その間に、ピカデリー・サーカスにいるとは、 トラファルガー広場から現れる片割れを待ち伏せし、一気に倒していき、相手との合流を阻止する。 面積的にそれほど広くない上、こちらは目的地に到着する道が限られているため、 そこを集中的に攻撃すれば簡単に押さえることが可能である。
「それじゃ、この作戦で進行するってことで大丈夫ですかね?」 「問題ないわよ。あとは、トレスとに話して、両者が了解すれば、それで進めましょう。 ……それにしても、さすがアルビオンね。どこも紅茶が美味しいわ」 「さんにとっては、天国のような国ですもんね。今日、これで何杯目ですか?」 「5杯目よ。こんなこと、めったに出来ることじゃないから、楽しまないと」
は満弁の笑みを見せながら、紅茶と共についてきたお茶請けのクッキーを口に運ぶ。 どうやらクッキーの味もよかったのか、さらに顔から笑みが毀れる。
そもそも、がここまで紅茶が好きになったのは、ローマよりここでの生活が長かったからというのもある。 毎朝のように出されるミルクティに舌包みし、アフタヌーン・ティーで出されるストレートティ、 お茶請けで出されるスイーツを思う存分堪能する。 そのような生活を送っていれば、自然と紅茶を飲む習慣が身についてしまうのは当然の結果である。
「それより、女王陛下にはお会いして来たのですか? まだでしたら、今のうちに行った方が……」 「今日は朝から会議で、夜までお戻りにならないの。それにこっちも任務で来ている身だから、 事情を聞いて変に陛下を心配させるようなことしたくないのよ」 「相変わらず、お優しいですね、さん」 「こう見えても、昔は結構頑固だったのよ。陛下がローマ行きを命じられても、 素直に受け入れなかったもの。あの時はさすがに、陛下も参ったと思うわ」
少し苦笑しながら、再び紅茶を口に運ぶ。 まるで昔を思い出すかのように、未だ開きっぱなしになっている地図を眺め、 自然と目をヴァッキンガム宮殿へ走らせる。 しかし突然、何かを思い出したかのようにため息をつく姿を、アベルは不思議そうに見つめていた。
「何か、思い出したんですか?」 「え、あ、うん……。……アベル」 「はい?」 「あなたが再び現れるまで、私は1度たりとも『あれ』を使ったことがなかった。 それがあの日をさかえに再び起動させ、何とかここまでやって来た。けど……」 「……さんに見せるのが、怖いのですか?」 「何でそう、アベルは私のことになるとすぐに分かるわけ?」 「さんが分かりやすすぎるんですよ」
アベルが苦笑しながら言ったが、は心の底で反論した。 自分が分かりやすすぎるのではない。 彼だから、見つけ出すことが出来たのだと。
「私も最初は、『あれ』を見せるのに抵抗はありました。けど彼女は、それを全て受け入れてくれた。 だから今、こうやって一緒に任務へ来ているんです」 「でも、私はあなたと違ってまだ……」 「そんなの、関係ないですって。大丈夫、心配することなんてありません。さんはちゃんと……」 「お待たせ〜!」
アベルの声を遮るかのように、店の中へ明るい声が響き渡った。 俯いていた顔を上げ、視線を声が聞こえた方向へ向けると、 そこに手を振って走ってくると、淡々と歩くトレスの姿を見つけた。
「お帰りなさい、さん、トレス君。目的のものは見つかりましたか?」 「うん。宿舎に一度置いてきたもんだから、少し遅くなっちゃった。ごめんなさい」 「謝ることないですよ、さん。ね、さん?」 「え、ああ、うん。……まだ少し時間があるから、ここでお茶して行きなさい」 「はい! ほら、トレスもここに座って」 「否定。俺は特に疲れていない」 「けど、店の中で立っているのは目立つよ。こっちが恥ずかしくなるから、ね?」 「……………………了解」
に言われると、素直に動くトレスが、毎回不思議で仕方がないだが、 あのの笑顔を見せられたら、自分でも反発出来ないだろうと思わず納得してしまう。 それは逆に、「あれ」を使ったことによって、 この笑顔が崩れてしまうのではないかという恐怖心も同時に芽生えてしまいそうになり、 必死になってそれを押さえ込もうとした。
「どこか、体調が優れないのか、シスター・?」 「あ、ううん、大丈夫よ」 「もしかして、私が待たせすぎましたか? ごめんなさい、なかなか目的なものが見つからなくて……」 「が謝ることじゃないわ。ただちょっと、考え事していただけ」 「そうですよ。さん、ここの紅茶を堪能しすぎて紅茶の世界に迷い込んで……」 「あ〜ら、これ、頭からかけて、一緒にその世界へ行きたいのね、アベル〜?」 「いいえ、結構です、さん! 私は人間のままでいた〜い〜!」
熱湯並みに熱いティーポットを手にとって言うに、 アベルは慌てて首を左右に振りながら、意味不明な答えを出す。 その姿を見ていたが笑いながらも、あることを思い出していた。
確か今日、の使用プログラムが1つ、緊急メンテナンスを行っているとケイトが言っていたような気がする。 しかも、一番よく使う情報プログラムらしい。 自身は会ったことがないが、とても信頼している「家族」みたいなものだ という話を、以前から聞いて知っている。 だとすれば今頃、不安なのではないだろうか……。
「心配しないで下さい、さん!」 「えっ? 何が?」 「プログラムが1つなくても、その分私が動きます! そりゃ、ケイトみたいに行かなくても、 身近な情報とか、ニュースとか、そういうの、いっぱい集めて来ますから!!」 「ちょ、ちょっと待って、。それって何の話……」 「シスター・、シスター・はプログラム『スクラクト』のことを述べているのと推測される。 違うのであれば訂正を、シスター・」
が困った顔をしたのを助けるように言ったのは、の横に大人しく座っていたトレスだった。 どうやら、メンテナンスをしていることをケイトから聞いていたことを思い出したらしい。
「そうそう! 私、会ったことがないから、名前まで出てこなくて……」 「スクルーのことなら、心配いらないわよ。特にバグがあるわけじゃないし。 任務までには復帰するって言っていたから」 「そうですか。よかったあ……」
この子は、どんなに些細なことでも心配してくれる。 そしてこうやって、自分の出来る限りのことをしようとする。 いつまでも純粋で、何事にも真剣に物事を捉えるを、は少し羨ましいと思ってしまう。 それは自分があまりにも他人どころか自分にも無関心だからで、今は少し改善されて来たとは言えど、 やはりには敵わないし、見習わなくてはならない。
「……ありがとう、」 「えっ? 何に、ですか?」 「何となく。気にしないで。――さ、アベル。今夜の作戦の説明をしましょう」 「ああっと、そうですね。えっと、どうやら敵は2つの勢力に分かれていまして……」
の意味不明な謝礼をもらっただったが、その理由を聞く前に、 アベルが作戦の説明をし始めたためにタイミングを逃してしまった。
理由なら、いつでも聞くことは出来る。 はとりあえずそう決めて、アベルの説明を真剣に聞き始めた。 その姿を見ながら、はあることを決心していた。
はやり、の前で「あれ」を使うのはやめよう、と。 |
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