時計の針が、もうじき午前0時を指そうとしている。

ピカデリー・サーカスの少し手前に左右分かれている位置に、

が待機して、それぞれ準備を始めていた。



 は装備している2挺の銃の銃倉に仕込まれている銃弾をそれぞれ確認し、再び懐に戻す。

予備の銃倉も確認し終えた時、イヤーカフスがかすかに鳴り出し、

はそれに答えるように軽く弾いた。




さん、聞こえますか?』

「聞こえてるわよ、“ヴァルキリー”。そっちはどう?」

『こ、こっちは大丈夫です、……“フローリスト”』




 コードネームで呼ばれ、少し焦ったように答えるがかわいく思えて、つい口が緩んでしまう。

きっと今頃、ガチガチに緊張していることだろう。




、もっとリラックスしなさい……って言っても、その様子だとちょっと難しいかもしれないわね」

『あ、はい。……でも私、すごく嬉しいんです』

「嬉しい? どうして?」

『だって、念願のさんとの任務ですもん! 目の前であの銃捌きが見れますしね』




 同じ任務について嬉しいと言ってくれることは、

にとっても喜ばしいことだが、同時に複雑な気持ちになっていく。

彼女自身も、いずれこのような日が訪れるだろうと思っていたし、

 それなりの覚悟もしてきたつもりだった。

しかしいざとなると、奥底にしまっていた不安が浮上して来て、止めることが出来なくなる。




『……さん、大丈夫ですか?』

「ああ、うん、平気よ、。アベルとトレスの方のこと、考えていただけだから」

『そうですか。……さん』

「ん?」

『……あまり、無理しないで下さい。私、微力ですけど、さんのお助け出来るように頑張りますから』




 きっと、が先ほどから何か抱えているように見えて気になっていたであろう。

すぐに言えることではなにしろ、それをうまくカバー出来なかったことで、

彼女に余計な心配をかけてしまっていることに、は心の中で反省しつつ、

緊張を解すかのようにに告げる。




「心配してくれてありがとう、。私も、と一緒に任務につけて嬉しくてね。

ちょっと緊張していたのよ」

『緊張? さんが、ですか?』

「あら、私だって緊張する時があるのよ。何せお相手は、あのヴァーツラフのお弟子さんだもの」

『そんな、私なんて師匠(マスター)と比べものにならないほど弱いです!』

「そんなことないわよ。アベルもトレスも、レオンもユーグもケイトも、

そして猊下も、みんなあなたの力を認めているのよ。そして私も、の力を信じている。

だからあなたも、私を信じなさい。大丈夫。絶対にうまくいくから」

さん……。……はい! よろしくお願いします!』

「こちらこそ、よろしくね、。……今頃、アベルとトレスは向こうの

集団と合流しているはずだから、こっちもそろそろね」

『はい! とりあえず、ここで一旦切りますね』

「了解。――以上、交信終了(アウト)




 イヤーカフスを軽く弾いて交信をやめると、ロックオン状態にした2挺の銃をしっかり握り、

は奥から出てくるであろう敵の出方を伺い始める。

も右手に細身の剣をしっかり握り締め、左手にある白煙灯の線を抜くタイミングを計り始めた。




「セフィー、いる?」

『ここにいます、わが主よ』




 プログラム「スクラクト」以外のプログラムは正常に働いているため、

主人に呼び出されたプログラム「セフィリア」がいつも通り光を灯しながら姿を現す。




「敵の位置まで近づいて、距離を見てきて欲しいの。出来れば、画像も送って欲しいんだけど……」

『了解しました』




 の命令に従うように、プログラム「セフィリア」が2分割し、

片割れがレスター・スクエア方向へ飛び出し、その映像を目の前にいる片割れが立体映像として流し始めた。

最初はずっと道だけが進んでいったが、数分後、目の前からいくつかの人影が現れ、

映像がその地点で立ち止まる。




『距離として、約150メートルといったところです。人数は、ざっと見た限りでは15人ほどだと思われます』

「なるほどね」

『あと100メートルを切りました。“ヴァルキリー”に伝えますか?』

「いいえ、こっちから伝えるから平気よ。とりあえず、そのまま監視は続けて」

『了解しました』




 正面にいたプログラム「セフィリア」が光と共に姿を消すと、イヤーカフスを弾き、

向かい側にいると交信を再開しようとしたが……。




『大丈夫です、さん。事情はザインさんから聞きました』

「全く、『彼』はこういう時だけは素早いんだから……」




 プログラム「ザイン」は、時に味方へ情報を伝える連絡係を、の意思に関係なく行う時がある。

どうやら、今回もその手らしい。




(こいつは、またあとで説教だなあ……)




『ザインさんって、とても気さくな方なんですね。すごく話しやすかったです!』

「まぁ、気さくだと言えば気さく、よねえ……」




 少し冷汗を掻きながらも、遠くから聞こえ始めた足音に、の目つきが鋭く輝き始めた。

銃を上げ、大きく深呼吸をすると、目の前にいるに視線を向ける。

も彼女の視線に気づいたのか、同じように鋭い視線で、1つ頷いた。



 足音が、徐々に近づき始める。

ざっと計算で、30メートルといったところだろうか。

が手にしている白煙灯の引き金を口で引っ張ると、タイミングよく敵の前に転がり、

一気に白煙が上がり出した。




「な、何だ、これはっ!?」

「前が! 前が見えない!!」




 敵の集団が混乱し、あちこちから絶叫が上がる。

この白煙灯はレオンのお手製で、普通の白煙灯とは違い、

目に刺激を与えるガスが仕込まれているのだ。




「よし、、行くわよ!」

『了解しました!!』




 白煙が少し減った時、道角の両サイドにいたが飛び出すと、

一気に集団に目掛けて攻撃を開始した。

敵は目の刺激を押さえることで必死になっており、2人の攻撃を避けることが出来ない。



 短機関銃装備(サブマシンガンモード)にして、一気に吸血鬼達へ攻撃していく。

時に後ろにいる者を倒すために、腕を後ろへ旋回させ、

まるで踊りでも踊っているかのように鮮やかに倒していく。



 で、手に持っている細剣を旋回させながら、華麗に相手を切り刻んでいく。

時に、遠くにいる吸血鬼が銃で攻撃しようとすると、

僧衣の奥に隠し持っているナイフを飛ばして肩を深く刺し、動きを封じていく。



 数分後、その場にいる吸血鬼が無事に倒れ、

も各々の武器を構えたまま、周りの様子を見回した。

あまりにもあっけない終わり方に、2人とも納得行かない表情をしている。




「本当に、これだけなのでしょうか?」

「分からない。でもここ以外のルートは……、……まさか、シャフツベリー・アベニュー!?」

さん! どうしたんですか!?」




 突然ピカデリー・サーカスの方向へ走り出したに、は驚きながらも追いかけていく。

すると目の前に、先ほどの2倍はいるであろう吸血鬼達がすでにその場に溜まって、

2人を鋭く睨み付けていたのだ。




「そんな! いつの間に!?」

「たぶん、こうなるんじゃないかって予測していたのか、相手も2手に分かれてきたのかもね。

完璧に嵌められたわ!」




 は舌打ちすると、も悔しそうに、こちらへ牙を向ける吸血鬼達を見つめている。

手にしている細剣が、より一層握られていくのが分かる。




「どうしますか、さん? こんだけの人数、私達だけでどうやって……」

「とにかく倒せるだけ倒して、アベルとトレスの到着を待ちましょう。そうするしか方法が……!」




 が指示を出している間に、敵の集団が一気に襲い掛かってきて、

2人は左右に避け、一気に戦闘態勢に入った。

は弾倉がなくなったのか、右手に持っている銃を上空に上げ、その間に左の弾倉を入れ替え、

上がっている銃が落ちたのと同時に左手の銃を上に投げ、手にしている銃の弾倉を入れ替える。

その間にも、吸血鬼達が“加速(ヘイスト)”で迫ってきたが、

 地面を軽く飛び跳ねるように回避しながら入れ替えていたため、

直接被害に合うことはなく、両方の弾倉が装備完了したのと同時に一気に、

回転しながら撃ち込んでいった。



 一方は、手にしている細身の剣を旋回させながら、吸血鬼達を次々と倒していった。

“加速”にも似たような動きは相手の動きを見事に封じ、

時に剣を逆手に持ち替えて切り裂いていき、吸血鬼の特徴とも言える長い爪も素早く避け、

ナイフを飛ばして阻止していった。



 何とか人数も半分ぐらいになった時、ある映像がの脳裏を横切り、

思わずこの先にあるジャーミン・ストリート側に視線を向けた。

どうやらアベルが、「あれ」を起動させたらしい。




(となると、トレスがこっちに?)




 頭を横切った言葉を振り切るように、は首を左右に振り、再び攻撃を開始した。

もしかしたら、向こうも2手に分かれて移動しているのだとしたら、

 トレスはそっちの方へ向かっているに違いない。

そうなると、こちらへの援護は期待しない方がよさそうだ。




、ここは私達2人で何とかするしか……!」




 援護がないと分かった以上、ここは2人で押さえるしかない。

そう察してに言おうとした時、彼女の後方で何かが輝き、はとっさに床を軽く蹴り、

“加速”のように移動し、の前まで踊り出た。




、危ない!」

「えっ……?」




 によって突き飛ばされたは何が起こったのか分からないように、

目の前に広がる光景を見つめていた。



 背中を向けたに、はただ呆然と見つめているだけだった。

突き刺さった爪が弾きぬけられ、の体が、まるでスローモーションのようにゆっくり倒れていく。




さん!!」




 反射的にの体が動き、の体をしっかりと支えるように受け取る。

急所は外しているようだが、胸元を貫通されているため、出血がかなり激しい。




さん! しっかりして下さい! さん!!」

……、大丈、夫……?」

「私の心配はしないで下さい! 今、すぐに……!」




 能力を使おうとしても、先ほど爪を伸ばした吸血鬼が再び攻撃を仕掛けてきて使うことが出来ず、

は慌ててナイフを投げ出し、それを阻止した。しかしそれを回避した直後、

別方向から新たな爪が見え始めたのだ。




(駄目だ、避けられない……!)




 が思わず目を強く瞑って俯いたその時だった。

の左手首にしている腕時計式リストバンドの円盤が突然回転して、「1」の位置で止まり、

勝手にボタンが押され、目の前に2人を囲むような形でバリアが出現したのだ。



 爪がバリアに突き刺したが、そこから先に進むことが出来ない。

それどころか、爪が一気に蒸発していき、

攻撃を仕掛けた吸血鬼ごと燃やしてしまったのだった。




「こ、これって一体……!?」

「タイミング、バッチリじゃない、フェリー……」

『それ以上話してはいけません、わが主よ。……初めまして、“ヴァルキリー”。私はプログラム[フェリ

ス]。
バリアなどを専門にしている回避・修正専用プログラムです』




 腕時計式リストバンドから流れる声に驚きながら、は周りに貼りめぐられているバリアを眺めていた。

こんなバリアを見るのは、生まれた初めてだったからだ。



 呆然としたままバリアを眺めていた時、リージェント・ストリートから

聞き覚えのある銃声が響き渡り、はすぐに視線をその方向へ向けた。

この銃声、まさか……。




「……トレス!」




 姿を現した小柄な神父を、は驚いたように見つめていた。

確か彼は、アベルと一緒にもう1つの集団を止めていたはずだ。




「卿の協力、感謝する、プログラム『フェリス』」

『いえ、私は当然のことをしたまでです、“ガンスリンガー”』

損害評価報告(ダメージ・リポート)を、シスター・、シスター・

「私は平気だけど、さんが……」




 トレスが来たことにより、プログラム「フェリス」によって貼られた

バリアが解かれ、彼はすぐに2人の様態を尋ねた。

の胸からは未だに出血が止まることなく流れ、は少し焦ったようにトレスに報告した。




「シスター・。卿はシスター・を連れて逃げろ。ここは俺が止める」

「そんな! トレス1人でこの人数は……」

問題ない(ノー・プロブレム)。俺の心配をする暇があったら、卿はすぐシスター・を安全な場所

まで避難させることを要求する」




 2人を庇うように、トレスは銃口を吸血鬼達に向け、一気に撃ち込み始める。

しかしこの体制は、そう長くは続かないことぐらい分かっている。

そうであるなら、を安全な場所まで連れて行き、すぐに戻って来ればいい。




「……分かった、トレス。本当、ごめんね」

無用(ネガティブ)。すぐに行け」

「うん! さん、大丈夫ですか!? 意識、ありますか!?」

「大丈夫よ、……。……ごめん、トレス。あなたにまで迷惑を……」

「喋らないことを要求する、シスター・。それ以上喋れば、体力の消耗が激しくなるだけだ」




 冷たいようで、しかしどこか心配しているように言うトレスの声に、

は申し訳ない気分で一杯になっていた。

が「あれ」の存在を知っていればすぐにでも治せたが、そういうわけにもいかない。

とりあえずここは、大人しく怪我人の振りをするしかない。




「シスター・、可及的速やかにシスター・を連れて離脱することを要求する。早く行け」

「はい!」




 は何とかを抱えると、すぐにその場に立ち上がり、一気に走り出した。

時に敵の吸血鬼達が2人に向かって攻撃していったが、トレスがうまく援護したこともあり、

2人に当たることなく、無事にピカデリー・サーカスを離れていったのだった。






さん……、お願いだから、死なないで……!)




 の叫びが、彼女の心を通り過ぎて、街中に広がるかのように響き渡っていった。









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