曇りが多いことで有名なロンディニウムも、今日は暖かな太陽が街を照らし出している。

ここ、ピカデリー・サーカスも、昨夜のことがまるで夢だったかのように、いつもと変わらない時を過ごしていた。

それは、たくさんの鮮血の跡を残していた、あの細道も同じだった。



しかしたった数時間で、こんなにきれいになっているのはあまりにもおかしすぎる。

は驚いたように周りの光景を見ながら、横に立っている銀髪の神父に話し掛けた。




「アベル、これって一体、どういうこと?」

さんの『あれ』は、その場の状況によって、幻覚症状を起こすことがあるんです。

短生種の場合は勿論のこと、長生種の場合でも、時によっては使用することがあります。

なので、たとえ形がないほど切り刻まれても、元に戻れば、ただ気絶している状態になるだけになるんです」

「それじゃ、あの場にいた吸血鬼は、みんな無事だったの?」

「ええ。ただそれは、彼女が変わっている間中、周りにいる私達も一緒に巻き巻き込むことがあるんですよ」

「それで、あの場にいた私達も同じ現象を見てしまった、ということになるの?」

さんがこちらへ向かう前に止めようと思ったのですが……、少し、手遅れだったですね。

また、彼女に怒られちゃうなあ」




 苦笑しながらいう姿に、は思わず俯いき、今は見えることのない光景を想像した。

しかし見るに耐えなくなり、すぐに目を伏せてしまう。




「……さんはああ見えて、実はすごく弱い人なんです」




 を通り過ぎ、道の奥へ進むと、アベルは壁際に腰掛け、

空に燦々と輝く太陽を、少し目を半分閉じて見つめた。

しかもそこは、ちょうど怪我を負ったが座っていた場所と、偶然にも同じ場所だった。




「本当はすごく弱いんだけど、甘え方を知らないものですから、つい強がってしまうんですよ。

だから皆さん、勘違いしてしまうことが多いんです」




 太陽から外し、目の前に見える壁を見つめるアベルは、

まるで目の前に大事な人がいるかのように、柔らかい視線を送っていた。

もちろん、その大事な人というのは、先に同僚と共にローマに戻った者のことである。




「アベルはそれ、すぐに分かるの?」

「彼女の感情なんて、手に取るように分かりますよ。それは私が彼女の“クルースニク”だからであり、

彼女が私の“フローリスト”だから、なんですけどね」

「それって、一体どういう意味?」

「話すと長くなるんですけど、その、何と言いましょうか……。さんは私が暴走した場合、

確実に止めることが出来る唯一の人です。そして逆に、彼女の暴走を止めることが出来るのも、私しかいません。

……まあ、確実には止められませんけどね」

「どうして?」

「事実、彼女の暴走は、いくら私でも止めることが出来ません。けど、それを緩めることだったら出来ます。

私の役割は、さんが暴走する前にそれを阻止することです。こればかりは、私しか出来ない、

まあ、特権みたいなものですかね?」




 今まで、単なる恋人同士しか思っていなかっただっただけに、

2人の関係がここまで深いものだったことに、事の大きさを痛感させられていた。

それは同時に、もアベルと同じ苦しみを持っていることになるわけで、

は少し、胸が締め付けられそうになった。




さんにとってさんは、妹というか、本当、自分の肉親かのように見守ってきていました。

だから、さんはさんに、『あれ』を見せたことによって、この関係が壊れてしまうのが怖かったんです。

私は逆に、さんに見せなくてはいけないと思っていましたけど」

「どうして?」

「私が『あれ』を使っても、さんはちゃんと受け止めてくれました。あの時、

私もさんと同じことを考えていましたからね。本当、嬉しかったんですよ」




いつの間に、今までと過ごして来た日々や言葉が頭を横切っていく。

一緒にいるのが楽しくて、本当の姉のような存在で。

今までたくさんのことを教えくれたし、もっとこれから教えて欲しいこともたくさんある。

 それが、あの出来事1つで、もう敵わなくなろうとしている。



 そう思った時、は何かに気づいたかのように、大きく目を見開いた。

 そしてさっき、が書きとめた手紙の内容を思い出し、心の中で叫んだ。






(そんなの……、絶対に嫌だ!)






「アベル、私、すぐにローマに……」

「そう言うと思いましてね。ふっふっふ〜っ。実はある方に迎えに来てもらったんですよ」




 アベルは満足げな顔をして人差し指を上げると、その場に立ち上がり、イヤーカフスを軽く弾くと、

 そこから聞きなれた同僚の声が届いた。




「ケイトさん、聞こえますか〜?」

<聞こえてますわ、アベルさん。ようやく終わったんですの? 待ちくたびれましたわ>

「ケ、ケイト!?」




 突然イヤーカフスから聞こえた主に、は驚いたように声を上げる。

その横で、アベルは未だ、満弁の笑みを溢している。




さん、任務、ご苦労様でした。アベルさんの命……、と言うより、

ほとんどカテリーナ様からの命なんですけど、お迎えに参りましたわ>

「ちょっと、ケイトさん? ほとんどカテリーナさんの命って、どういう意味です? 

それじゃまるで、私の意見が何も通っていないように聞こえるんですけど?」

<あら、あたくしがアベルさんの一声ですぐに動くとも思っていたのですか? 考えが甘すぎますわよ>

「そんな冷たいこと言わないで下さいよ、ケイトさ〜ん!」

<はいはい、それじゃ、1/5ぐらいはアベルさんの命、ということにしておきましょう。それより、

荷物はもう積み終わってますから空港に向かって下さいまし。早く搭乗しないと、おいて行きますわよ!>

「うわ〜おっ! そいつは大変だ! さん、すぐに空港までダッシュしょう!」

「あ、うん!」




 呆気に囚われていたがすぐに我に変えると、

慌てて走るアベルの後を追っかけて、その場から離れていった。

しかし数メートス進んだところで振り返り、先ほどの細道に向かって、

聞こえないぐらいの声でポツリと呟いた。






「私は絶対に、負けないからね」




さん! 早くしないと、地下鉄行っちゃいますよ!!」

「あ、は〜い!」






 アベルに向けられた顔には、いつもと変わらないの笑顔がそこにあった。

















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