とアベルがローマに到着したのは、ちょうど午後の中ごろに差し掛かるところだった。
ローマ国際空港から直行で戻って来たは、一度寮に戻り、 荷物の中から包装された小さな箱を取り出すと、すぐに“剣の館”へ向かい、を捜し始めた。 しかしいつもいる中庭にも、最上階の特務分室にも、その姿を見つけることが出来なかった。
「そこで何をしている、シスター・?」
名前を呼ばれて振り返れば、そこにはと共に先に戻って来ていたトレスが、 いつもと変わらず哨戒をしていた。 彼なら彼女の居場所を知っているかと思ったが、少し慌てたように居所を探り始める。
「トレス、さん、見なかった?」 「否定。シスター・とは、ミラノ公に報告書を提出してから見かけていない。 通常、この時間なら中庭にいるのだが、本日はそこにも姿はなかった。それより、 卿の体の具合はもういいのか、シスター・?」 「私はもう大丈夫。それよりも今は、さんの方が……」
何かを言いかけ、すぐに言葉を止めると、はもう1つ、がいそうな場所を思い出した。 しかしあそこは、いつもアベルと一緒にいる場所。 自分なんかが行ってしまってもいいのだろうか。
「シスター・の身に何かあったのか、シスター・?」 「あ、ううん、何でもないの。……ねえ、トレス。屋上って哨戒している?」 「肯定。だが、本日はまだ行っていない」 「それじゃ、一緒に行ってもいいかな? もしかしたら、そこにさんがいるかもしれないから」 「……卿の推測は正しいと思われる。よって、同行を許可する」 「ありがとう、トレス!」
謝礼を聞くことなく、トレスが歩き出すと、も少しだけ小走りで追いつく。 その姿は、まるで何かを決心したかのように、背筋がピンと伸びているよう見えた。
「そう……。に言ったのね……」 「ええ。全部は言ってませんけどね」
いつもと違う時間だというのに、屋上にいる男女は特に変わることなく、 普段通り同じ場所に腰をかけ、秋風を体中に感じていた。 しかし茶色の長い髪を持つ尼僧の顔には、いつもの明るさがなく、どこか沈んでいるように見える。
「でも、それで彼女が納得したとしても、やっぱり私はもう、と会っちゃいけないの。 私のせいで、彼女を苦しめることなんて、2度としたくないもの」
知らない間に、あの時のの表情が浮かび上がり、思わず目を伏せてしまいそうになる。 幻覚であろうと、彼女に恐怖を与えてしまったことには変わりなく、 その罰を受けなくてはいけないのも当たり前のこと。 だからは、もうこれ以上、と会うことをやめようと決意した。 それがたとえ、自分のことを認めてくれたとしても変わることはない。
「……それは単なる我がままですよ、さん」 「えっ?」
呆れたような声を上げた燐人の腕がの左肩にかかり、自分のように引き寄せ、強く抱きしめる。 髪をそっと撫で、何かを訴えるかのように、そして少し責めるような口調で囁いた。
「いつもそうやって、あなたは自分の感情を押し殺してまでして我慢してしまう。 そんなことして、一番苦しいのはあなた自身なの、何度も身を持って体験しているでしょう? どうしてまた、同じことを繰り返そうとするんですか?」 「それは……」 「確かに、諦めることも大事ですけど、さんは諦めすぎです。もう少し、 自分の気持ちに素直になった方がいいんじゃないですか?」
事実、がアベルとここに戻って来たことを聞いた時、すぐに迎えに行きたかった。 しかし、脳裏のあの時の彼女の顔を思い出すと、逆に「会いたい」想いを閉じ込め、 どんどん奥底へ追い込んでいってしまったのだ。 結果、ここまでアベルを呼び出して、こうやって彼にぶつけてしまっている。 いつものこととは言えど、さすがに今回ばかりは自分で解決させないといけない 問題だと分かっていたアベルは、何とかしての背中を押してあげようとしていたのだ。
責めているようで、どこか心配しているように聞こえるアベルの声が、 時に胸を締め付けようとしたが、徐々に温もりとなって体中に広がっていく。 それを感じながら、はゆっくり目を閉じ、彼に縋るように身を埋めると、 アベルの唇がそっと額に触れ、さらに強く抱きしめた。
「大丈夫ですよ。さんは強い方です。何もかも、ちゃんと受け止めてくれますから」 「そう、かしら?」 「あっ、またそうやって否定するんですか? いけませんよ、さん。 そんなんじゃ、救いの神も降りてこないですよ」 「でも、私はを……」 「だから、大丈夫ですってば。本当、心配すぎにもほどがありますよ」 「そうかもしれないけど……」
が何かを言いかけようとした時、屋上の扉の奥で物音が聞こえ、 はすぐにアベルと離れ、冷静を取り戻そうとしていた。 少し毀れしてた涙を拭い、何もなかったかのようにしていると、扉が開かれ、 そこから見慣れた2つの影が姿を現し、は鼓動が弾け、アベルはその方向へ足を進めた。
「こんにちは、さん、トレス君。今日は2人で哨戒しているんですか?」 「私がさんを捜している時にトレスと会ってね。ここまで一緒に来てくれたの」 「俺はただ、哨戒ついでにシスター・がいると思われる場所まで案内しただけだ」
いつもなら軽く突っ込むはずなのだが、その力もなく、はただその場に座っているだけだった。 そんなを見て、がスタスタと歩き出し、彼女の正面まで来て深々と頭を下げた。
「ごめんなさい!」 「えっ?」 「私、さんの気持ち、何も分かってなくて、ずっと怯えっぱなしで、 どう謝ったらいいのか分からないけど、でもどうしてもそれだけ言いたくて……」
突然投げかけられた言葉に、は驚いたようにを見つめ、一瞬言葉を失ってしまった。 どうしてが自分に謝ったのか、理解出来なかったからだ。
「私、さんがくれた手紙とか、アベルから“フローリスト”のこととか聞いて、 分かったことがあるんです。それはどんな姿になっても、さんはさんのまま、 変わることはないということ」
頭を上げた先にある視線は、いつもに増して真剣そのもので、 訴えかけるかのようにへ向けられている。 それは、背くことそれすら許されないぐらいに鋭く、光り輝いていた。
「だから私、さんが何と言おうが、しつこく付きまとうことにしました。だって、 そんなことで険悪な雰囲気になるの、嫌ですもん。もう何があろうと、絶対に逃がしませんから、 覚悟していて下さいね!」 「……」 「あ、そうそう。これ、さんに差し上げようと思って。よかったら、受け取って下さい」
手にしていた包装された箱をの前に差し出すと、 は少し躊躇いながらそれを受け取り、包装紙を外していった。 形からして、紅茶だろうということも分かったし、どこのメーカーのものなのかも何となく分かった。 しかし、中から出て来た缶を見た瞬間、の目が大きく開かれ、 まるで息を呑むかのような声を上げた。
「これって、まさか……!」 「ウェッジウッドのファインストロベリーです。昨日、ちょうど初摘みのものが到着したようで、 まださん、買ってないだろうなあと思って、プレゼントすることにしたんです」
満弁の笑みで言うとは裏腹に、はひたすら驚きの表情を崩すことなく、その缶を眺め続けていた。 彼女にとってこの紅茶は、アベル以外に自分の存在を認めてくれた人がプレゼントしたものと、 全く同じ物だったからだ。
「、これ、よかったら飲んでみてもらえませんか?」 「……これ、確かウェッジウッドの……」 「大変貴重価値があるものらしいのですが、どうもうまく淹れることが出来ないんです。なので、 差し上げておいてあれなのですが、よかったら私のために、1杯淹れて下さいませんか?」 「でも、私はあなたを、あんな怖い目にあわせたのよ。それなのに……」 「……私はあなたに会って、怖いと思ったことなんて、一度もありません」 「えっ?」 「どんな姿になろうと、あなたはあなたのまま、変わることなんてありません。そうじゃなかったら、 私はあなたに、これを差し上げてたりなんてしないですよ。……さ、そんな悲しい顔はお終いです。 折角のきれいな顔が台無しですよ」 「……ありがとう、ヴァーツラフ。待ってなさいよ。今、取っておきの美味しい紅茶、淹れてくるからね」 「期待してますよ、」
確かあの日も、今日みたいに「あれ」を使った翌日だったような気がして、 はあまりにもぴったりと嵌りすぎている現実に、思わず叫びそうになった。 しかし今はそれ以上に、まさか彼の弟子であるから同じ物をもらった衝撃の方が大きく、 思わず手の中にある缶を強く握り締めていた。
そんなを見て、心配になってが顔を覗き込む。 すると目から涙らしきものが流れているのが見えて、は突然のことであたふたしたように慌て始めた。
「わ、わーっ! さん! 一体、どうしたん……」 「全く、あなたのお弟子さんには敵わないわ、ヴァーツラフ……」
の口から毀れた声は、涙とは裏腹に、どことなく呆れ返っているように聞こえ、 は思わず、自分が言っていた言葉を忘れてしまいそうだった。
「師匠が、どうかしたんですか?」 「いいえ、何も。……分かったわ、。思う存分、付きまといなさい」 「……はい! 遠慮しませんからね!」 「覚悟しておくわ。……ありがとう」
涙を流しながらも見せる笑顔に、はもちろん、 少し離れた位置で見つめていたアベルも安心したように、2人へ笑顔を向けていた。
にとってハヴェルがどんなに大きい存在なのか、一番よく知っているのはアベルだった。 しかしそれが、まさかこのような形で証明されてしまうと、少しだけ相手を妬いてしまいそうになる。 だが今回だけは大目に見ようと、遠くから2人の姿を見守っていた。
「さて、ちょっと遅いけど、折角こんなにいい紅茶もらったのだから、お茶にしましょう」 「わーい! あ、さん、私に紅茶の淹れ方、教えてくれませんか?」 「もちろんよ。これをくれたお礼に教えてあげるわ。ああ、そうだ。どうせなら、 みんなも呼びましょうか。アベル、“剣の館”にいる派遣執行官を、全員中庭に集めて来て」 「え〜っ、私がですか〜!?」 「『働かざるもの食うべからず』って言うでしょ。その間に、ちゃんとお茶請けも用意しておくから」 「うわおっ! ってことは、さん特性のパンケーキですか!? それとも、 さん特性のクッキーとか!!」 「はいはい、喜んでいる暇があったら、とっとと動きなさい!」 「ぐおっ! い、痛いですってば、さん!」 「トレスはカテリーナ様を呼んで来てくれる? たぶん遠慮するかもしれないけど、 みんなでお茶した方が楽しいからね」 「了解した」
満天の秋空の中、いつもと変わらない声が木霊していく。 そしてそれは一生途切れることなく、鳴り響いていったのだった。 |
「一度、ちゃんとの任務話を書きたい」と思って書いてみました。
が、まさかここまで長くなるとは……。
幸里さん、偉く長いものを送ってしまってすみませんでした(滝汗)。
事実上、ちゃんにの力を見せたのは、これが最初になります。
アベルを受け入れたのであるから、もきっと受けれてくれるのではないか。
そう思ってやってみました。いかがだったでしょうか?
タイトルは当時流行りだったglobeの「DON’T LOOK BACK」から取りました。
作業中も終始BGMとしてかけていたので、頭の中でグルグル回ってました(汗)。
ちなみに今回、はフローリスト化することを躊躇っていますが、
本編では特にそういったことはないため、普通にドンと出してしまいます。
特に理由とかはないのですが、一応参考までに。
(ブラウザバック推奨)