「おや、あれはトレスではありませんか?」

 




 

 クレアとアベルの家の近くまで来た時、家の前で座っているトレスを目撃して、

ヴァーツラフは少し不思議そうな顔で見つめていた。

 




 

「ワワン! ワワン!」

 




 

 キリエが呼びかけるように声をかけると、

トレスだと思われるドーベルマンがこちらを振り向き、キリエのところまで走っていった。

双子の兄と区別するためにつけられた赤い首輪が、本人であるいい証拠である。

 




 

「ワンワンワン、ワワン!?」

「ワンワンワンワン」

 




 

 無数の切り傷を負っているトレスを心配するかのように、キリエがその場でオロオロする。

どこかで喧嘩でもしたのだろうか。

 




 

「……おや、ヴァーツラフさんもいたんですか? キリエさんも」

「やあ、アベル。おはようございます。クレアは?」

「今、着替えてます。トランディス君も、まだ部屋に……」

「どうかしましたか?」

「え、あ、いいえ、何でもありませんよ、何でも……」

 




 

 しまった。

トランディスを寝室から追い出すのを忘れていた。

アベルはそう思いつつも、今戻れば、間違いなく自分が犠牲に会うと思い、

ここはとりあえず、トレスの様子を伺うことにした。

 




 

「それにしても、トレス君。また酷くやられましたね。昨晩はどこで喧嘩していたんですか?」

 




 

 アベルが話しかけても、トレスは答えることなく、その場にしゃがみ込む。

まるで、「怪我を治せ」とでも言っているようだ。

 




 

「これは、クレアさんの出番ですね」

「みたいですね。……そうそう、そちらの方は大丈夫でしたか?」

「トランディス君ですか? いや、もう、大暴れて大変でしたよ。

トレス君と同じかと思って嘗めてかかった私が馬鹿でしたよ」

「相手は帝国から来ていますからね。さぞ、大変だったことでしょう」

 




 

 ヴァーツラフが苦笑気味に言うのが分かり、アベルも釣られて苦笑してしまう。

そんな2人に、キリエが何かを伝えるように吠え始めた。

 




 

「ワンワン! ワンワンワンワワン?」

「クレアさんですか? もう少ししたら来るんじゃないですかね? ……おっ、噂をすれば……、へっ?」

 




 

 家の玄関に視線を向けるなり、クレアと一緒に外へ出たトランディスの姿を見て、

アベルは思わず笑ってしまいそうになっていた。

それもそのはず。

日光を避けるために、黒マントに黒のサングラスをかけた姿は、

人間になってしまえば不信人物として捕らえられてもおかしくないからだ。

 




 

「こらっ、笑わないの! こうでもしないと、外に出られないんだから!」

「分かってはいますけど……、ぷっ」

「…………」

 




 

 サングラス越しのトランディスの目が釣りあがっているのが分かり、

クレアは呆れながらも、でもちょっとだけ苦笑気味で見つめていた。

だが近くにいるトレスに視線を向けるなり、さらに呆れたようにため息をついた。

 




 

「また、酷くやられたわね。……いつ、ドゥオと喧嘩したの?」

「ドゥオ?」

「ああ、ヴァーツラフは知らなかったのよね。ドゥオは、メディチ猊下の飼ってらっしゃるドーベルマンで、

トレスの双子のお兄さんよ」

「なるほど、双子のお兄さんがいたのですか。……しかし、どうして相手が彼だと分かったんですか?」

「トレス君が怪我して来るのは、ドゥオ君と喧嘩した時しかないからですよ」

 




 

 トレスとドゥオは、なぜか昔から喧嘩が絶えなかった。

特にクレアがキリエを飼い始めてからは、

それがエスカレートしていると感じさせられるぐらいだった。

 




 

「ま、とりあえず治しましょうか」

 




 

 クレアがトレスの横にしゃがみ込むと、右手を彼の上に掲げると、

そこから白いオーラのようなものが現れ、トレスの体を包み込んだ。

すると傷が少しずつだが小さくなり、本当に怪我をしていたのか分からないぐらい、

跡形なく消えてしまった。

 



 怪我をしたままカテリーナのところへ返すわけにもいかないし、

トレス自身、クレアに治療して欲しくて来ているのには間違いない。

そのことが分かっているからこそ、クレアは毎回こうして、トレスの傷を治しているわけであり、

それによって彼に頼られている感じがして嬉しかったりするのであった。

 




 

「これでよし。治ったわよ、トレス」

「ワンワンワンワン、ワンワンワワン」

 




 

 こんな時、犬語が分かればいいのにとよく思うのだが、

自分は人間であることには変わりないわけで、不可能なのもよく分かっている。

だから感覚的に、相手はお礼を言っているのだと思い、

トレスの頭を勢いよく撫でた。

 




 

「おっと、そう言えば、私、ウィリアムと約束がありました」

「約束?」

「ええ。簡単な事務作業らしいのですが、どうやら人手が足らないようでしてね。

手伝うように言われていたんです」

「それだったら、私も一緒に行くわよ……と、言いたいんだけど……」

「あなたのその気持ちだけで、十分嬉しいですよ、クレア。ありがとうございます」

 




 

 ヴァーツラフが笑顔でお礼を言うと、1つお辞儀をして、その場を離れていった。

その姿を、キリエが少し淋しそうに眺めていたが、

飼い主であるクレアとの一晩ぶりの再会を喜ぶかのように、彼女の胸に飛び込んでいった。

 




 

「本当、甘えん坊なんだから、キリエは。ヴァーツラフと一緒だったから、淋しくなかったでしょ?」

「ワン! ワン、ワンワンワンワン!」

「……ま、再会して喜ばない方がよっぽど淋しいけどね。よしよし」

 




 

 いくらヴァーツラフのところにいたからと言って、何も心配していなかったわけではない。

なので、彼女が元気にクレアの顔を舐めようとする仕草を見て、思わず安心してしまっていた。

 




 

「とりあえず、家に戻りましょうか。トランディス君も限界でしょうし」

 




 

 アベルの声で、クレアはトランディスがさっきから黙っていることに気づき、

慌てて彼に視線を動かす。

……まだ睨みつけているらしい。

 




 

「まーまー、トランディス、そんな顔しないで。とりあえず、中に入りましょう」

「そうですね。さ、みなさん、部屋に入りますよ〜」

「「「ワン!」」」

 






 

 

 アベルの呼びかけに、3匹が元気よく吠えると、そのまま家の中へと戻っていったのだった。

















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