「問題は、異端審問局がどこまでやるつもりかだね」
“剣の館”に戻った達は、早速最上階の特務分室に集まり、緊急会議を行い始めた。
目の前にある地図と睨めっこしながら、その場にいる全員が上司の身を救う可能性を求め、考え込んでいる。
「ミラノ公は仮にも枢機卿、しかも聖下の姉君だ。その彼女を本当に火刑台に送るだろうか?」
「振り上げた拳は下ろさなければならない。……彼らはやるつもりだと思いますね」
「言えてる。例え相手が誰であろうと、異端者を放っておくわけにはいかない。
それがメディチ猊下にとって妹であり、聖下にとって姉であっても、関係なく実行する可能性は大きいわね」
「事態は最悪です。……楽観は出来ないかと」
アベルの言葉に付け加えながら、は人数分の紅茶を淹れ、その場にいる者達に配る。
今日は少しでも気持ちを落ち着かせるためにミントティを用意した。
「ボクにとっても最悪だヨ。前に申告したリストの中にカテリーナの名前がなかったもんで、
奴ら、ボクのことまで疑ってる。彼女を庇って、わざと申告しなかったんじゃないかってサ」
「……それでアントニオさん、あなたがケルンで燃やした例のリストにカテリーナさんの名前はなかったんですね?
それは確かですか?」
「誓って。第一、考えてごらんヨ。もし本当にリストに名前があったのなら、
そんなアブナイ女にこのボクが寄りつくわけないだろ?」
「確かに、ご尤もなお答えですわね、司教」
はアントニオに同意しながら、紅茶ののせていたお盆を近くのテーブルに起き、
最初に座っていた席に戻って、目の前にある電脳情報機(クロスケイグス)で情報を集め始めた。
普段ならプログラム達を起動させるのだが、Axメンバーでない人物がいるため、今回は手動で収集していたのだ。
「リストに関して、何か情報が出そうですか?」
「それが、データとしては残っていないみたいで、引っかかるものが何もないの。たぶん、直筆と拇印が必要なものだから、
こういった電子器具には通していないのかもしれない」
「君ですらも情報が手に入らないとなると、かなり困難になるねえ。何か、いい手はないだろうか……」
「彼」がいたら、すぐに見つけ出すことが出来るのに。
の頭に、一瞬そのことが横切った。
しかし「彼」は今、彼女の体内に潜むものを「封印」したことによって静寂状態になっているため、
そう簡単に出ることは不可能なのだ。
次に出る時、それは―――。
「そもそも、見つかったとかいうリストはでっちあげに違いないね。……リストの原本? はッ、そんなもの、最初からないんだからサ」
アントニオの言葉で我に返ると、横にいるアベルが疑問な表情を浮かべながら彼に問いたたしているところだった。
その会話に乗るように、彼女は彼らに耳を傾けた。
「原本があるはずがないってどういうことです?」
「言った通りの意味だヨ。……僕の知る限り、新教皇庁の連中はリストの原本なんて作っちゃァいない。
複製はあっても、原文が存在しないんだ」
「“複製があっても,原本は存在しない”とは妙なことをおっしゃいますな、ボルジア司教。
原本がないのに、どうやって複製すると?」
「“智天使(ケルビム)”だよ」
「“智天使”?」
「アルフォンソの側近の1人サ。何でもとんでもない記憶力の持ち主で、
新教皇庁の参加者の名前はすべて覚えてしまっているってウワサだ。君も、このことだったら知っているだろう?」
「ええ」
が電脳情報機のキーボードを叩きながら、“智天使”に関する情報を画面に表示させた。
この情報は新教皇庁のことを調べている間に見つかったもので、何かの役に立つのではないかと思って保存していたものだったのだ。
画面に映し出された映像を、部屋の中にいる全員が覗き込む。
そこには“智天使”の顔や性別、特徴などが事細かに書かれていた。
「“智天使”はボルジア司教が覚えていることに加えて、一般信徒の名前まで全部覚えています。
さらに彼は名簿だけではなく、会計記録から武器の隠し場所まで、敵の秘密で記憶してないものはないとのことです」
「これはすごい。……でも、デステ元大司教も無用心ですね。その人が裏切ったら、一切合財筒抜けになっちゃうのに」
「ああ、それはありえないネ。“智天使”は普通の会話が出来ないんだ」
「その通り。ただ情報を記憶して、聞かれた時にそれを答えるだけなの。だから、そう簡単に情報が漏れることはないわ」
“智天使”の知識は、電脳知性(コンピューター)並みに高いものだ。
電脳調律師(プログラマー)のポジションに立っているにとって、
彼に関して何も興味がないわけがないし、手に入れば、こっちの勝利は確実だ。
「ん? でも待ってください? その人を私達で確保出来れば万事解決じゃないですか!
異端審問で有力な対抗証拠になります!」
「見つけられればね」
と同じことを考えていたアベルが言うことに、アントニオが肩をすくめて答える。
「まず、“智天使”の生死が不明だ。もしアルフォンソと一緒に脱出したとしても―――」
「肝心のデステ元司教の居場所がわからない。教皇庁が全力で探し回って補足出来ない男を、
どうやって見つけるのかね、ナイトロード神父?」
アントニオの言葉を追うように言う“教授”の声に熱はなく、アベルは再び考え込むように俯いた。
事実、アルフォンソの居所は、以前からがプログラム「スクラクト」に探らせていた。
しかしその行動がなかなかつかめず、発見まで至っていない。
情報として入ったのは、彼らは北上しているのではないか、ということだけ。
しかしまだ確かな情報でないため報告していなかったのだ。
「情報が確定しない限り、全員に教えるわけにはいけない」。
これが、のモットーなのだ。
「この戦は諦めた方がよさそうだ。それより、もっと……、おや? どうしたのかね、神父トレス?」
特務分室の奥にある機材倉庫兼“教授”のラボから出てきたトレスは、小山のような荷物を抱えている。
その格好を見れば、誰もが驚くのは間違いなく、アベルが慌てて彼に問いたたす。
「そ、そんな格好でどこに行くんです、トレス君!?」
「……まさかあなた、強行突破しようとしているんじゃないでしょうね!!」
「肯定。これより、ラテラノ離宮を強襲してミラノ公を奪回する。妨害は実力をもって排除する。――以上」
「きょ、強襲って……、トレス君、あなた、何考えてんですか!」
とアベルが慌ててその場に立ち上がり、トレスの前に踊り出ようとした。
何とかしてでも止めなくてはならない。
「あのね、トレス。そんなことしたら、スフォルツァ猊下の立場が悪くなるだけなのよ!」
「さんの言う通りです。それに、そんなことしても何の解決にもなりません! 殺されるだけですよ!」
「殺される? 機械に生死は関係ない。――ただ、壊れるだけだ」
「そういう意味じゃなくて、トレス〜!!」
答えている意味が違うことに、は何とかしてトレスを止める方向へ持っていこうとした。
しかし、相手は機械化歩兵。そう簡単にいうことを聞くはずがない。
「俺はミラノ公の所有物だ。仮に彼女が死亡した場合、その後に存在を続ける意味はない。
――分かったらそこをどけ、ナイトロード神父、シスター・」
トレスはそう言うと、とアベルを軽く押した。
しかし、彼にとっての「軽く」は決して軽くなく、2人はそのまま開きかけていた扉に倒れかけた。
「――きゃあっ!」
女性らしき叫び声が聞こえたが、それはのものではない。
彼女はその声が聞こえた隣で、腰を抱えながら蹲っていた。
「いったぁ〜……、って、えっ?」
は起き上がりながら隣を見ると、そこにはグラマラスな女性の体を押し倒しているアベルの姿があった。
……こんな時に、何をしているんだ!
「あ、あたたた……。あ! すっ、すみま……」
「何、乗っかっているのよ、このノロマ神父!!」
「ウガッ!!」
の突っ込みは見事に相手の頭にヒットし、アベルの目が飛び出さんとばかりに見開いた。
それは妬いているのか、それとも単なる突っ込みなのかは定かではない。
「さん! 急に何を……!」
「理由を聞く前に、とっととどきなさい、とっとと!!」
「あ、す、すみませんでした! あの、お怪我は!?」
「いえ、私は大丈夫です。それより、神父様こそ……、頭、大丈夫ですか?」
アベルに押し出された若い女性はハスキーな声で返すと、アベルは慌ててその場に立ち上がり、
彼女の手を掴んで起き上がらせる手伝いをした。
その先に、の鋭い視線があることも知らず。
「すみません、ええっと、実は降誕祭(クリスマス)の余興の練習中でして……。ね、シスター・?」
「え、あ、ええ。そうなんですよ、ははっ……」
笑いながらも、顔は思いっきり引きつっている。
目は先ほどから変わらないのだが、アベルはそれを気にせず、ぶつかった女性に状況を話し始める。
「私達、教育劇をやるんですよ。そう、“13日のクリスマス”と言いましてね……」
「何が教育劇よ、全く。それより……」
この女性のことはアベルに任せても大丈夫そうなので、はトレスの説得に入るため、
彼の方に視線を動かした。相手は相変わらず、無表情にたくさんの武器を抱えたままだった。
「トレス、あなたが猊下を助けたいという気持ちも分かるし、それは私達だって一緒よ。
だからこうやって、作戦を練っているわけだしね。それに……」
小柄な神父の肩に手を置き、は彼の目を見つめる。
その目はまるで、子供を落ち着かせる母親のようだった。
「それにあなたが壊れてしまったら、誰よりもスフォルツァ猊下が悲しまれるわ。もちろん、アベルも“教授”も、
そして私もよ。最も私は、あなたがバラバラにされた状態でここに戻ってくる姿なんて想像したくもないわよ」
がここまで言うのにも意味がある。
5年前の戦いの後、ここまで復旧させたのは彼女と“教授”なのだ。
我が子同然で心配になるのは当たり前なこと。
だからこそ、こうして彼を説得する資格がある。
「だからちゃんと、みんなで話し合って決めましょう。今はまだ何も手がかりが見つかってないけど、
もしかしたらいい案が浮かんでくるかもしれないし。ね?」
「…………了解」
ようやくトレスが納得したように言うと、手にしていた武器達を戻すために、
再び“教授”のラボへと戻って行った。
その姿を見て、は大きくため息をつくと、再び視線をアベル達の方へ向けた。
奥から教授も出てきて、貴婦人に事情を説明している。
「……生憎ですが、猊下は今日はこちらにいらっしゃっておりません。それに、事前のお約束がない限り、
いかなる陳情なも受け付けない規則になっております。失礼ですが、マダム、どういったご用件で?」
“教授”が相手の貴婦人にそう問い掛けた時、は彼女の答えを聞くために、相手の顔を見た。
と、この時……。
彼女の体に、何かの「香り」が襲ってきたのだ。
しかもそれは単独ではない。無数の香りが入り混じっている。
それを思いっきり吸い込んだからなのか、一瞬呼吸が出来ず、体がゆっくりと前に倒れ始めた。
「――さん!!」
アベルが慌てて飛び出し、を支えるように受け止めた。
彼の胸の中で、何度も咽るように咳き込み続ける。
呼吸したくても、目の前にいる客人から漂う香りのせいで、逆に気分が悪くなっていく。
どうやら、つけている薔薇の香水が原因になっているらしい。
彼女自身、香水は至って問題ないのだが、薔薇だけはどうも好きになれなくて、
以前も何度か蒸せたことはあった。
しかし、こんなに強く咽たのは初めてだ。
「大丈夫ですか、さん!? 顔色、悪いですよ!!」
「う、うん。……ごめん、少し、外に出てきてもいい?」
「一緒に行きますか?」
「1人で平気。アベルはここで、こちらの方の話を“教授”達と聞いてあげて」
何とかして落ち着かせると、はアベルの側から離れ、
少しふらつきながらだが、屋上に向かう階段を上り始めた。
それを、冬の湖色をした碧眼の視線を感じながらも、この場では何も言えず、
ただそのまま上へ行くしかなかった。いや、正確には、振り返る力もないぐらいに弱っていたのだ。
いい感じでのどっ突きが(笑)。
まぁ、は相手が誰であろうと、勢いよく突っ込むので。
薔薇の香水は、私もそんなに得意ではありません。
すっきり系がを好むので、カルヴァン・クラインとか好きです。
で、この香水の謎については、「JUDGEMENT DAY」で明らかになります。
ちょっと原作とは外れてしまいますが、にだけ分かる「手段」を作りたかったので。
(ブラウザバック推奨)