屋上に到着し、いつも座っている場所に積もっている雪を払い落とし、その場に腰を下ろす。
冬の風が優しく包み込む中、荒い呼吸を何度も繰り返す。
まるで、窒息死を起こす寸前の人のようだ。
(一体、あの香りは何? 薔薇にしては、強すぎる……)
横にある柱に寄りかかり、ゆっくりと目を閉じる。
脳裏にまだ香りが残っていて、必死になって忘れようとするが、すぐに思い出してしまう。
これでは、いつ復活できるかなんて分からない。
少しでも、気を紛らわせるしかない。
はケープから小型電脳情報機(サブクロスケイグス)を取り出し、電源を入れた。
普通なら、電脳知性(コンピューター)をいじると余計に気分を悪くするケースが多いが、は逆に安心するのだ。
『気分は大丈夫か、わが主よ』
「まだちょっと辛いのよ、スクルー。あれ、何だったの?」
『1つは薔薇の香水なのは確かだが、もう1つは何なのか分からない』
「えっ、もっとたくさんの香りが混ざっているんじゃないの?」
『香り自体はそう感じるかもしれないが、正確には2つで複数の香りを引き出す役割を果たしているのだ』
「そう、だったのね……」
もう1つの香り。それが何なのか分からないが、体によくない香りなのには間違いない。
しかし彼女以外、その香りに反応した者がいなかった。
本当、羨ましい限りだ。
『ところで、わが主よ。アルフォンソ・デステの居場所が分かった』
「えっ、本当!?」
『アルフォンソ・デステは、北のエストニア伯国にいる。そこに“智天使”がいるかは、未だ掴めていない』
「そうなのね。でも、場所が分かってよかった……」
これで、1つ問題が解決した。これで“智天使”も一緒にいたらなおいいことだ。
はプログラム「スクラクト」の言葉を聞いて気が楽になったのか、呼吸が少しずつ収まってきた。
『どうやら、気が紛れたようだな、わが主よ』
「お陰様で。本当、ありがとう、スクルー」
『プログラム[フェリス]に依頼して、ガードを貼るか?』
「そうね。逆戻りだけは勘弁してもらいたいもの」
『了解した。戻って香りを感知し次第、すぐに発動するガードを依頼しておこう』
「そうしてくれると助かるわ。ありがとう」
ようやく彼女の顔に笑顔が戻ると、「彼」は安心したかのように、
プログラム「フェリス」に連絡プログラムを転送する準備を始めた。
それを見ながら、冷静を取り戻したは、今までのことを振り返りつつ、あの貴婦人について考え始めた。
よく考えてみると、あの香水には、以前から嗅いでいる、
ある「匂い」が隠されているような気がしてならないのだ。
その「匂い」が、薔薇の香水と混ざって、異様な香りを漂わせていたのかもしれない。
あれが純粋に香水だけなら、がここまで苦しむこともなかった。
「……スクルー」
『例の貴婦人については調査中だ』
「よかった。じゃ、そのまま調査を続けて」
『了解した。――プログラム[スクラクト]完全終了、――クリア』
プログラム「スクラクト」との交信を終わると、は一度小型電脳情報機の電源を消し、
上を見上げ、ゆっくり目を閉じた。
しばらくすると、闇の中に目の前に小さな「光」が灯り始める。
それにそっと触れ、強く抱きしめると、「光」はの体内に入っていき、徐々にだが安らぎを与えていった。
呼吸も、より落ちつきを取り戻していく。
(正体が分からない限り、相手に失礼なことをしたことには変わりないのよね……)
先ほどの貴婦人のことを思い出し、は心の中で呟いた。
香水1つ(なのかはまだ分からないが)で咽込んで、何も言わずここへ来たのだ。
普通ならそれは失礼なことをしたことになるわけで、謝罪しなくてはならないことだ。
とにかく戻ったら、すぐに謝らなくては。
そう思いながら、はゆっくりと目を開けた。
「……今年のクリスマスは、のんびり出来そうもないわね……」
ポツリと呟いた声が、冬の空に吸い込まれていった。
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「選択は君に任せるよ、神父アベル。――我々はどちらを選ぶべきか?」
“教授”の言葉に、アベルは困り果てたように周りを見回した。
しかし、その場にいる者全てが、一直線に彼へ注がれていた。
アンハント伯爵夫人クリスタが持っている手紙には、
新教皇庁にいる夫がエストニア伯国タリンにいることが記されている。
しかしそこに、肝心な“智天使”がいる保証はどこにもない。
それならば、ラテラノ離宮に突入して、カテリーナを救出する手段を考えた方がいいのか。
それが、アベルに課せられた選択肢だった。
だが、彼の答えはただ1つだった。
それに対しての迷いもないし、覚悟も決めている。
しかし彼の顔には、それとは全く違う迷いを覗かせていたのだった。
「……気分転換に、外の空気でも吸ってきたまえ、アベル君」
「えっ?」
「外は寒いけど、この雪景色は心が和むからネ。頭、スッキリして来るのには最高だと思うんだけど」
「それ、いい考えですな、ボルジア司教。ほら、アベル君。行って来たまえ」
アントニオの発言の意図が掴めたのか、“教授”がその場から立ち上がり、
奥にあるラボの中へ入っていった。
その姿を不思議そうに見ていたアベルが、彼に声をかける。
「あの〜、“教授”?」
「ちょっと、待ちたまえ。すぐに戻ってくるから」
その言葉通り、教授がラボから戻って来ると、
手にしていた赤いチェックのストールをアベルに渡し、満弁の笑みを浮かべた。
「このストールは、とにかく温かいのだよ。きっと、役に立つはずだ」
「おおっ、それは名案だネ! 確か、アルビオンのストールは温かいと聞いたけど、本当かい?」
「本当ですとも、司教。よろしければ今度、他のものもご覧になってみますか?」
だんだんこの2人が何を言いたいのか分かり、アベルは少し苦笑した。
こんな遠まわしにするぐらいなら、直接伝えてくれた方がよかったのに。
そんなことも思ったが、ここは2人の行為を無駄にするわけにもいかず、言葉を飲み込んだ。
「……分かりました。すぐに戻ってきます」
お礼を言うように頭を下げると、アベルは特務分室を出て、廊下を走り出した。
途中滑ったのか、大きな振動が伝わって来て、取り残された4人が少し驚いたのだが、
その様子を思い浮かべ、自然と笑いがこみ上げていった。
「全く、アベル君は不器用だねェ〜」
「それは彼だけではないと思いますがね、ボルジア司教。少なからずその言葉は、彼女にも言えることなのではないかと」
「ま、それもそうだね。それにしても、ボクなんていつも否定されてばかりで凹みっぱなしなのに、アベル君が羨ましいヨ」
「彼は彼女のことになると、いつでも真剣ですよ。ま、それも2人の言葉を借りれば『関係性』の問題なのかもしれませんが」
「何だね、その、『関係性』とは?」
「ナイトロード神父とシスター・の間には、ある『関係性』があると聞いている。しかしそれに関してはデータ不足だ」
「神父トレスのおっしゃる通りです。ま、とりあえず、君はアベル君に任せて、我々は両方の決断に対応出来る準備でもしていましょう」
“教授”が目の前にあるミントティを口に運び、
再びピンの刺さった地図を見つめ、思いつめたような顔する。
しかしそれが作り物だということがすぐに分かったのか、
アントニオは彼に気づかないように小さく笑ったのだった。
RAM4ではたくさん“フローリスト”の力が発揮されます。
体内治療もその1つ。しかし重症なものほど体力を使ってしまうため、
あまり使用しない方法でもあります。
“教授”の持っているチェックのストールなのですが、
アルビオン出身ということで採用させて頂きました。
スコットランド模様ですね。
昔はチェックのスカートとか好きでしたが、今はそんなかわいいものは似合わないのでいいです(汗)。
(ブラウザバック推奨)