春の暖かさが少しずつ変わろうとしていたある日、ミラノから“教授”と入れ替わりで戻って来たは、
トレスの修整プログラムなどの報告書をカテリーナに渡そうと、執務室に向かって歩いていた。
「あら? あれは……」
目の前から、僧服を来た2人の男が向かって来る。1人は背の高い神父、1人は浅黒い顔をした神父だった。
背の高い男はアベルなのは分かっている。長年つき合っている相手だ。見間違えることはない。
しかし、もう1人の男だけは、しばらくの間分からなかった。しかし数秒後、ようやく分かったようで、は相手に問い掛けた。
「レオン、10月までまだ先があるわよ? そんな仮装をして、どこに行くの?」
「……スゲー酷いこと言うんだな、」
がそう言うのも理由がある。普段のレオン・ガルシア・デ・アストゥリアス神父は、もっとだらしない格好をしている。
こんなにビシッとしていない。明日、何かありそうで怖いぐらいだ。
「さん、ミラノからお戻りになられていたのですね?」
「ええ。“教授”が昨日ミラノに着いたから、入れ替わりでね」
「そう言えば、拳銃屋、怪我したらしいな。大丈夫なのか?」
「感染ウイルスの反応もないし、修整プログラムもロードしておいたから大丈夫よ。ま、本人は至って変わらずだけど」
普段と違う男と、いつもと同じほえほえな男と共に、カテリーナがいる執務室まで進む。
……しかし、男2人の様子が、どうもおかしい。の中で、悪戯心が芽生えた。
「ところで、2人とも。今回の任務はどうだったの?」
「え、あ、ええ、そりゃあ、もう。ね、レオンさん?」
「あ、ああ。いつも通り、問題なくするんだぜ」
「ふ〜ん、問題なく、ねぇ〜……」
実は先日、ケイトから「妙な領収書が現れた」と連絡が入ったのだ。
とりあえず何なのか調べたら、“帝国”方向に向かう貨物船をまるまる1隻調達した、というものだったのだ。
一体、何があったのか、調べたところ……。
『“クルースニク02”と“ダンディライオン”の両者が、ネバーランド島でのジェームス・バレー教授の実験で使用された子供達を、
帝国に送り届けた模様』
と、いう、プログラム「スクラクト」からの返事が来たのだった。
「ま、無事に任務を終えてきたのなら、そんなに怯えないで、堂々とスフォルツァ猊下に報告することね」
「そ、そりゃあ、そうに決まっているだろ。なぁ、アベル?」
「もちろんですよ、さん。やだなぁ、そんな、変な勘違いしちゃいけませんよ。私達、ちゃんとやるべきことをやったから、
ここに戻って来たのです。そうじゃなかったら、ここにいませんって」
ますます怪しいと思って睨んだのだが、まぁそれも時間の問題だ。
あとはカテリーナに任せて、自分はとりあえず、トレスの報告だけすればいい。
はそう思い、アベルとレオンと共に、執務室に入ったのだった。
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「報告書は読ませてもらいました」
前に並ぶ2人に、カテリーナはねぎらいの声を上げた。
その様子を、後ろの来客用のソファーに座ったが、ケイトが出してくれた紅茶を飲みながら観察していた。
さて、いつまでこの体制が続くことやら。
「任務は滞りなく完了したようですね。2人ともご苦労様でした」
「お褒めに与かり光栄でございます!」
いつになく礼儀正しいレオンに、思わずプッと吹き出してしまう。
もしカテリーナがいなければ、きっとレオンは彼女を睨んだかもしれないが、そういうわけにはいかない。
本当、まるで、レオンがレオンでないようなのだから。
「ネバーランド島を根城に海賊行為を働いていたアルビオン貴族ジェームス・バレーのアジトを強襲。
バレー卿には逃げられたものの、同島の吸血鬼はすべて殲滅。アジトは完全に破壊しました。
「吸血鬼は殲滅したのですね?」
「「はっ!」」
本当は違うなど、口が裂けても言えないのだが。
「結構。さすがです。……ああ、そうそう。そういえば、ちょっとだけ確認しておきたいことがあるのですが、構わないかしら?」
「「は?」」
2人の体が、一瞬凍りつく。その理由が分かっているからこそ、は笑いを堪えるのが大変だった。
いつになったら、大声で笑えるのであろうか?
「確認とおっしゃられますと……」
「なんでしょう?」
「そんなに緊張しなくてもいいわ。ごく些細なことなの。……シスター・ケイト、いますか?」
<はい、猊下>
「妙な領収書が経費生産で出てきましたね? “帝国”方向に向かう貨物船をまるまる1隻調達(チャーター)したとか。
――あれは何だったのかしら?」
「さ、さて……、なんだったっけな、アベル君?」
「やっ、私、お金にはうとくてですね。3桁以上の金額見ると知恵熱が……」
「よろしい。確かに、Axの性格上、経費に不明瞭な点が出ることもあるかもしれませんね」
「そうですとも! さすがは、猊下。話が分かってらっしゃる」
「そうそう。そうですよ。……いや、持つべきは聡明な上司ですね、うんうん」
「嘘ばっか」と思いながらも、はまだ笑いを堪えていた。引きつった顔が想像出来る分、余計に苦しい。
そして、笑いがはじけるときが、ついにやって来る。
「ただし、事後において私を納得させられる報告がない以上、この支出を経費として認めるわけにはいきません。
……これは、貴方達の個人的な出費として扱います。シスター・ケイト、あとで2人宛に請求書を振り出しおいてちょうだい」
「「なにーっ!」」
アベルとレオンのショックな顔が目に浮かび、ついには声を上げて笑い出した。
かなり限界だったからか、なかなか笑いが止まらない。
「お、おい! そんなに笑わなくてもいいじゃねえか!!」
「だ、だって、おかしいんだもん、2人とも……。あ〜、駄目だ、笑いが止まらない……!!」
「酷いですよ、さん! それより、ど、ど、どうしましょう、レオンさん!? 私、たぶん世界で最も貧しい神父です!
逆立ちしたって、こんな大金……」
「んなことより、デマぶっこいてんのがばればれじゃねえか! なんか気合いの入った言い訳は用意しなかったのかよ!?」
「カテリーナさんに言い訳!? 私、そんな命知らずな真似は……」
<……あ、あの、猊下?>
ケイトが微動だりせぬカテリーナを覗き込むと、はようやく笑うのを止め、心配そうに彼女を見た。
「大丈夫ですか、猊下? 何か、お茶でも用意しますか?」
「熱いのをお願い。……それにしても」
頭痛をこらえる表情で額に指を当てると、カテリーナは珍しく深いため息をつき、とケイトに言った。
「子供(ガキ)だわ、2人とも」
「今に始まったことではありませんわよ、猊下」
<そうです。もっと厳しくしてもいいぐらいですわ>
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アベルとレオンが肩をガックシして出て行った後も、はなかなか笑いを止めることが出来ず、思わず吹き出しそうになった。
「あ、ごめんなさい、猊下。つい、思い出してしまって」
「いいえ。そもそも、このことを報告してくれたのは貴方でしたね。感謝します、シスター・」
「そんな、私はただ、当然のことをしただけですから」
来客用の席に座りなおし、ケイトが新しい紅茶を持って来た。
それを一口飲むと、はハッとしたように、ケイトに言った。
「これ、確かアップルティーよね? どこから手に入れたの?」
<さすが、さん。気づくと思いましたわ。ロンディニウムに、この茶葉を作っている工場があって、そこから手に入れましたの>
「これって、なかなか手に入らないことで有名なのよ。よく手に入れたわね」
<がんばって、待って購入したんです。もしよろしければ、少し持っていかれますか? 量を大目に購入したので、分けられますが>
「本当に!? じゃ、お言葉に甘えていただこうかしら?」
<はい。それでは、すぐに準備してきますね>
ケイトの立体映像が、の紅茶の準備をするために消える。
こうやって、いつも紅茶の交換をするのが、2人の間で密かに楽しみになっていた。
「さて、次はあなたの報告を聞きましょう」
カテリーナが自分の席から離れると、先ほどケイトが入れたアップルティーを持って、の前にあるソファーに腰掛けた。
いつの間にか、の報告を聞く時は、一人でない限り、こうして聞くことが当たり前になっていた。
「神父トレスの様態はどうですか? 感染しているところはないというのは、“教授”からお伺いしているけど」
「ええ。そのおかげで、修整プログラムも無事にロードしたわ。あともう少しで終わりそうだから、そうしたらすぐに任務に向かわせるように、
本人にすでに伝達済みよ」
「そうですか」
トレスの次の任務、それはアムステルダムでの任務を終えても戻って来ないユーグ・ドヴァトー神父の追跡だ。
も“教授”も、そのためにトレスの修理を早急に進めていたのだった。
「でも、思った以上に時間がかからなくてよかったわ。これも、あなたと“教授”のお陰ね。ありがとう」
「お礼は私より、ウィルにして欲しいわね。私はいつでも動ける身だけど、彼はそういうわけにはいかないから」
「そうですね。今度会った時にでも、お礼を言っておくわ」
カテリーナが安心したように言うと、は紅茶を一口飲み、ゆっくりとテーブルに置いた。
そう言えば、言わなくてはいけないことがあった……。
「カテリーナ、私、1つだけお願いがあるの」
「シスター・ノエルの件でしたら、先日、ノエル本人から聞いているわ」
「……さすがだわ、ノエル。手際が早いのは相変わらずね」
ミラノでトレスの修整プログラムを作成中、元Ax派遣執行官“ミストレス”であるノエル・ボウから、今彼女がいる聖メルセデス女子修道会にて、
毎週末に行われているミサに欠員が出たため、急遽に参加してもらいたいという連絡が入ったのだ。
その時は、とりあえずカテリーナの許可を貰わないと分からないと言って終わったのだが、どうやら自ら彼女に許可を貰おうと思ったらしい。
このあたりは、昔と変わっていない。
「で、許可はもらえるのかしら?」
「もちろんよ。第一、あのヴェネツィアの事件から、あなた、一度も休んでいないはずです。
今回も、本当は“教授”だけがミラノに行くはずだったのに、一緒に修理を手伝うと言い出すものだから、こっちとしては少し困ったわ」
「今後のこともあるから、新しいデータを入れておかなくちゃと思ってね。いいのよ、私は大丈夫だから。
ボランティアだと思えば、どうってことないわ」
「ま、あなたの場合、近郊だったら、交通費を払わなくてもすむから楽よ」
ローマからあまり離れていなければ、自動二輪車(モーターサイクル)で勝手に走っていってしまうだから、
ハイウェイを通らない限り、交通費の請求はない。その分、経理としても非常に助かっている。
<お待たせしました、さん。――あら、カテリーナ様、ここで大丈夫ですか?>
「ええ、平気よ。シスター・とこうやって、話がしたかっただけですから」
「私も、久し振りに猊下とこうやって話せて、嬉しかったところよ」
急に話し方を変えるのも大変だが、お互いに約束をしていることなので、大きなことがない限り、普段の喋り方に戻ることはない。
その辺は2人とも、しっかりと仮面をかぶれるようだ。
「ああ、そうそう。猊下、先ほどのアベルとレオンの件で、1つお願いがあるのです」
「お願い、ですか? 何でしょう?」
「実は……」
の発言は、実に驚く内容だった。それを聞くなり、カテリーナも、横にいたケイトも、思わず動きを止めてしまうような発言だったのだ。
「……それ、本気で言っているのですか、シスター・?」
「ええ。私、こう見えても、貯金ありますから」
<でも、もしそうされたとしても、レオン神父の方はどうなさるんですか? これじゃ少し、不公平になるのでは……>
「レオンはいいのよ。囚人だし、これも反省の1つにしておけばいいのだから」
ここまで話を聞いた時点で、カテリーナはが何を言いたいのか、検討がついたようだった。
そのことに気づいたのか、がカテリーナに、勝利の笑みを浮かべたのだった。
「……いいでしょう。あなたがそこまで言うのであれば、今回の件はなかったことにします。しかし、今回だけですよ」
「ありがとうございます。では、早速2人に報告してきます。ケイト、アップルティー、ありがとね。今夜にでも楽しく飲ませていただくわ」
はその場から立ち上がると、嬉しそうな顔をして、執務室を出て行った。
そんな彼女の後ろ姿を、カテリーナとケイトは呆気に取られたように見つめていた。
<全く、シスター・の仕事馬鹿にもほどがありますわね>
「いいえ、ケイト。今のは『仕事馬鹿』ではないわ」
<え?>
ケイトの不思議そうな顔を見て、カテリーナがクスリと笑う。そして、何もかも見抜いたような顔をして、彼女に言ったのだった。
「あれは、『仕事馬鹿』じゃなくて、『アベル馬鹿』よ」
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「いや、本当、助かったぜ、! これも、お前のお陰だ。ささ、好きなのを他のめや」
「本当? じゃ、ザッハトルテとセイロンティーにしようかしら?」
事の事情をアベルとレオンに話すと、レオンが嬉しそうな顔をして、にケーキやら紅茶やら奢ると言い出したのだ。
なぜかその場には、アベルも一緒に来ていたのだが。
「レオンさん、私、ガトーショコラがいいです」
「何でお前の分まで奢らにゃいけないんだよ、へっぽこ!」
「ぐおっ」
肘鉄を食らったアベルがその場に蹲ると、はその姿を呆れたように見つめ、途中、ウェイトレスを呼んだ。
「あ、彼に、ガトーショコラとミルクティーを」
「おいおい、。俺はこいつの……」
「私が払うなら、問題ないでしょ? いくら何でも、私だけが食べるわけにはいかないし。何なら、レオンも何か頼んだらどう? 実費で」
「ま、俺は甘い物は苦手だからいいや。それに、ここにいるだけでお腹いっぱいだし」
「それって、どういう意味よ?」
問い掛けた瞬間、レオンの顔が少しニンマリして、を見つめている。
何が言いたいのか分かったのか、はため息混じりで答える。
「言っとくけど、私はあなた好みじゃないわよ、レオン」
「いや、そうでもないぜ。スタイルいいし、きれいだし。俺、きれいな姉ちゃん、大好きでさぁ〜……、アチッ!」
言葉を遮るように、アベルが紅茶のポットを滑らして、レオンの太股にこぼしてしまったのだ。
大した量じゃないにしろ、中に入っているのは熱湯だ。熱くないわけがない。
「ごめんなさい、レオンさん! 大事なズボンが濡れてしまって!!」
「本当だよ、へっぽこ! どうしてくれるんだ! このズボンはなぁ〜!!」
「はいはい、2人とも、ここで喧嘩はやめなさいって」
そう宥めながらも、はアベルが何をしたかったのか予想がついた。
言葉で反抗することがあまりない彼だからこそ出来る、唯一の攻撃だったのかもしれない。
そう思ったら、だんだん笑いがこみ上げていった。
「……さん、私、何かおもしろいことしましたか?」
「いえ、いいのよ。私のことは気にしなくて……、フフッ」
「お、おい、一体どういう意味だよ?」
「本当、大したことじゃないから……」
再び笑いのツボにハマッたらしく、はお腹を抱えて笑い始める。その姿を、アベルもレオンも、ただ不思議そうに見つめるだけだった。
(アベル、私のこと、妬いてくれたのかしら?)
このこと答えを知る者は、たぶんアベルだけなのかもしれない。
はい、「NEVER LAND」でした。
がどうやって免除させたかは、ご想像にお任せします。
ま、言わなくても分かるかもしれませんけどね。
そうそう、最初のシーン、お分かりになったでしょうか?
10月と言えば、ハロウィン。つまり、仮装する日です。
それにちなんで、こんな表現をしてみましたが、いかがだったでしょうか?
ま、誰もがレオンのあの姿を見たら、そう思ってしまうでしょうね(笑)。
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