広場には、アルフォンソがローマ来訪を記念して寄進した方柱(オベリスク)が立っている。
 一昨日完成したばかりなため、汚れ1つなく、暗い闇に溶け込んでいる。

 歩いていくと、方柱の傍らに座っているカテリーナと、目の前に立ち尽くしているアベルを発見し、
 は少し安心したかのように、2人のところにかけだした。


「アベル! よかった、ちゃんと来ていたのね!?」
「ええ、まあ……」


 の喜んだ顔と引き換えに、アベルは未だに辛い顔を引きずっていた。
 気持ちは分からなくはないだが。


「……すみません、カテリーナさん、さん」


 ポツリ、アベルが静かに話し始める。
 声は小さく、俯いた顔は、月の光で閉ざされているため、どんな気持ちで話しているのか分からなかった。


「本当にすみません。私は……」
「……アベルが謝ることじゃ、ないわ」


 アベルと同じように、も静かに話し始める。
 その声が、誰もいないサン・ピエトロ広場に広がっていく。


「ノエルのことは、今もバルセロナで“ジプシークイーン”が調べてるし、私もスクルーに頼んで探してもらっている。
まぁ、プログラム・データで残っていないとなると、“ジプシークイーン”に頼らないといけなくなるけどね」
「ですが……」
「覚えていますか、アベル」
「え?」


 カテリーナの言葉に、アベルとが彼女の方を見下ろす。
 2人のロザリオに触れ、それを強く握った。


「十年前、私とがアベルに会った時のこと……。あの時、貴方と約束したことを、私は今でも覚えていますよ。も、覚えていますか?」
「……“俺は人間を守らなくちゃいけない。だから、君を助ける”」
「そう。そして、私はこう答えたわ。……なんて言ったか、覚えてる?」
「“私は人間の敵と戦わなくちゃいけない。だったら、一緒に戦いましょう”」
も、言ってくれたわよね」
「ええ。……“私も人間を守らなくちゃいけない。だから、アベルと共に貴方を助ける”と」


 の視界に、10年前のあの光景が蘇る。
 白い翼を広げる自分の姿と、黒い翼を広げる、彼の姿。
 その中に佇む、1人の少女の姿を。


「そして、あの時のことを忘れたことはない。――アベル、貴方の敵は私達の敵、あなたと私達は同じ剣を握っているのよ。
……だから、二度と1人で戦わないで」
「そうよ。辛いことがあったら、ちゃんと言って。全部、1人で抱えちゃ駄目よ。私はあなたの“フローリスト”なんだから、
無理なことも頼んでくれていいのだから」
「……ありがとう、カテリーナさん、さん。ほんとにありがと」
「どういたしまして」
「お礼は、紅茶1杯で許すわよ。ケーキ付きで」
「そんな財産、ないの知っているでしょう、さん」


 久し振りに聞くアベルの情けない声に、カテリーナとは思わず口が緩んでしまう。
 少しずつだが、もとのアベルに戻っていくようだったので安心したのだ。

 時計がもうじき9時を指すところだったので、カテリーナはその場に立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。


「では、そろそろ皆のところに戻りましょう。今頃、アレクが独りで怖がっているんじゃないかしら。終?の時間までには戻りますって言ったから」
「そう言えば、私もアルフォンソ様にそう言って来てたわ」
「護衛の貴方がいなくなったら、叔父様も大変でしょうしね」
「トレスとレオンがいるから大丈夫よ。お会いできたのは嬉しいけど、この格好で護衛するの、ちょっと抵抗があったから」
「そう言えば、その服、以前着ていたものですか?」
「ええ。グレゴリオ前聖下が、制服ぐらいあってもいいんじゃないかって、用意してくださったの。私はいいって言ったんだけどね」


 この服は確かに動きやすいのだが、着替えるのだけでも一苦労で、それだけで時間がかかってしまう。
 だから、この服を着るのはグレゴリオの前だけにして、普段は私服代わりの服を着ていたぐらいだ。
 まだ今の僧服の方が楽である。


「それにしても早いですね。……あれから、もう十年も経っちゃいましたか」
「時々思うことがあるわ、もしも、あんなことがなかったら……」
「なかったら?」
「私も、聖界などに入らず、あのまま大学に残って、誰か好きな人と結婚していたかもしれない。……でも、もしそうなったら、
兄上はやりたい放題だったでしょうね」
「そうなったら、私はきっと、教皇庁に戻されるわね」
「そうね。あの人は、放っておくとすぐに世界を敵に回したがる人だから。今頃、十字軍の2つや3つ、始めていたかもしれないわね」
「そうなったら、本当に大変よ。地球が破裂しちゃうわ」
「!?」


 カテリーナの言葉に、アベルが足がもつれ、危うく転びそうになったのを必死で踏み止まった。

「どうしたの、アベル?」
「カ、カテリーナさん、今、何て?」
「え?」
「すぐに敵に回したがる人……、そう言いませんでしたか?」
「え、ええ……」
「それが、どうかしたの?」


 掴み掛からんばかりに血相の変わったアベルの顔を、カテリーナとは不思議そうに見つめていた。
 一体、何があったのだろうか。


「そ、その言い回し、どこから聞きました? いや、誰に!?」
「これは確か、アルフォンソ様の、よね?」
「ええ。間違いなく、これは叔父上――アルフォンソ叔父よ。あの方が兄上に……」
「大司教に!? そ、それで、今、アルフォンソ大司教は!?」
「鐘楼にいるわよ。今度のローマを記念して、新しい鐘を奉納してくださったの。今夜の終?式で、それを聖別して……、アベル!?」
「広場にいて! 聖堂に入っちゃ駄目です! さん、カテリーナさんを止めてください!」
「ア、 アベル!? 一体、どうし……!」


 アベルを呼び止めようとした時、はあることに気がついた。
 それは最も大事なことで、下手したら、大変なことを招くであろうことだった。


、何か分かったのですか?」
「……鐘よ」
「え?」
「アルフォンソ様が奉納した鐘よ! もしかしたら、あの中に兵器があるかもしれない」
「でも、そんな! 叔父様がそんなことを……」
「確かに、ローマの教会にある鐘はチェック済みだし、ここはテロの情報が入ってから、メディチ猊下と警察が重要な警戒態勢を強いている。
けど、アルフォンソ様自身が奉納した鐘はチェックされてないし、ノーチェックでローマに入ったのも、アルフォンソ様自身よ。そうなると……」
「行きましょう、。アベル1人では、抑えられないわ」
「ええ。……全く、結局こうなるんだから!」



 とカテリーナが急いで聖堂に向かって走り出すと、聖堂の奥からアベルの旧式回転拳銃(パーカッション・リボルバー)の音が鳴り響いていた。

(緊急のこととはいえど、場所で発砲するだなんて!)

 アベルの気持ちは分からなくはないが、発砲までする必要はないはずだ。そんなことをしたら、立場は逆方向に行く一方だ。

 は腕時計式リストバンドの円盤を「3」にセットして、ボタンを押す。
 下から細い基盤の針が手首に触れ、文字盤から緑の光を放つと、すぐに声が聞こえてきた。


『聞こえているか、わが主よ』
「バッチリよ、スクルー」
『アルフォンソ大司教が奉納した鐘については、今調査中だ。しばらく待たれよ』
「ありがと! 任せたわ」


 プログラム「スクラクト」に言うと、聖堂の扉を勢いよく開ける。
 息を切らしながら中の様子を見て、の顔が一瞬引きつった。


「い、異端、審問官……!」


 奥では、レオンが投げ損ねた戦輪(チャクラム)を虚しく指先で回転させ、戦慄に引きつっている。
 斧槍衛兵達でさえ、彼らの登場で動きを止めてしまっている。


「ご苦労だった、ブラザー・ヤコブ、シスター・シモーヌ。……退がってよい」


 沈黙の中、フランチェスコの声が響き渡り、2人の派遣執行官は彼の前で一礼し、不気味な沈黙と共に退く。
 アベルは首筋に2本の細い針が刺されており、一切の随意筋の昨日を失って、立ち尽くしているだけだった。

 はカテリーナの側から離れると、レオン達のところまでかけよる。
 レオンがすぐに、事の説明を彼女に求めた。


、これ、どういうことだ?」
「それが……」
「どこかで見たことのある顔だが……。さて、これはどういうことだ、カテリーナ? 説明しろ!」


 の発言を遮るように、フランチェスコが戸口で息を切らしているカテリーナに怒鳴りつけている。

「確か、この男は貴様の部下だったな? まさか、貴様、叔父上を殺めたてまつろうなどと……」
「メディチ猊下、その説明は私が……」
「ミラノ公とその男は無関係だ」

 フランチェスコに事の真相を言おうとした矢先、レオンの横にいるトレスが口を開き、の発言を妨げた。
「その男、アベル・ナイトロードは、本日18時54分、国務聖省を依願退職している」
「お、おい、トレス!」
「聖職服務規程3条4項ならびに8項に基づき、その男に着いて、国務聖省は一切関知しない。完全に無関係だ」
「そんな、勝手に決めつけるだなんて……!」
「『勝手』? 否定だ、シスター・。アベル・ナイトロードは、確かにそう俺達に言った。卿もその場にいて、確認したはずだ」
「だからってそんな、すぐに決めつけなくてもいいでしょう!」
「……よかろう」


 トレスの言っていることを理解したのか、しばらく見据えていたフランチェスコは顎を引き、カテリーナに向かって言う。

「その男は我らが逮捕しよう。無関係と言うなら、カテリーナ、お前もよもや文句はあるまい?」
「し、しかし……」
「“しかし”――何だ?」
「……いえ、兄上のよろしきように」


 フランチェスコに抵抗したが、ぎろりと動いた視線によって阻止され、そのまま指示に従うしかなかった。
 それを見たが、相手に反抗する。


「メディチ猊下、何も理由をご存知にならずに、彼を逮捕するのですか?」
「お前も抵抗するのか、シスター・?」
「彼が逮捕される理由などないと言っているのです。それに、神父トレスは退職したとおっしゃっていましたが、
彼はまだ我々と同じ、国務聖省の者なのには変わりありません」
「それなら、何かあるのか?」
「あります。それは……」


 が言いかけた時、アベルの視界が、何かを訴えるように見つめていることに気づいた。
それを理解したのか、は少し呆れたように、発しようとした言葉を飲んだ。


「……いえ、何もございません、猊下」


 本当は言いたいことがあったのに、言えない自分に腹が立つ。
 しかしアベルには、何か考えがあって、彼女を阻止したのかもしれない。
 そしてそれは、いつも正確に的を撃っている。今回もきっと、そうに違いない。
 はそう信じ、フランチェスコに頭を深く下げた。


「軽はずみで物事を申すとは、お前らしくないな、シスター・。まぁよい、こ奴を拘禁しろ。
事が済んだら、じっくり調べる。国務聖省との関係も含めてな。……申し訳ございませんでした、叔父君。とんだ粗相を」
「い、いや、お気にめさるな、御両人。その、何かあったのか知らぬが、終?を続けてよいかね?」
「無論で――」
「お待ちを、叔父様」


 アルフォンソの腕が紐に伸びたが、その腕を、カテリーナがそれを止めた。
 それを、は少し驚いたように見つめていた。


「終?はひとまず中止なさって下さいませ」
「カテリーナ、貴様、まだそのような戯言を!」


 フランチェスコがカテリーナに怒声を浴びさせている時、は背後で斧槍衛兵達に引き立てていくアベルを見ていた。
 その時、何かを訴えるようにカテリーナを見つめ、彼女は無言で頷く。
 最後にの方を見て、何か言いたそうに再び見つめられた。
 その内容を読み取ったのか、が1つため息をつき、軽く手でサインを送った。

 が説得しても、きっとアルフォンソはすぐに振り向かない。
 いくら元聖下の護衛係だったからと言っても、すぐには信用してもらえるはずがない。
 現に彼女は、一度彼を裏切っている。きっと今回も、同じように思われるだけだ。

 しかし、カテリーナなら……。


「アルフォンソ叔父様、私は叔父様を疑うつもりはありません。……ですが、あの鐘を一度調べさせていただけませんでしょうか? 
鐘に危険物が仕込まれている恐れがあります」
「カテリーナ、貴様、狂ったか!」
「お待ちなさい、フランチェスコ殿。つまり、カテリーナ殿。……あなたは、私よりも、あの部下の方を信用されるのですね? 叔父である私よりも」
「……申し訳ありません、叔父様。私は部下の判断を信じます」
「分かりました」


 アルフォンソが了解したように言った時、彼女の腕時計式リストバンドが振動して、再び緑に光った。
 ここで応対してもいいが、声を出して話すわけにもいかない。
 ……自分の意識を、プログラムに集中させるしか方法がない。


(何か分かったの、スクルー?)
『アルフォンソ大司教の鐘についての結果が出た。あの鐘は……』
「……ですが、調べる手間をあなたにおかけするのは心苦しい」


 プログラム「スクラクト」からの結果を聞く前に、アルフォンソの言葉が大きくなり、カテリーナの指に添えられた手が強くなっていく。
 それを見ながら、は調査結果に耳を傾けた。



『あの鐘には……』
「今、ここで」
『“サイレント・ノイズ”は装着されていない』
「我が潔白を明らかにしましょう」




 法王宮内に、鐘の音だけが、静かに響き渡っているのだった。









十年前、カテリーナの護衛をしていた時にアベルと再会したという設定なので、3人で一緒にしてしまいました。
本当はレオンとトレスとともに、アルフォンソとアレッサンドロの護衛をする予定だったんですけどね。
こっちの方がしっくり来たので、こちらを採用させて頂きました。

それにしても……、フランチェスコ、強すぎ(爆)。
カテリーナはもちろん、まで圧倒させるのですから。
はアベルに止められたのですが)
昔のは、相手が誰であろうが、ズカズカ言う性格でしたけどね。

ま、過去の話は、またいつか公開するということで……。



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