雨の降った後を走る音が、待ち中に響いている。
1つではない。
6つぐらいであろうか。
「逃がすかっ!」
後方にいる集団の1人が叫ぶが、最前の者は振り向くことなく走り続けていた。
その姿は、まるで何かに怯えているようにも見える。
「うわっ!」
濡れた地面に滑り、その場に転んでしまう。
慌てて立ち上がろうとするが、再び滑ってそれすら出来ない。
だがそれでも逃げようと、四つん馬の体制で前へ進む。
だが――。
「動くなっ!」
突然の声と共に、頬に痛みが走る。
目の前の地面には、何かが埋め込まれたかのように白煙が1本上り、
それと同時に、頬から赤いものが地面に落ちた。
「大人しくしないと、“血の丘”に行く前に棺桶行きにするぞ!」
集団の長らしき人物が言うと、手にしている散弾銃の銃口を向けてニヤリと笑う。
引き金に指を添え、それを一気に引き、相手の肩を貫く――。
「うがっ!」
後方で声が上がり、思わず引き金を引く手が止まってしまう。
そして振り返ってみれば、仲間の1人の肩から大量の血が流れ出している。
「一体、誰の仕業――!?」
リーダー格の男の発言を中断させるように、左側から銃声が3回聞こえ、
自分の部下にあたる残りの3人の肩や膝を貫通していく。
そして彼らが痛みのあまりに崩れていく姿を、彼は唖然としながら見つめていた。
おかしい。
ここにいるのは自分達と、この男しかいないなず……。
「だ、誰だっ!? 誰かいるのか!?」
周りを見まわしても、人らしき姿はない。
手に持っている散弾銃をしっかり構え、いつでも攻撃出来るような体勢でいるのだが、
相手の姿が見えないのではそれも無意味に等しい。
コツン。
足音らしきものが耳に入ったのは、リーダー格の男が辺りを警戒し始めて数秒立ったころだった。
位置からすると、右手に見える細道からのようだ。
「そこにいるのは誰だ!?」
音が聞こえた方向に向け、一気に引き金を引く。
銃声が轟音のごとく響き渡り、そして何かが落ちた音がした――その時。
「ぐわーっ!」
突然、右肩に激しい痛みを感じ、散弾銃が地面に落ちた。
だがその場に崩れることなく、近くの壁に凭れ、何とか体を固定した。
コツン、コツンと、再び靴の音がする。
そして細道の闇から、何かが浮き上がったかのように姿を現した。
「お、女……?」
曇る視界の先に見えた人物を見て、唖然とした声を上げる。
所々に黒のメッシュが入った茶色のロングヘアーの髪を風に靡かせ、
黒のロングコートに黒のパンツとブーツ、左手には茶色のトランクをしっかりと握り締め、
右手には1つの銃を握りしめていた。
その銃はどう見ても短機関銃にしか見えない。
「た、たかが女の分際で、市警軍である俺達を……、があっ!」
いつの間にか向けられた銃口の先から飛び出した銃弾が、今度は左膝を貫いていく。
今度こそ体勢を支えるのが困難になり、その場に横たわるようにしゃがみ込んでしまった。
この痛み、単なる短機関銃ではない。
まるで、強装弾で撃たれたような感覚だ。
「……消えなさい」
闇に溶け込むかのように響く声に、うずくまった者すべてが硬直する。
「さもないと、もっと痛い目にあうわよ」
「……ふざけるなあっ!」
痛みを堪え、転がり込んでいた散弾銃を、撃たれていない左手で何とかして掴むと、再び銃口を向ける。
だが引き金を引こうとして指を添えた矢先、それを外させるかのように相手が左手を蹴り上げ、
そのまま散弾銃が後方へ飛ばされてしまった。
それと同時に、先ほど撃たれた右肩に激しい痛みが走る。
蹴り上げた足で、そのまま踏みつけられてしまっているのだ。
「ぐあああああああっ!」
男の叫び声が、闇の空に響き渡る。
腕など、すべて取っても、女のものとは思えない力だ。
「言ったでしょう? もっと痛い目にあう、と」
強まる力に、リーダー格の男の顔はどんどんしかめていく。
左膝からの出血も手伝ってか、同時に顔も青ざめていく。
「こっちはこっちで、かなり腹が立っているのよ。折角、上司が長期休暇を与えてくれたから、
こうやって旅が出来るようになったというのに、よく邪魔してくれたわね」
「わ、分かった……。分かったから、足を離してくれ……、ぐああああっ!」
「それじゃ、彼を解放してくれるわね?」
「そ、それは……」
「解放しない、ということ? ……それじゃ、もっと体に穴開けても、いいってことね?」
「や、や、やめてくれ……!」
頭上に向けられた銃口に、相手の顔が恐怖の色で染まっていく。
引き金に指が伸び、そのまま引こうとした矢先――。
「少尉から離れろー!!」
横から流れる銃弾に、女は引き金を引く動きを止めてしまった。
が、降り注がれる銃弾をよけることなく、
その代わり、左手に持っていたトランクを滑らせるように後方へ移動させた。
銃弾はまっすく、彼女の方へ飛んでいった――はずだった。
しかし、彼女の左腕につけられている腕時計らしきものが白く光ったのと同時に、
まるで時間が止まったかのように銃弾が彼女の数センチ前で止まったのだ。
「な、何なんだ、貴様……!」
ぱらぱらと地面に落ちていく銃弾を見ながら、攻撃を仕掛けた者すべてが硬直してしまった。
そしてその直後、彼らの体に新たなる痛みが走り始める。
「うわあああああっ!!」
新しく受けた攻撃に、相手は次々と倒れていく。
彼女が左手で握っている短機関銃からは1本の白煙が上がっている。
一体、いつ取り出したのだろうか?
「さっ、次はあなたの番……と、言いたいところだけど、気絶したんじゃ意味ないわね」
目の前で起こった攻撃を目撃したからか、それとも多量出血によって貧血を起こしたのか、
リーダー格の男は白目を出して気絶してしまっていた。
だが、息の根まで止まっていないことが分かっていた彼女は特に気にすることなく、
肩から足を上げて、2挺の短機関銃を懐に収め、トランクが飛んだ場所まで足を進めた。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「あ、いえ、ありません……」
トランクを左手で持ち上げると、空いている右手で、
襲われていた男の手をしっかり握り、その場に立ち上がらせる。
そして、先ほどのことが何もなかったかのように、彼女は相手に問い掛けた。
「そう、美味しいウィスキーを飲ませてくれる場所、知ってますか?」
「え、ウィスキー、ですか?」
「ええ。あ、別にバーとか、そういう洒落たところじゃなくてもいいんです。こう、
気兼ねなく飲める場所、と言うか……」
先ほどの鋭い目から一転して、柔らかく、温かな目に、彼は鼓動が弾けそうだった。
これが、先ほどの人物と同一の人物なのだろうか?
「……とにかく、ゆっくりと飲めるところを紹介して欲しいのです。どこかいいお店、ありますか?」
「え、ああ、はい。よかったら、その……、僕の知り合いのところはどうですか? ウィスキーだけでなく、
ワインなんかも美味しいんです」
「そうですか。それじゃ、そこを案内して下さい」
「はい。……あの」
歩き始めようとするのを止め、男は彼女に再び声をかける。
先ほどまでの惨劇を振り払うかのように、黒のコートを右手ではらっている手を動かしながら、
彼女が視線だけを彼に向ける。
「失礼ですが、お名前、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
男の言葉に、コートを振り払う手が自然と止まる。
そして一瞬考えたのち、彼女は男の前に右手を差し出して名乗ったのだった。
「ローマ特務警察特殊部隊大尉、・よ。……よろしく」
(ブラウザバック推奨)