あれから、もう何年の月日が立っただろうか。
・は昔のことを思い出しながら、
その時に紹介された酒場の扉の前に立っていた。
今日はいつもと格好が違っていた。
黒のハイネックセーターの上に、カーキーのPコートを羽織り、首元には白のマフラーが巻かれている。
腰まである長い髪はグレイの帽子の中に隠されてはいるが、襟足から少しだけ顔を覗かせていた。
下は黒のジーンズに黒の雪対策用のブーツを履き、右肩には茶色のナップを背負い、
左手にはこげ茶のトランクを握っていた。
「さて、行きますか」
扉を開けると、そこには何人かの店員が開店準備のため、
テーブルや椅子を並べているところだった。
それも突然の客に、思わず手が止まってしまう。
「すまないが、まだ開店前なんだ」
「ええ、知っていますわ。ただ、探している人がいまして。こちらで物音が聞こえたので、
もしかしたら誰かいらっしゃるのではないかと思ったんです」
柔らかく向けられた笑顔に、彼女の応対をした男がドキッとする。
こんな笑顔を見せる女性に、今まで会ったことがないようだ。
「……で、誰をお探しで?」
「“パルチザン”という集団らしいんですけど、そこに私の知人がいましてね。よかったらその人に……」
「そんな集団、ここにはねえぜ、お嬢さん」
後方から聞こえる声と同時に、の横に何かが飛んで来るのが分かり、
彼女はそれを避けるように、軽く頭を右に動かした。
後ろの壁に突き刺ささる音が聞こえ、その方に視線を向ければ、
太矢が真っ直ぐ刺さっている。
「ま、あったとしても、そう簡単に会わせられないけどな」
「おい、やめろよ、お前。……ああ、すまないね。こいつ、短期な性格なもので」
「いいえ、お気になさらず。……私もそんなに素直に、聞き出せるとは思っていませんでしたし」
右肩にかけている茶色のナップと、左手に握っているトランクをその場に置くと、
黒の手袋を外し、その場にいる人数を数え始めた。
――ざっと7人ぐらいだろうか。
「おっ、やる気満万、てことか、姉ちゃんよ?」
「おい、本当にやめ……!」
最初にに声をかけた男が止めに入ろうとしたが、横に押し倒され、床にすべり出す。
それと同時に、の前に拳が飛び込んできた。
それがの頬を華麗に殴り、その場に倒れこむ――。
「うがっ!」
誰もがそう思ったのだが、倒れたのはではなく、襲いかかって来た男の方だった。
どうやら腹部を蹴られたらしく、その場にしゃがみ込んでしまっている。
「こ、このアマー!!」
目の前で起こった攻撃を目の当たりにした者達全員が、に向かって突進して来る。
ある者は拳を上げ、ある者は足を振り上げる。
しかしそれを、はなんなくかわして、逆に攻撃を仕掛けていった。
がしゃがんだ上空で、拳が空回りし、華麗な右手首が相手の顎を勢いよく叩きつけられ崩れる者、
体制を整えたのと同時に殴りかかろうとしたが、
そのまま後方に下がったの足が腹部に的中してしゃがみ込む者、
または後方から取り押さえたが、腹部に右肘鉄を受けた上、振り上げられた右手首が顔面を直撃し、
顔を押さえたままフラフラになって崩れる者。
何とかしてを倒そうとするが、どれもことごとく失敗してばかりだ。
「くそっ、こうなったら……!」
から少し離れた位置まで移動していったのは、最初に攻撃を繰り出した男だった。
懐に隠していあったと思われるナイフをしっかりと握り締め、
一気にの方へめがけて突進し始めた。
「ハアアアアアッ!」
一瞬、ナイフがの顔の前を横切ると、襟足の髪が数本スパッと切られてしまっていた。
どうやら、本物のナイフらしい。
「ちょっと! 肉眼戦にナイフ持参って、反則じゃないの!?」
「そんなもん、ここには関係ねえよ!!」
そう言って、再びナイフを突きつけられたが、
にとっては大した問題ではなかったらしい。
そのナイフを掴んでいる腕を掴んだまま、
まるで背負い投げをするかのように腕を肩に乗せ、相手を背負い投げしたのだから。
「ぐあーっ!」
床に背中を叩きつけられた男の手からナイフが落ちると、
はそのナイフを掴み、上空から真っ直ぐ振り下ろした。
その先が、真っ直ぐ男の真横をつらぬいでいく。
「ひっ……!」
貫かれたナイフを横目に、顔が一気に青ざめていくのがよく分かる。
額に嫌な汗を感じながら、真正面から見つめるの顔をびくびくしながら見つめる。
は得に変わることなく、いたって冷静のようだ。
「さ、これで諦めがついたでしょ?」
その場から立ちあがり、かぶっていた帽子を取ると、
そこから流れるように長い髪が落ちていった。
茶色の髪に黒メッシュが入り、1本1本がさらさらと輝いている。
「な、何かあったのか!? ……ん?」
新たな声に、その場にいた者すべてが、地下へ続く階段に視線を向けた。
そこから上ってくるのは、太い体をした男だ。
「お前は……、……! ・大尉じゃないか!」
「お久しぶりです、イグナーツさん。お元気そうで何よりですわ」
「いやいや、も元気そうだな。会うのは……、13年ぶりか? そのわりには、どこも変わらず別品さんだな」
「ありがとうございます」
大きな体を支えながら、この酒場の店主であるイグナーツがの方へ駆け寄ってくる。
久々の再会を喜ぶかのように握られた手が、懐かしさを感じさせる。
「それにしても、また派手にやり追ったようだな。相変わらず、活発なお嬢さんだ」
「活発だなんて。最初に攻撃を仕掛けてきたのは、彼らからなんですよ?」
「だってこいつ、“パルチザン”のことを……!」
攻撃を受けた1人の発言を横切るかのように、酒場の扉が再び開かれた。
少し強い日差しが室内を照らし出し、そして再び閉められた。
「……何なんだ、これは!?」
「気にすることないぜ、ディートリッヒ。俺の昔馴染みに攻撃したこいつらがいけねえんだからよ」
中に入って来た男に、イグナーツは安心する感じで相手の肩を叩いた。
そして突き刺したナイフを抜くためにしゃがんだを紹介する。
「紹介するぜ、ディードリッヒ。俺の昔馴染みで、ローマの特務警察特殊部隊大尉の・だ」
「特務警察大尉? ――もしかして、以前イグナーツさんが言っていた、
1人の少尉クラスの人間――そいつは確か強化人間だったはず――を含んだ5人もの
市警軍を1人で倒したっていう人ですか!?」
ディードリッヒと名乗る男の発言は、その場にいた者すべてを驚かせた。
何せ、この国を支配しているハンガリア侯爵の飼い犬である市警軍を、
その上、その場にいた強化人間だった少尉を、
この目の前にいる女性が倒したというのだから驚かないはずはない。
「・よ。正確に言えば、元特務警察特殊部隊大尉なんだけどね。数日前に退役しているから。
……あなたが、“パルチザン”のリーダー?」
「いいえ。僕はディードリッヒ・フォン・ローエングリューンといいます。イシュトヴァーン人類解放戦線、
“パルチザン”の参謀という立場にいるものです」
差し出されたディードリッヒの手を、は笑顔で握手をする。
しかしその影で、鋭い視線を向けられていることに、きっと相手は気づいていないだろう。
「で、我々のことはどうやってお知りになったのですか、大尉?」
「その『大尉』というのはなしにして、ディードリッヒ。それと、敬語もね」
「……分かった。で、質問の答えは?」
「13年前にこの街を旅していた時、すでに今のような制度がしっかりと固まっていてね。
重税に苦しみながらも、頑張って生きようとしている市民達の姿が心のしっかりと焼き付いて、
なかなか離れなかったの……」
昔を思い出すかのように、は少しだけ俯いた。
その拳は強く握られ、血が流れそうなぐらいだ。
「ローマに戻って、上司に何度も立て突いたんだけど、何も対策を施してくれなくて、
何やかんや言われて、全部拒否された。それが許せなかったの。こんなに苦しんでいる人達がいるというのに、
何もしようとしない教皇庁を恨んだ。だから退役したら、すぐにここへ来て、市民達を助けようって心に決めたの。
その情報収集をしている最中に“パルチザン”の名前が出てきて……」
「……理由はよく分かったよ、」
強く握り締めている手を解くかのように、ディードリッヒが優しくその手を握り締めた。
広げてみれば、掌にはくっきりと爪の跡が残っており、所々血がにじみ出ている。
「リーダーには、僕の方からよく言っておく。君は何も心配することなく、ここにいればいい。
そして、僕達と一緒に戦って欲しい」
「ディートリッヒ……。……ありがとう」
優しく向けられた笑顔に、は安心したように微笑み返す。
その顔を見て、ディードリッヒもまた安心し、近くにいるイグナーツに声をかけた。
「イグナーツさん。彼女に部屋を用意してあげて下さい。泊まれる場所と言ったら、
ここぐらいしかありませんから」
「おう、勿論だ。ちょうど、1室空いているしな。……ほれ、いつまで倒れているんだ、お前達は!
とっとと開店準備しやがれ!」
唖然と見つめていた男達を促すようにイグナーツが声を張り上げると、
慌ててその場に立ち上がり、一斉にテーブルと椅子を並べ始めた。
その様子に、がくすりと笑うと、部屋を案内すると言うイグナーツの後を追うように歩き出した。
その姿を、ディードリッヒが微笑ましく、そして何かを確認したかのように見つめていた。
「ゲームの幕は切って落とされた、か……」
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