案内された部屋は清潔感があり、ベッドに引かれているシーツが眩しいほどに白く輝いていた。




「なかなか、いい部屋じゃないですか」

「へへ〜っ。こんな貧富な国だが、これぐらいのことはしねえとな」




 誇らしげに微笑むイグナーツにがかすかに笑うと、

トランクとナップをベッドの横に置き、その上に腰を下ろした。




「それじゃ俺は、店の開店準備をしなきゃいけねえから」

「ああ、はい。本当、ありがとうございます」

「いや、何、相手がならお安い御用だ。……おっと、言わなきゃいけねえことがあった」




 部屋を出ようとしたイグナーツが足を止めると、の方を真面目な顔で見つめる。

それはまるで、思い出したくないことを思い出したかのように、少しだけ顔が青ざめている。




「……どうしたんですか?」

「いや、その……、ダグのことなのだが……」

「ダグ? ……ああ、私が助けた人、ですよね。お元気ですか?」

「それがだな、。……あいつ、殺されたんだ。……市警軍の奴らにな」




 突然の発言に、の顔の血の気が一気に引いたのが分かるほどに驚き、目を大きく見開いた。

まさか、自分が帰った後に殺されたのでは……。




「殺されたって……、まさか私が、あんなことをしたから……」

「いや、お前さんのせいなんかじゃねえ。もとからあいつ、支払わなくちゃいけない税金が払えなくなって

市警軍に追われていたんだ」

「その彼を私が助けて、ここに連れて来てもらって……」

「ああ。で、お前さんはそのまま、仲間と会って帰っただろ? その直後、あいつは連れ去られたってわけだ」




 重い税金を支払えなくなった者は、西街区(ブダ)にある“血の丘(ヴェールヘジュン)”へ連行され、

そこから帰って来る者は誰1人として現れないのだと言う。

この国のことについて、ある程度の知識は持っていただったが、

地元人から聞く事実は思った以上に衝撃的だった。




「あれから、もう13年も立っちまっているから、生きている保証などない。

現に“パルチザン”と名乗って監獄された人達を助けたりしてはいるが、ダグの姿だけは……」

「見つからなかった、ということですね」




 行き詰まったイグナーツの後を追うように、が静かに言葉を発する。

その場の雰囲気が一瞬静まり返り、部屋の中にある時計の秒針の音が響き渡っていた。




「……まっ、あいつも今の俺達を見てくれているだろうし、の帰りを一番に喜んでいると思う。

だからこの話は、これで終わりにしようや」

「……そうですね」




 そろそろ店に戻るなという言葉を残し、イグナーツは部屋を後にしたが、

は彼がいなくなっても、その場からすぐに動こうとはしなかった。

数分、何かを考えるかのように目を閉じ、そしてゆっくりと開けると、

目の前に小さな光らしきものが宙を浮いていた。

光が強すぎてよく分からないが、それがどことなく人の形をしているようにも見える。




『事は……、相当深刻になっているようね』

「ええ……。……やっぱり私、ここに残るべきだったのかしら」

『でも残れば、間違いなくあなたが犠牲になっていたわ』

「……確かにそうね」




 光り輝く「者」から聞こえる声に、は何の抵抗もなく答えると、

右耳の黒十字のピアスを指で弾く。

甲高い音が響き渡るのと同時に、はその奥にいるであろう人物に声をかける。




「フェリー、防壁シールドを貼って欲しいの。……あまり聞かれたくないからね」

『了解しました、わが主よ』




 耳元から聞こえる声と共に、部屋中に何やら分厚い透明ガラスのようなものが張り巡らされ、

まるで防音部屋のようにすべての音が遮断される。

この状態では、どんなに叫んでも、外に音が漏れる心配もないため、

何の遠慮もなく作業が出来る。



 シールドが完璧に貼られたのを確認すると、その場から立ち上がり、

身につけているコートとマフラーを取り、ハンガーへかける。

トランクをベッドの上に置くと、トランクの暗証番号を解除し、蓋を開けた。

中には衣類は勿論のこと、電子コンロにティーポット、

どこかの有名メーカーと思われる紅茶の缶にマグカップが入っていた。




『相変わらず、紅茶だけは手放さないのね』

「どんなに遠くへ行っても、これだけは道連れよ」




 はそう言って、トランクの中央部に置かれている長方形のものを取り出すと、

壁際にある机の上に置いて、蓋を開けた。

電源を入れ、キーボードを動かすと、画面にどこかの地図が映し出され、

所々に見える点滅の位置を確認した。




「……この距離からして、アベルが到着するのって、夕方ぐらいじゃない?」

『正確な到着時間は、PM6:15。トレス・イクスの連絡によれば、今夜、

ターゲットが戻って来る、というのだから……』

「下手したらぶつかる、ということね」




 結論を突きとめたかのように言うの声は、酷く呆れたようにも聞こえる。

「夜は危険だから、それまでには来なさい」と言ったのにも関わらず、

到着が夜になるのだから仕方ない。




「セフィー、市警軍の動きはどう?」

『未だ、動きは見えません』

『だが、あと35分後には行動を開始すると見られる。よって、“クルースニク02”は、

完璧に敵と遭遇することになる』

「本当、厄介な時間に来るんだから……」




 耳元から聞こえる2つの声に、は呆れたように大きくため息をつくと、

映し出されている画面をつけっぱなしにして、窓際に向かって歩き出した。



 日が落ちる時間まで、まだ2時間余りある。

先ほど、この部屋に案内される時に、イグナーツが「リーダーは6時ごろに見える」と言っていた。

だとすれば、街の様子を見に回る時間もあるということになる。




(けど、いくら敵が動かないと言っても、ここで待機していた方が無難なのかな……)




 照り輝く太陽の光を浴びながら、はポツリとそう思い、最初の考えを却下する。

だが、ここで時間を潰せるほど、はじっとすることが出来る人物ではない。




「……そうだ、店の手伝いをしよう」




思い立ったように、は開けっぱなしになっているトランクを

しっかり閉めて再びベッドの横におくと、勢いよく部屋を出ていく。

 そしてそれと同時に、先ほどまで貼られていた防壁シールドはすっかり解除されていたのだった。











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