何とか地下室に逃げ戻って来たの目に最初に飛び込んできたのは、

肩を負傷して治療を受けているエステルの姿だった。




「エステル、その怪我は!?」

「ラドカーン大佐に、ちょっとやられてしまいました。けど、ただ弾がかすっただけみたいで

大したことありません」




 肩に包帯を巻いている姿は痛々しいが、特に顔色が悪いわけでもなく、

その上声にもはりがあることから、は安心したように肩の力を抜いた。

そんなに、エステルは少し苦笑すると、肩の包帯を隠すように、青い尼僧服に袖を通した。




「教会に戻るの?」

「はい。司教さまにご迷惑をおかけするわけには、いきませんから」




 まるで誰かを心配するような表情を見て、

エステルにとってその司教がどれだけ大切な人なのかというのを、は直感で見抜いていた。

いや、事前に調べた情報があったから、というのもあるのだが。



 事実、エステルのことは、パルチザンの情報を集めていた時に、

リーダーというだけの理由でいろいろと調べてはいた。

生まれて間もなく、聖マーチャーシュ教会で拾われ、そこで大切に育てられていたことも勿論知っている。

それを証拠に、彼女の容姿は他のパルチザンのメンバーと少し違っていた。



 だがが彼女のことを調べた理由はそれだけではない。

情報を集めている最中に映し出された彼女の写真を見た瞬間、

昔にどこかで会ったことあるような錯覚に襲われた。

どうしてなのかは分からないが、何かが喉に引っかかったようなもどかしさを感じていたのだ。

そしてそれは今もなくなることなく、むしろ会ったことでより一層強くなっていた。




「それでは、私は教会に戻ります。ディートリッヒ、護衛代わりについて来てくれる?」

「勿論だよ、エステル。途中で何かあったら、大変だしね」




 頭巾(コイフ)をかぶったエステルの声に、はすぐに我に返った。

今はそんなことを考えている暇などない。

事件が終わってからも、遅くはないはずだ。




「エステル、待って!」




 扉の奥へ消えようとしたエステルを呼びとめると、

は彼女が包帯を巻いた方の肩にそっと手を置き、心配したような顔で彼女を見つめた。




「本当に、大丈夫?」

「ええ。――もう、慣れましたから」

「痛みに慣れる人なんてないわ。私も軍にいた時にたくさん怪我したけど、慣れることなんてなかったもの」




 当時の痛みを思い出したかのような表情を、エステルは苦笑しながら見つめていた。

確かにの言っていることは間違ってはいないが、今はそんなことも言ってられない状況にいる。

心配してくれるのは嬉しい。

 しかし――。




「ありがとうございます、さん。けど今は、そんなことで立ち止まっている暇などないのです」

「分かっている。だから、動いているのでしょう?」

「……ええ」




 エステルの表情が一瞬曇ると、は肩の手を離しながら、彼女に優しく微笑んだ。

それはまるで「天使」の微笑みと言ってもおかしくないぐらい、優しく温かな笑みだった。




「自分のやっていることに誇りがあるなら、もっと背筋をぴんと伸ばしなさい。そして堂々と歩きなさい。

そうすれば、きっと報われるわ」

さん……」

「さ、もう行かないとさすがにまずいわね。引き止めてしまって、ごめんなさい。ディートリッヒ、

エステルをちゃんと守るのよ」

「ああ。……さっ、行こう、エステル」

「うん。……さん……、ありがとうございます」




 何かが吹っ切れたような表情を見せ、エステルは深く頭を下げ、

ディートリッヒとともに扉の奥へと消えていった。

その姿を見つめながら、は安堵のため息を1つつき、

武器の整備などを点検している輪の中へと入っていったのだった。






 今頃、肩の痛みがなくなっていて驚いている頃だろう。

 その表情を想像すると、は誰にも分からないようにクスリと笑った。









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『“フローリスト”、応答を要請する』




 耳元から聞き覚えのある声がしたのは、整備点検をし始めた時だった。

イグナーツに「紅茶切れだから部屋に行って飲んで来ていい?」と言って抜けて来たのはいいが、

相変わらずな発言に大声で笑われてしまったのは言うまでもない。




「聞こえてるわよ、“ガンスリンガー”。さっきはよくも本気でやってくれたわね」

『あの場で力を抜けば、敵に怪しまれてしまうため、本気で攻撃を仕掛けたと、

プログラム『ザイン』に伝えたはずだ。何か問題でもあったか?』

「ありすぎて困るぐらいよ」




 再び防壁シールドに囲まれた部屋に戻るなり、はトランクから電気コンロとポット、

紅茶の茶葉が入った缶とマグカップを取り出すと、

備え付けの洗面台から水をポットに入れ、コンロに置いて火にかけた。

沸騰したら中に茶葉を入れて、3分ほど待つ。

それをマグカップに注げば、そこから香ばしい香りが鼻を刺激していった。




「うーん、やっぱアルビオンのフォートナム&メイソンはいいわね。最高の香りだわ」

『紅茶を堪能している場合ではない、“フローリスト”。今から、こちらに合流して欲しい』

「合流って……、……まさか、私にそこまで飛べと?」

肯定(ポジティブ)。今の卿なら出来るはずだ』

「確かに可能だけど、周りに他の市警軍達がいるんじゃなくて?」

『今、ここにいるのは俺と“クルースニク”だけだ。他の兵士は、駅での騒動の後始末を

手伝うように指示してある』

「そう、アベルも一緒……って、彼、無事なの!?

『肯定。あれからすぐに釈放され、ハンガリア候より聖マーチャーシュ教会まで送るように命じられた』




 先ほどの神父――アベル・ナイトロードの無事を知って、は力が抜けたように大きくため息をついた。

そして出来たての紅茶を口にして、さらに安堵のため息を漏らした。




『“フローリスト”、65秒前にも言ったが、今は紅茶を堪能している場合ではない。

目的地に車が到着する前に合流することを推奨する』

「分かったわ、“ガンスリンガー”。今から行くから待ってて」




 少し強引ではあるが、ようやく全員が現地に到着したのだ。

それぞれの情報交換をする必要もあり、もしその場に誰もいないのであれば、

交信より直接会って話した方が断然早いに決まっている。

は少し熱いが、何とか紅茶を飲み干すと、右耳の黒十字のピアスを軽く弾いた。




「ヴォルファー、“ガンスリンガー”のところまで飛んでくれる?」

『了解』






 耳元から聞こえる声に、はゆっくりと目を閉じる。

 そして次に目を開けた時には、目の前の風景が真横に移っていたのだった。











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