アンドラーン通りを歩く市民の目が、4人組の聖職者にくぎ付けになっているのがよく分かる。
特に、やたらと背の高い尼僧に。
だがそれに気づかれないように振舞いながら、4人は目的地に向かって足を進めていった。
「しかし、教会に行くんだったら、こんな表通りをわざわざ通らなくてもいいんじゃありませんかね、
ディートリッヒさん? どうせだったら、もっと裏道を通った方が安全なんじゃ……」
「裏道は市警軍が網を張っています。それに、一通りがない分、かえって目立つと思います」
「ははあ、それは目立つでしょうねえ。……特に私なんか」
「ですわね、シスター・アベリーナ」
市警軍にばれない様にと尼僧に変装したアベルの横で、
同じく尼僧に変装したが納得したように、そして笑いを堪えながら答えた。
初めてとは思えないほど白い尼僧服を纏った彼女に、通りを歩く男性達の目を釘突けにさせていく。
「さん、本当よく着こなしていますね」
「軍にいた時に、人手が足らないからって、何度か無理やりミサに参加させられたことがあってね。
しかも、ちゃんとした聖職資格も取ってないのに、正シスターの格好させられたんだから、嫌でも慣れるわよ」
ため息をついても、この女性の美しさは損なわれることはなく、腰まである髪を風に靡かせていく。
だがそれとは裏腹に、着なれない尼僧服を着用しているアベルは、
どことなくぎこちなく見える。
「さんはいいんです。女性ですし、美人さんですし」
(あら、誉めてくれてありがとう、シスター・アベリーナ)
(ここまで来て、その名前は言わないで下さい、さん!!)
「ああ、早くローマに帰りたいですよ。全く、何の因果でこんな格好……」
「そんなことおっしゃられても仕方ありませんわ、ナイトロ……シスター・アベリーナの顔と身分は
完全に市警軍に割れてますもの。だからと言って、今の時間に民間人が教会に行くのも目立ちますしね」
エステルが囁き声でアベルに不平を諌めた。
声は真面目だが、顔は笑いを堪えているのがよく分かる。
「それに、とてもお似合いですわ。……ぷ」
「あ、何ですか、今の『ぷ』は!?」
「しっ! 黙って!」
ちょうど向こう側から歩いてきた巡邏中の兵士の一群に、4人は慌てて顔を俯かせる。
どうやら相手は気づかなかったようだ。
それを確認して素早く角を折れると、一気に安堵のため息が漏れそうになった。
「気をつけてください、シスター・アベリーナ」
「そうですわよ、シスター・アベリーナ。ばれてしまったら、ここまでの私達の努力が無駄
になってしまいますわ」
「見えてきました、教会です」
悪戯っぽく囁くエステルとにアベルが何か言おうとしたのだが、
ディートリッヒが目的地を発見したために中断されてしまった。
その代わりに4人は歩調を早め、急いで教会の門を潜った。
「……司教さま!」
「まあ、エステル!」
他の尼僧達と共に庭の掃除の最中だったヴィテーズが、
駆け寄ってくるエステルの顔を見てぱっと明るくなったのを見て、
彼女がどんなに心配していたのがひしひしと伝わってくる。
「一体、どうしたっていうの? 昨日の夜から急に姿が見えなくなって、みんなで心配してたんですよ……」
ヴィテーズに心底嬉しげに抱きしめられるエステルを見て、は何故か懐かしいと感じてしまった。
この光景、以前もどこかで見たことがあったであろうか。
そんなことを疑問に思っていた矢先、ヴィテーズの視線がの方へ移り、驚きの表情を見せる。
どうやら、彼女はの存在をしっかりと覚えているらしい。
「あなたは……、まさか!」
「お久しぶりです、ヴィテーズ司教様。……いえ、シスター・ローラ」
その場に片膝を立ててしゃがむ姿は、ヴィテーズが昔出会った女性大尉そのもので、
再開を喜ぶかのように顔が華やかになる。
「やはり、あなたでしたか、大尉! いつこちらへ?」
「昨日の昼方に。本当はすぐにご挨拶に行きたかったのですが、なかなか時間が取れなくて。
訪ねるのが遅くなって、申し訳ございませんでした」
「あなたが無事であったことだけでも十分です。主があなたを、お護り下さったんですね」
「ええ……」
ヴィテーズとの出会った時のことなどを思い出し、は笑顔を相手に見せる。
この出会いがあったから、今こうして、この地に戻って来てよかったと感じる。
彼女には本当、言葉が尽きるぐらいお礼を言いたいぐらいだったが、
今はそれより、彼女に事の発端を説明しなくてはならない。
「ひょっとして……、ナイトロード神父ですの?」
「はあ、どうも、こんちわ」
尼僧姿のアベルに、ヴィテーズは顔をひきつらせると、
抽象芸術めいた表情でかくかくと首を振っているアベルに、
思わず胸の中にいるエステルを庇うように一歩後ずさりする。
その光景に、は苦笑してしまいそうになった。
「とにかく、お入りなさい。話を聞きましょう」
教会の中に入り、エステルが告白と警告をヴィテーズに伝えていく。
その間も、彼女の表情は変わることなく穏やかだった。
「それで、エステル。あなたは私達にどうしろと?」
「全員、町を出られて下さい。それもすぎに。ハンガリア候は聖職者であるナイトロード神父を襲おうとしました。
しかも、神父さまの話によれば、彼は酷く聖職者を憎んでいたとか」
「なるほど。……でも、これまで、かの吸血鬼もこの教会だけは出だしを避けてきました。
それが急にどういう風の吹き回しなのでしょう?」
「それは分かりません。ですが、状況が変わったことだけは確かです。もう、ここは安全ではありません」
エステルの表情は鋭く、影に見える焦りみないなのを強く感じる。
そして明朝来る商隊と共に脱出するように告げると、彼女は当たり前のようにエステルの身を心配した。
だが、エステルの意思は変わることなどなかった。
「……あたしは残ります。だって、ここにはみんながいるから。あたしだけ、今更逃げ出すなんて
ことは出来ません」
芯がしっかりとしている少女だと、は思う。
まだ17年しか生きていないのに、どこからこんな力強い言葉が出てくるのであろうか。
それはきっと、彼女にとって姉であり、母のように接してきたヴィテーズだからなのかもしれない。
「分かりました。ここはあなたの忠告に従います。……でも、これだけは約束してちょうだい。
絶対に無理はしない。すべてが片づいた後、ちゃんと無事に、私に顔を見せてくれるって。……守れますか?」
「……はい、司教さま。必ずや」
「よろしい。では早速、夜逃げの準備をせねばなりませんね」
深く頷き、神の名において誓うかのように十字を切るエステルに向けて快活に笑うと、
右隣に座っているに視線を動かした。
そして、何かを思い出したかのように語り始めた。
「大尉、エステルのこと、覚えてますか?」
「えっ?」
「あの雨の日、私の影に隠れていた幼い尼僧……。あなたの顔を見て、
頬を赤らめて私の後ろに隠れていた、あの尼僧のことです」
「まさか、あの時の子は……、……エステルだったのですか!?」
喉に感じる違和感は、ここにあったのか。
すべての謎が解けたかのように、は横に座るエステルの顔を見た。
どうやら彼女も、の顔に見覚えがあったようだ。
「さんに初めてお会いした時、ずっと昔にどこかでお会いしているような気がして……。
初めてなはずなのに、そんな感じが全然しなくて……」
「私もよ。何故かとても、懐かしさを感じていたの。……そうだったの。あの時の女の子が、
こんなにきれいになって……」
年寄り染みた発言だったかもしれないが、今のにはそれしか浮かんでこなかった。
それぐらい、少女の成長を心の底から喜んでいた。
「あなたになら、私は心置きなくエステルを任せられます。彼女のこと、よろしくお願いしますね」
「私は昔のお礼がしたいだけですわ、シスター・ローラ。……いえ、ヴィテーズ司教様」
信頼されるということが、こんなに嬉しいことだとは思ってもいなかった。
の胸に、何か温かいものを感じ、体に染み込んでいく。
そして何としてでも、彼女を助け出したいと心の底から誓った。
失いたくない。彼女だけは、何があろうと護りたい。
「ええっと、シスター・アベリーナ」
「……お願いしますから、やめて下さい」
「分かりました、ナイトロード神父」
ヴィテーズ司教から毀れた言葉に、は思わず笑いそうになったのだが、
相手はいい気分じゃないだろうと思い、必死になって堪えた。
だが心の中では笑いすぎて、お腹が痛くなりそうだった。
「あなたも当然、ご一緒されるのですよね?」
「はあ、一緒にずらかりたいのはやまやまなんですが。パルチザンのかたがたに借りを作ってまして……、
私もここに残ろうかなと」
「そんな、神父さま! 危険です!」
アベルの正体を知らないエステルが止めるのは当然のことで、決して間違ってはいない。
だがにとっては、アベルの言っていることが尤もな意見に聞こえていた。
「私はあなた達に借りがある。……貧乏性のせいか、借金は嫌いなタチでしてね」
「神父さま、でも……」
「ナイトロード神父のことは、私に任せて、エステル」
アベルの手助けをするかのように、がエステルの説得に加わる。
「神父様もあなたも、私がしっかりと護る。だから、心配しないで」
「でも……」
「お願い、エステル。私を信じて。絶対にあなたに負担をかけさせないから」
「……分かりました。お願いします、さん」
「お安いご用よ」
エステルを安心させるように微笑む笑顔は、まるで「天使」のように見え、思わず鼓動が大きく弾いた。
きっと、頬もほのかに赤く染まっていることであろう。
それをふるい落とすかのように、了解を取るために左隣に座っているディートリッヒに視線を走らせた時、
扉が荒々しい音を立てて鳴り響いていた。
「し、司教様! 司教様、大変です!」
ヴィテーズが席を立つよりも早く開かれた扉から転がり込んだのは、中年の修道僧だった。
「どうしというのです、ブラザー・ベーラ?」
「し、し、市警軍が!」
「!」
修道僧の口から毀れた警告が終わらないうちに、
廊下の向こうがバタバタと騒がしく動き回る音が聞こえる。
軍靴の響きと耳障りな怒声に、ガラスの割れる音。
そのどれもが、この場にいる人物達に恐怖を与えていることには変わりなかった。
「我々は、“血の丘”で破壊活動を行ったテロリストを捜索している。アベル・ナイトロード神父――
当教会に所属する司祭だ」
とアベルにとっては聞き覚えのある声でも、
エステル達にとっては悪魔のような声であったに違いない。
「彼がこの教会に匿われているとの情報が市警軍当局に寄せられた。これより、その捜索を行う」
「市警軍だわ!」
「そんな! タイミングよすぎるわよ!!」
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