(アベル……)






 脳裏に聞こえた声によって、アベルはゆっくりと目を開けた。

周りは真っ暗で、何も物など置かれていない。

時々が地面の上を移動しているかのようにガタガタと揺れているところからすると、

どうやら車か何かの中らしい。




(アベル、聞こえる……?)




 意識が朦朧としている中、脳裏に再び聞こえた声に、アベルは何とかして体を起こそうとする。

だが、両肩と太股に負った怪我が痛みを発してうまく起き上がることが出来ず、

再びその場に横になってしまう。




(無理して起き上がろうとしないで、アベル。……酷くやられたわね)

「ええ……。……あなたは、大丈夫ですか?」

(力を使って、何とかね)




 どうやら相手は、自分が今どういう状況に立たされているのか分かっているらしく、

アベルは苦笑しながらも、相手の無事に胸を撫で下ろす。

当然と言えば、当然の話でもあるのだが。




「今、どこにいるんですか?」

(ケイトのところよ。ヴォルファーに頼んで、そこまで飛んでもらったから)

「そうですか。……さんは知っていたんですか、ディートリッヒさんのこと」

(……やっぱり、分かっていたのね)

「時々、彼を強く睨みつける時がありましたから、もしかしてと思いまして」




 アベルの前では、どんなことをしても見つかってしまうことぐらい、

相手――には分かっていた。

もしかしたら、それがサインとなってアベルに伝わっていたのかもしれない。




「それでもやっぱり、私は信じたくありませんでした」

(だと思ったわ。……けど、ごめんなさい。私がもっと早くに伝えていれば、こんなことには……)

「また、自分で抱え込んでるんですね」

(嫌でも抱え込むわ。……シスター・ローラのことも、ね)




 はやり、アベルには敵わない。

 の想いが、声を通して伝わって来る。




(私があの時、教会に残っていれば、こんなことには……)

「それは私も同じですし、きっとエステルさんも同じことを思っています。ですから、

何でも1人で悩まないで下さい。皆さんが心配しますよ」

(もうすでに、ケイトにこてんぱに言われたわ)




 ため息交じりで言うに、アベルの顔が思わず歪む。

脳内に浮かぶケイトのご立腹な顔が浮かんできたからだ。




「……パルチザンの皆さんは無事ですか?」

(今のところは。スクルーが言うには、今、こっちに向かって走っている(・・・・・・・・・・・・・)みたい。あなたが乗っているその車もね)

「ということは……、例の処刑場に向かっている、ということになるわけですか」

(そうなるわね)




 の言葉で、アベルはようやく自分の向かっている先が分かり少し安心する。

しかし今の状況で、パルチザン全員を助けるのは少し困難だ。




「そちらの作戦としては、どうなっているんですか?」

(今のところはまだ決まってないわ。トレスと連絡を取ってからになるとは思うけどね)

「そうですか。……エステルさんは……」

(エステルはどうやら、ハンガリア候のもとに残っているみたい。……きっと、あれを見せるのかもしれないわ)

「“嘆きの星”、ですね」

(ええ……。……メディチ猊下も本気で仕掛けているみたいよ。あの方、相手が吸血鬼だって分かると、

すぐに戦争を起こそうとするんだから困ったものよ)




 軍の力からして、教会軍が勝利するのは明らかだ。

だが、ハンガリア候のもとには、“嘆きの星”――“大災厄(アルマゲドン)”を引き起こした兵器だと言われている

遺失技術(ロストテクノロジー)の攻撃が始まれば、形勢が逆転することも分かっていた。




「“嘆きの星”。――本当は、ハンガリア候の祖先によって設置された電力中継衛星、でしたね」

(ええ。……本当のことを知らないから、そんな話が作れるのよ)




 まるで、何かを思い出しているかのように沈んだ声をするを、アベルが気づかないわけがなかった。

彼女の苦しみ、痛み、すべてが分かるわけではないが、

彼女の背中に負ったものが、ひしひしと伝わってくるように体が一瞬重くなる。




「……あなたは何も、悪くありませんよ、さん」




 アベルの声が、暗闇に染まった中で、

優しく、まるでを宥めるかのように響き渡る。




「こうなったのはあなたのせいじゃありませんし、あなた1人の問題でもありません。

ですから、もうそんなに落ち込まないで下さい」

(アベル……)

「それより今は、この危機を脱出しましょう。何としてでも、“星”を止めなくてはいけませんしね」

(……そうね)




 何とか自分に納得させるように言うに、アベルは再び胸を撫で下ろした。



 自分と同じぐらい、いや、それ以上に苦しんでいると思われるを、

アベルは放っておくことなど出来るわけがなかった。

それが分かっているからこそ、も極力彼に迷惑をかけないようにするのだが、

彼の声などを聞いているうちに自然と弱気になってしまう自分がいて、

それが今でも不思議で仕方がなかった。




(とりあえず、アベルはそのままゆっくり休んで。……気は休まらないかもしれないけどね)

「分かりました、さん。ケイトさんによろしく」

(了解)




 その言葉を最後に、再び暗闇と同化するように元の状況に戻った。

いや、もとから静かだったのだから、元に戻ったという表現は正しくないのかもしれない。






「自分を責めないで下さいね、さん。……って、私が言っても迫力がありませんがね」






 ポツリと呟いたアベルの声が、静かに響き渡っていった。











(ブラウザバック推奨)