「あたし、馬鹿ですからよく分かりません。分かりませんけど、とにかく、こんなの間違ってるよ。

……神父さま、さん、あたし、変ですか?」

「……いいえ、ちっとも。憎しみは何も生み出さない。……いやあ、私としても言ってて恥ずかしい

んですが、そういうことらしいですよ、ジュラさん」

「アベルが言っても、何も説得力ないけどね〜」

「確かに、私が言ったら説得力ない……って、そんな風に言わなくてもいいでしょう、

さん〜!!」




 淀んだ空気の中に長時間いることを嫌うなだけに、

アベルをからかうのは雰囲気を変える絶好のチャンスだったのかもしれない。

その気持ちが分かったのか、アベルも慌てながらも、

その行動がらしいと思ってしまう。




「あなたはもう、十分苦しんだはずですわ、ハンガリア候」




 ジュラの前にしゃがみ込み、ケープの内ポケットにしまってあった白いハンカチを取り出すと、

彼の腹部にそっとそれを当てる。

白から赤に変わっていくのを見ながら、は言葉を紡いでいく。




「人は憎しみだけでは生きていけない。それに、今のあなたの姿を見たら、

奥様はきっと悲しまれると思います。自分のせいで、こんなにも苦しんでいるあなたを見て……、

同じように苦しんでいるかもしれません。だからもうお互い、憎しみ合うのはやめましょう。ね?」

「シスター・……」




アベルと同じように「人」だと言うの顔が、

月の光に照らされ、きらきらと輝いて見える。

そして天使のような微笑みは、ジュラの心を少しだけ温かくさせた。



 不思議な感覚だった。長生種である自分が、こんな気持ちになっていいのか、

戸惑ってしまいそうなぐらいだった。

だがもう少しだけ、この雰囲気に浸りたいとも思っていた。



 赤く染まったハンカチの上にジュラの左手で押さえつけさせると、

その場に立ちあがり、今度はエステルの方へ向かって足を進めた。

血の色に染まっている手袋に軽く息を吹き込めば、再び白に戻っていく光景に、

エステルは一瞬目を見開いたが、

向けられた笑顔のせいで、それもすぐに吹き飛んでしまった。




「あなたは……、ナイトロード神父とお知り合いだったのですか?」

「ええ。彼は私の大事な同僚でもあり……、大事なパートナーでもある人よ」




 エステルの後方にいるアベルを見て、そっと微笑めば、アベルも優しく微笑み返す。

その光景に、エステルは2人の信頼関係を少し垣間見たような気がしていた。



 遠くの廊下から、聞き覚えのある足音が響き渡る。

そしてそこから現れた新たな人影に向けて、アベルが軽く手を上げた。




「やあ、トレス君。そちらは終わりましたか?」

肯定(ポジティブ)。市内に駐留する市警軍の97パーセントを制圧した」

「途中で抜けてしまってごめんなさい、トレス。大変だったでしょ?」

「先ほども言った通り、本部が吹き飛んだ後は、ほとんど戦意を喪失して投降を始めた。

その上、パルチザン側への一般市民の参加もあり、戦闘そのものはほぼ飲んだ射なく進行した。

よってシスター・が心配する要素はない」

「そう。……よかった」

「ですね」




 今は、ケイトがパルチザンと協力して残党の相当にあたっていて、

教皇庁軍の到着までのは完了するということだった。

犠牲は出たもの、市街戦は避けられた。

近隣諸国への手前、教皇庁は占領後のイシュトヴァーンに気前よく振舞うため、

復興や食料の供出は急ピッチで進められることであろう。




「では、我々も引き上げますか」

「そうね。ケイトにハーブティ、用意してもらおうっと」

「シスター・ケイトはまだ任務遂行中だと推測される。彼女の補佐をする方が優先だ、

シスター・

「そんなこと、言われなくても分かってるわよ、トレス」




 宮殿にもパルチザンが到着したのか、微かに叫び交わす声が聞こえて来る。

それに反応して、その場で大きく伸びをしたが、

アベルと共にトレスのもとへ向かおうとする。



 が、そう簡単に退散するのは不可能だった。




「……てめえらだけは絶対に逃がさねぇ、クソ神父ども!」




 テラスの向こうに見える中庭から聞こえる声に、その場にいた者全てが反応する。

巨大な体からして、それがラドカーンであることに気づかないわけがなかった。




「死ねえっ!」




 手にした石弓の先が、硬直したエステルの向けられる。

そして引き金を雄叫びと共に引き絞った時には、

トレスとの銃口が彼の体をしっかりと捕らえていた。



 トレスの銃弾が両目の間を、の銃弾が心臓部を捉え、

巨体は後頭部から脳漿をぶちまけて後方へと吹っ飛んだ。

だがラドカーンによって放たれた矢は、

エステルの前に壁のように立ちはだかっていたジュラの心臓を直撃していた。

矢には硝酸銀溶液が矢柄に仕込まれており、肉が溶ける異臭が広がっていく。




「ハ、ハンガリア候!」




 後方に倒れたジュラをエステルが抱き起こすと、

が彼の体に刺さっている矢を抜くために近寄ろうとした。

だが、助ける必要はないとでも言うかのように手を上げて阻止されてしまう。




「何で? 何で、あたしを!?」

「あ、さあ、なぜかな……。俺はお前達を憎んでいたはずなんだがな……」




 白い幕が落ち始めていたジュラを、はどうしても助けたかった。

けどここで助けることを、きっと彼が許さないだろう。




「俺は君の喜ぶ顔が見たかっただけなんだ、マーリア。……それがどうしてこんなことに……」




 もう目が見えないはずの目でエステルを見上げるジュラの青ざめた顔は、

もう苦痛の色はなく、安らかだった。

そしてこことは違う場所へと向かおうとしているかのように、

口から愛しい人の名前が毀れる。




「……ありがとう、あなた。ありがとう。……けど、もう十分です。本当にありがとう」

「…………」




 ジュラが笑い、微かに唇が動いたように見えたが、それは気のせいだったかもしれない。



灰色の瞼を閉じたジュラを、はアベルとトレスと共に見つめていた。

その頬には涙の跡がはっきりと見え、エステルが死者だけのために十字を切ると、

一緒に十字に切り、天に向かって祈り始めた。






(どうか彼が、無事に大事な人に会えますように……)






 心の中で呟いた声が、静かに響き渡っていったのだった。











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