カルタゴ総督の話は、とても長くてつまらない。
それが分かっていても、主賓であるのだから避けられず、
はカテリーナの横で欠伸を堪えながら我慢していた。
欠伸が出るのはつまらないだけでなく、
今日1日の疲れが少しずつ表れてきているからかもしれないが。
「大丈夫、?」
「ちょっとしんどいかも。あなたはどう?」
「もうそろそろ終わってもいいんじゃないかと思っているところよ」
小声で話しかけられたカテリーナの言葉に同感するように、は小さくため息をついた。
年配の、しかも男性の話は長いという定義を、嫌でも成立したくなりそうだった。
ようやく話が終わると、着飾った要人夫妻や市内教会の司教がほっとしたように乾杯を叫ぶと、
ホスト役の大使館の世俗職員が一斉に動き出した。
も一緒になってほっとすると、シスター・ロレッタを含めた尼僧を連れて、
カテリーナとともに招待客への挨拶へ廻った。
今回は知らない顔の方が多いため、も少しだけ力を抜いて応答していた。
これがもし逆なら、は誰よりも先にこの場から逃げることを考えていたことであろう。
(そう言えば、アベルは来ているのかしら?)
パーティーの食事目的で来ているんじゃないかと、は辺りを見まわしてみる。
が、目的の人物を探すのに、そう時間はかからなかった。
目を少し見開けば、目の前の映像が一気に縮まり、しっかりと捕らえていく。
どうやら相手は、一緒に任務を遂行した尼僧と共にいるらしい。
「あら、あそこにいるのはアベルかしら?」
同じくしてその存在を見つけたカテリーナが、に声をかける。
それと同時に、は「力」を押さえ、カテリーナの方へ視線を向けた。
「どうせ、ご馳走目的で来ているだけよ」
「確かに、そうね。……あら、あの子、見たことないわね」
「ほら、シスター・エステル・ブランシェ……例のイシュトヴァーンにいた」
「ああ、神父トレスが言っていた尼僧ですね。見事な手際だったと報告していたわ」
「そうだったのね。……どうしたの?」
「いいえ……、何でもないわ」
カテリーナはすぐに表情を戻したが、は一瞬顔つきが変わったのを見逃さなかった。
そして相変わらずな彼女の態度に、心の中で大きくため息をついた。
今に始まったことではないから、半分慣れてしまってはいるのだが。
そんなことを思っている間にも、はカテリーナと共に、
アベルとエステルがいる位置まで移動していた。
耳を傾けてみると、どうやらエステルがアベルに告げ口をするところだった。
「おや、ナイトロード神父。もう帰っていたのですか?
今夜は留置所に外泊すると聞いていたのですが……、いつ出所したのです?」
「やあ、カテリーナさん、さん。こんばんはです」
アベルがいつもと変わらずほやっとした笑みを見せたが、
その横にエステルがカチカチになっていくのが手に取るように伝わって来る。
それもそのはず、エステルにとってカテリーナの存在はあまりにも大きすぎて、
慌てて頭を下げる姿は、にとっては微笑ましい光景だった。
そんなエステルにカテリーナが視線を向けたのは、
相変わらずへらへらした顔を掻くアベルに笑みかけた時だった。
「ああ、あなたがシスター・エステルですね。イシュトヴァーンの1件は覚えていますよ。
お仕事、成功おめでとう」
「い、いえ、そんな……、勿体無いお言葉でございます、猊下!」
報告内容が不安なのか、エステルの表情は複雑だった。
それとは逆に、横にいる銀髪の神父は羊の串焼きを手にそっくり返っている。
そんな姿を見たが、どっ突きたい衝動に刈られたのは言うまでもないが、
ここは大使館内、しかもパーティー会場なだけに、拳を静かに静めるしかなかった。
それはどうやら、エステルも同じだったらしい。
「……ごめんなさいね、シスター・エステル。こんな人のお傅りをお願いして申し訳ないと思っているわ。
でも、今は人手不足なの。もう少しだけ我慢して、アベルに付き合ってあげて頂戴」
「も、申し訳ないだなんて、そんな! 私ごときに、もったいのうございます」
この時、はカテリーナの発言に疑問を持つことはなかったため、
エステルの表情が変わっていくことに気づかなかった。
だから、自分の口調は他人行儀だが、普通に2人の会話に加わることになった。
「やだなあ、カテリーナさん。何ですか、あなたの話を伺っていると、私、
よほどの駄目人間と誤解されちゃいそうじゃないですか」
「あら、違ったのですか? 私、てっきり自覚しているものと思っていましたが。
あなたもそう思うでしょう、?」
「ええ、勿論ですわ、スフォルツァ猊下。アベルが猊下の期待に答えてくれるかどうか、
私も疑問に思うところがありますもの」
「うわ、さらっと失敬なことをおっしゃいますね。違います。こう見えてもですね、私は……」
アベルの言い訳を聞きながら、はエステルに視線を向けた。
そしてこの時になって、彼女の様子の変化に気がついたのだ。
その視線の先は、アベルとカテリーナ、そして自分に釘づけになっていることも、
この時ようやく分かったのだった。
「どうしたの、エステル? 具合でも悪いの?」
「え、あ、いえ、何でもないです。ただ、ちょっと考え事を……。ああ、でも大したこと
じゃないので気にしないで下さい」
「そう? なら、いいんだけど」
エステルはに気づかれないように言ったのかもしれないが、
には彼女の心境がひしひしと伝わっていた。
アベルが上司であり枢機卿でもあるカテリーナと、何の抵抗もなく、へらへら頭を掻いているだけだし、
カテリーナもカテリーナで、“鉄の女”という言葉が嘘かのように優しい表情を見せている。
自身も、2人との付き合いは長いためか、敬語を使っていても親しげに会話しているわけなのだから、
他人から見れば、疑問に思うのは当たり前だった。
(まあ、最初はみんなそうだし、ね)
自分なりに納得させた時、早足でやって来た大使館員が、恭しくメモを差し出した。
どうやら、誰かから通信が入ったらしい。
「生憎、今は手が話せません。後ほど、折り返し連絡すると伝えなさい」
「いえ、それが……、発信元は教理聖省です」
「教理聖省――メディチ枢機卿から?」
義兄の名前に、カテリーナの眉がかすかにしかめられる。
も聞き捨てられない名前に、思わず目を鋭く輝かせた。
こんな時に、何の用だというのだろうか。
「分かりました。さすがにそれは断れないわね。……ごめんなさいね、シスター・エステル。
お話の途中で悪いのですが、少し、席を外してもよろしいかしら」
「も、勿論でございます! どうぞ、お気遣いなく!」
「では、また後でお話しましょう。……ナイトロード神父、今のうちに、せいぜい食べためでも何でもしておきなさい」
「そうよ、アベル。ただでさえ金欠で、食料調達すら出来ないのだから」
「勿論です! あ、カテリーナさんとさんの分も、とっときましょうか?」
「結構。部下の上前をはねる上司にはなりたくないもの」
「私もいいわ、アベル。あなたと違って、そこまで飢えてないわ」
呆れたように言うと、はエステルの肩から手を離したカテリーナと共に、
職員の後を追って別棟の方へ向かって歩き出した。
が、パーティー会場を抜けた廊下で、カテリーナの足が止まった。
「あなたはここまででいいわ、シスター・」
「え?」
突然の言葉に、は思わず不審な声をあげてしまう。そして近くに大使館員がいることもあり、
上司に疑問を投げかけるような口調で理由を聞き出す。
「交信相手がメディチ猊下なのであれば、私も同行した方がよろしいのではないのですか?」
「あなたは今日1日、私のためによく勤めてくれました。それだけでも、十分助かりましたよ」
「しかし、猊下!」
「もし何かあったら、すぐに連絡します。ですからあなたは、ゆっくり休みなさい」
気持ちは十分に嬉しいが、相手がフランチェスコ・デ・メディチ――教理聖省長官となると話は別だ。
もし何かあった場合、すぐにでも手助け出来る場所にいた方が効率がいいはずだ。
「私のことは心配しないで。彼1人お相手出来ないようじゃ、それこそ相手に見くびられるだけよ。
本当に、大丈夫だから」
「……分かりましたわ、猊下」
どう反論しようと、意見をすぐに変えるような人じゃないことぐらい、はよく分かっていた。
だったら彼女の指示に、正直に従った方がいい。
は彼女の前で一礼すると、相手に背を向け、パーティー会場へ戻っていく。
その後ろ姿を見ながら、カテリーナはポツリと、周りに聞こえないぐらいの声で呟いた。
「その気持ちだけで十分よ。……ありがとう」
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