エステルの姿は、が再びパーティー会場に戻った時にはなかった。

アベルに居所を聞くと、何やらまだ仕事があるとかで席を外したのだそうだ。



 何の仕事だろうか、と疑問に思ったのだが、

他人のことに興味がないにとってはそれも一瞬でなくなっていた。

シャンパンが入ったグラスを取って、再びパーティー会場を出ると、廊下に吹く夜風に浸っていた。



 耳元からは、カテリーナの寝室でのやり取りが耳に入って来る。

相手が相手だけに気になり、TNL直属の交信プログラム「ザイン」を使って盗聴していたのだ。

どうやら、カルタゴ市内に潜む吸血鬼(ヴァンパイア)が、カテリーナ殺害を目論んでいる可能性があるとのことらしい。



 手すりに寄りかかり、時々聞こえる小さな咳が気になりながらも、1つ1つの内容を噛み締めていく。

カルタゴ訪問を避難していた相手だっただけに、無視することなど出来なかった。



 が、そんなフランチェスコとカテリーナの会話に割って出た人物が出現した。

先日広報省長官に就任したアントニオ・ボルジア枢機卿だ。

どうやら、彼がこの情報――カテリーナ暗殺計画を真っ先に嗅ぎつけたとのことだった。



 一体、どうして彼が。

そんな疑問も持ちながらも、は彼の提案を聞き始めた。

だがその提案に、の顔色が変わらないわけがなかった。




『異端審問局。メディチ枢機卿配下の彼らをカルタゴに派遣し、警護に充てるのサ』

「……異端審問局ですって?」




 思わず声を出してしまったのも当然の話だ。

確かに、対吸血鬼やテロ防御戦にはうってつけではあるかもしれないが、

それはあくまでも能力だけで、彼らに関しては悪評の方が目立っている部隊でもあった。

自身も、特務警察(カラビニエリ)時代に何度か反論したことを覚えている。



 だが、の驚きはそれだけに留まらなかった。

それは、カテリーナの義兄であるフランチェスコの口から発せられた言葉だった。




『なに、やくたいもない風聞だ。すなわち、「教皇庁(ヴァチカン)の重鎮にして聖下の姉である国務聖省長官カテリーナ・

スフォルツァが、“帝国”と――あの忌むべき化け物どもと内通しようとしている」という根も葉もない、な』

『なっ……!?』

「どうして、それが!?」




 場所が違えど、とカテリーナの表情はきっと同じものであったに違いない。

思わず、手にしていたグラスを落としてしまいそうになったぐらいだ。

背中に嫌な汗を感じる。



 どこからその情報が漏れてきているのだろうか。

は顔を顰めたまま、相手の会話に耳を傾けていた。

それはカテリーナが、“帝国”――真人類帝国(ツアラ・メトセルート)の総本山と交渉を築こうとしているからで、

何度か彼らの任務遂行を補助したことがあったからだ。

だがそれが、帝国中枢である皇帝(アウグスタ)と呼ばれる吸血鬼(ヴァンパイア)達の最高指導者

の耳にどのように届いているのかは、未だ分からずにいた。



 フランチェスコとアントニオの考えは、異端審問官が側にいれば、

そのくだらない風説を払拭出来るのではないかというものだった。

こうなってしまえば、カテリーナはもう反対するわけにはいかない。

彼女は大人しく彼らの高配を受け、交信を終了した。

それと同時に、も大きくため息をつき、手にしているシャンパンを煽った。




「……どう思う、ステイジア?」

『まず、情報源を探った方がいいわね。スクルーに手配してあるから大丈夫だと思うけど』




 耳元に聞こえる声――TNL直属戦闘プログラムサーバ「ステイジア」が、

の声に反応してすぐに答える。




『フランチェスコ・デ・メディチが何も知らないでカマをかけているだけかもしれないけど、

どちらにしろ用心した方がいいわね。……そう、そう言えば』




 空になったシャンパングラスを手すりの上に残して歩き始めたに、

「彼女」が何かを思い出したかのように告げる。

その声は、どこか疑問を持っているようにも聞こえた。




『パレード中、ある2つの影を発見したの。1人は少年らしき背格好で、もう1人は青年ぽかったかしら? 

その2人が、カテリーナ・スフォルツァを乗せる車をずっと目で追っていたそうなのよ』

「それって、単なる地元人じゃなくて?」

『そうかもしれないけど、その2人のうちの1人――少年のような背格好の者は確か……』

さん!」




 プログラム「ステイジア」との会話を中断するかのように、

遠くから聞き覚えのある声がして、はすぐその方向へ視線を移動した。

そこにいたのは、先ほどアベルと別れたエステルが、トレスと共に彼女へ近づいてきたのだった。




さん、スフォルツァ猊下と一緒だったんじゃなかったんですか?」

「猊下が今日はいいからと仰ったものだから、1人でのんびりしていたところよ。トレスも一緒だったの?」

「シスター・エステル・ブランシェをボッロミーニ博士が収容されている留置所に案内しているところだ」

「ボッロミーニの?」

「ああ、はい。その、様子を見に行こうと思いまして」




 少し口篭っている姿を見て、は彼女がただ単に様子を見に行くだけではないことをすぐに察知した。

アベルと何かあったのだろうか?




「あなた1人で様子を見に行くのは危険だから、私も一緒に行くわ」

「えっ、そんな、ご迷惑になりませんか?」

「あなた1人で犯人のところに向かわせる方が、私としては心配よ。いいでしょ、トレス?」

「これは俺が決めることではない。同行したいのであれば、シスター・エステル・ブランシェに了解を得ることを推奨する」

「え、あ、そう言われても……。……それじゃ、よろしくお願いします」

「お安いご用よ」




 先ほど、プログラム「ステイジア」が言いかけた言葉が少し気になったが、

彼女を目的地に届けた後にでも聞けばいいだけのこと。

はそう思い、トレスと共に、エステルをボッロミーニがいる留置所へ案内すると同時に、

彼女のサポートをすることにしたのだった。




「……あの、神父トレス、さん? 1つ、お尋ねしてもよろしでしょうか?」

肯定(ポジティブ)。質問は自由だ。ただし、回答については確約出来ない」

「それでもいいです。……実は、神父アベルのことを少し伺いたいんです」

「アベルのこと?」

「ええ。あたし、あの方のことがよく分からなくて、再会してからこちら、あの人、

私には何も教えてくれなくて」




 エステルの言葉に、はふと、イシュトヴァーンでのことを思い出していた。



 ハンガリア候ジュラ・カダールとの交戦の時、アベルがエステルの前であれ(・・)を使ったことを、

直接聞いてはいないが自然と理解していた。

その場の状況からして、それは仕方がなかったことだとは言えど、

それを見てしまったエステルが疑問に持つのは当たり前であることも分かりきっていた。



 知りたい気持ちは十分過ぎるほどよく分かる。

だが、派遣執行官については、教皇庁はおろか、国務聖省内部においてすら最高機密になっているため、

エステルのような一般職員レベルでは答えることは出来ない。

それを表すかのように、トレスがエステルにそのことを告げた。




「派遣執行官に関する情報について、卿にはアクセスする権利はない。従って、俺には回答しかねる」

「いえ、いいんです。変なことを聞いてごめんなさい。でも、よく分からなくって。

本気を出したらあんなに強い人が、どうして普段はあんなんでしょう? どうして……」




 「本気を出したら」。その言葉に、がピンと来ないわけがなかった。



 確かに、彼が本気を出せば強いのは、似たようなものを持っているが一番よく分かっている。

それを出来れば使いたくない力であることも、十分過ぎるほど分かっていた。

だが目の前にいる尼僧は、その理由を知らない。

以前アベルに聞いた時、答えずに適当にはぐらかされただけだと言う彼女の寂しげに

首を振る姿が痛々しかった。



 言うべきか。

いや、言ったところで、彼女にいい効果を与えるとは思えない。

そしてそれは彼女だけでなく、当事者であるアベルでさえも傷つけてしまう。

彼を傷つけることを極端に嫌うとしては、両方とも避けなくてはいけないことだった。




「――到着した。ここが、卿の目的地だ。確認を」




 そうこう言っている間に、3人はボッロミーニが収容されている留置所に到着して、

エステルはトレスが指差す鉄の扉にあるノブの紋章を見て確認した。




「確かにこの部屋でしたわ。あの、どうもありがとうございました、神父トレス」

「礼は無用だ。俺は服務規定に従って行動したに過ぎない」

「ええ、でも……、ありがとう」

「エステルのことは、私がサポートするから安心して」

「了解した、シスター・




 が頭を下げたエステルをガラスの瞳で見やっているトレスに言うと、

彼は身を翻し、再び廊下を戻り始めた。

そんなトレスにもう一度頭を下げると、は彼女に声をかけた。




「さ、とっとと終わらせて、ゆっくり休みましょう」

「はい。……あっ、熱!?」




 エステルの口から、予想もしていなかった言葉が飛び、は慌てて、

ドアノブから離れ、思わず耳たぶに持っていったエステルの指を見た。

真っ赤になった指先の皮が、小さく捲れている。




「大丈夫、エステル!?」

「え、ええ。でも、何、これ……!?」

「どうした、シスター・エステル・ブランシェ、シスター・?」




 少女の悲鳴に反応してか、廊下の向こうでトレスが振り返る。




「ノ、ノブが……、ノブがもの凄く熱いんです! 何なの、これは!?」

「……どいていろ」




 早足で戻って来たトレスがエステルを押しのけ、ノブを掴む。

その間に、は火傷を負ったエステルの指を軽く握った。




さん?」

「黙って」




 不思議そうな顔をしたエステルを一括すると、握り締めていたところから白いオーラが現れて包み込んでいく。

だがそれもすぐに消え、はすぐに手を離した。

皮が捲れていたはずの部分が、きれいに元に戻っている。




「こ、これって一体、どういうこと!?」

「これが私の力よ。……で、どうなの、トレス?」

「確かに、温度が上昇している」




 エステルに簡単な答えを出すと、はすぐにトレスに状況を聞き出した。

鍵をかけたはずなのだが、今は開いているらしかった。




「卿が被疑者を拘留した後、この部屋に外部から侵入したものがいる。シスター・

シスター・エステル・ブランシェの身を護れ」

「了解」




 トレスがジュリコM13“ディレス・イレ”を両手に掲げると、

も尼僧服の太股に隠してあった2挺の短機関銃(サブマシンガン)をしっかりと握り締める。

勢いよく鉄扉を蹴り開けられた先には、鋼板が蝶番ごと吹っ飛んでいて、

真っ黒な煙が噴き出す。




「……何、この臭い!?」

「駄目よ、エステル! 見ないで!!」




 髪の毛が焦げた時の臭いを、もっと強烈にしたような悪臭に気づき、

はすぐにエステルを後方へ追いやった。

しかし、戸口近くの壁にもたれるように転がっていたものから棒のように突き出だ左手に絡まった、

悪趣味な金鎖が目に入り、すぐに状況を読み取ってしまった。




「これって、ま、ま、まさか……、ボッロミーニ!?」

「その通りみたいね。……一体、誰がこんなことを!」




 火の気らしいもと言えば、扉と反対側の壁にあるランプだけで、

事故にするのには弱すぎる証拠だった。

正体がばれてしまっている以上、隠す必要もないと悟っただったが、

エステルに火傷を追わせるわけにもいかないため、彼女を庇いながら部屋の中へ入っていった。




「――これを見ろ」




 ボッロミーニの遺体の傍らにしゃがんでいたトレスが、焼死体の頚部、

真っ黒に変色した皮膚を解剖医めいた手付きで剥がしてみると、

そこから現れたピンク色の肉に穿たれた2つの小さな穴を発見した。

それはまさに、もエステルもさんざん目にしたものだった。




「吸血痕!? 吸血鬼がこの近くに!?」




 エステルが驚きの声をあげた時、

はふと、先ほどのプログラム「ステイジア」のの会話を思い出した。

パレードの時にいたという、少年と青年の話だ。




(もしかして、その2人は……!)




「トレス、私――」

「シスター・エステル・ブランシェの身は俺が確保する。すぐに報告へ向かうことを要請する」

「ありがとう! エステル、絶対にトレスの側から離れては駄目よ! いいわね!!」

「あ、は、はい!」




 が何を言いたいのか分かったらしく、トレスは用件を聞かずに了承し、

エステルは何のことか分からず、目を白黒させていた。



 急いで部屋を飛び出すと、はそのまま勢いよく走り始めた。

だが途中で、頭巾(コイル)の影に隠れている黒十字のピアスを弾くと、

そこに向かって誰かに指示を出した。




「ヴォルファー、カテリーナの寝室付近まで飛んで!」

『了解!』






 TNL直属転送プログラム「ヴォルファイ」の声が響き出す。

 するとすぐに、の姿はそこから消えていたのだった。











(ブラウザバック推奨)