大使館の火災から、もう2日が立とうとしていた時、

はローマにいる“教授”の指示で、トレスの臨時プログラムメンテナンスを行っていた。

ボッロミーニの焼死体があった留置所で遭遇した火炎魔人(イフリート)に、

唯一人工皮膚に覆われていない光学系センサーを攻撃されたため、

視力を失っていたのだった。




「プログラムに負傷箇所はないけど、外部のダメージが思った以上に酷いわね。

他のセンサーがあるからまだいいもの、これで戦場に向かうのは少し危険かもしれないわ」




 電脳情報機(クロスケイグス)に表示されているデータを見ながら、は1つため息をついた。

他系統のセンサーが光学系センサーをカバーしているため、日常生活には問題ない。

だが今後、戦闘が何もないという保証はどこにもない。

こうなってしまうと、あとはアベルかしか自由に動けないということになる。



そのアベルは、今エステルと共に、ボッロミーニの私物を調べている。

その後、エステルと別れ、聖旨のためにカテリーナに接近したという

吸血鬼(ヴァンパイア)のもとへと向かう予定になっていた。

カテリーナは大使館員に呼ばれ、カルタゴ中央空港に出かけている。




「卿はミラノ公に同行しなくてもよかったのか?」

「そうしようとしたんだけど、カテリーナに、アベルの身に何かあったら、すぐに動けるようにしておきなさい

って言われたから、ここでトレスのメンテナンスしながら待機よ。――これでよしっと。とりあえず、

これで少しは補えれるから、戦闘時になったら装着して」

「了解した」




 視力保護プログラムを搭載したミラーシェードをトレスに渡すと、

は大きく伸びをして、アイスティを口に運んだ。

今回は、バリーのアールグレイである。




さん、聞こえますか?)




 どこからともなく聞こえる声に、は思わず、青い空が光り輝いている外を見つめた。

目を少し細めれば、視界だけが一気に前進しているのがよく分かる。



 行き交う車や人を通りすぎ、どんどん先へと進んでいく。

そして止まったのは、市内にあるとあるカフェの出入口だった。




「どうした、シスター・?」

「アベルから交信があったの。ちょっと待って。――で、何かあったの?」

(近くにトレス君がいるんですか?)

「ええ、いるわよ」

(――いちゃいけないわけ?)

(出来れば、ですけど。ま、難しいなら後でも構いません)




 任務中に、アベルが私情を紛れこませることはめったにないため、

はアベルのその発言が、変に喉に引っかかっていた。

だがすぐに内容を言わなかったことから、緊急事態でないことがすぐに分かった。




(とにかく今から、例の長生種(メトセラ)のもとへ向かいますので、それだけ彼に伝えてください)

「分かったわ。……エステル、まだ中にいるのね」




 視線が少し上昇すると、そこには1人突っ立っている尼僧に目が止まる。

どことなくだが、力のなく、泣きそうな表情を浮かべていた。




(ええ。彼女には、ここで待機してもらうことにしました)

「それにしては、すごく辛そうな表情しているわよ。――また、下手に言い回したんでしょう?」

(ええ、まあ、その……、すみません)

「謝ることはないわよ。あなたのそういう不器用なところは、今に始まったことじゃないし。

彼女のことは私がフォローしておくから、あなたは自分のやることをやって来なさい。話はそれからよ」

(分かりました。本当、すみませんでした)




 アベルの声が途切れた時には、の視界は大使館内にある応接間の光景に戻っていた。

そして斜め前に座っているトレスに、アベルから受けた情報を伝えた。




「今から、例の吸血鬼(ヴァンパイア)のところへ向かうって。彼がいたカフェからなら、そう距離も離れてないから、

すぐに到着するでしょうね」

「了解した。――卿に聞きたいことがある、シスター・

「何?」

「ミラノ公に接近した吸血鬼は、卿の知っている者なのか?」




 トレスからの質問に、は思わずアイスティを口に運ぶのをやめてしまった。

聞かれるだろうとは思っていたが、実際にその時が来ると心構えが出来ていないものだ。

はアイスティを喉に通すのをやめ、ある事実を彼に告げた。




「これはカテリーナも知っていることで、Ax内で内緒にしている必要もないから言うんだけど……、

……実は私、帝国――真人類帝国(ツアラ・メトセルート)に行ったことがあるの」

「……何?」




 予想通りの反応に、は内心安心した。

 これで彼が無反応だったら、さらに戸惑っていたことであろう。




「まあ、ちょっとした事情でだったんだけどね。アスタローシェ・アスランのことは、知ってるでしょ?」

肯定(ポジティブ)。3年前のヴェネチアでの任務で同行した帝国貴族(ボイエール)だと記憶している」

「その通り。で、その彼女の相棒(トヴァラシュ)であるレン・ヤーノジュの依頼で“帝国”に乗り組んだことがあるってね。

その時に会ったのが、2日前にカテリーナの前に現れた吸血鬼の身内の方だったの」




 聖天使城(サンタンジェロ)で捕われていた吸血鬼が、ある濡れ衣を着せられている。

その言葉を聞き、は情報提供者であるレン・ヤーノジュと密会をしたのは、

今から14年ほど前の話になる。

相手の要望を受け入れたは、当時の教皇聖下――グレゴリオ30世への説得を何度も繰り返した結果、

再調査の許可を得ることに成功。

一時的に捕われている吸血鬼を相手側に返還するところまで話は進んだ。

だが彼女を解放しようとした時には、すでに何発もの銀を体内に埋め込まれていて死亡していたのだった。



“帝国”側は、彼女に濡れ衣を着せた帝国貴族の犯行だと見て捜査を開始。

その結果、彼が“帝国”の皇帝陛下の暗殺計画を企てていることが判明し、

その補佐役としてが抜擢されたのだ。

勿論、彼女が“帝国”へ潜入したことなどの情報は、教皇庁(ヴァチカン)には何1つとして残っておらず、

知っている人物は前教皇聖下であるグレゴリオ30世とカテリーナ、そしてアベルだけであった。



 カテリーナに話した理由はいくつかあるが、一番の理由としては、彼女の史上最大の敵に対抗するのに、

自分の経歴が少しでも役に立つのではないかと思ったからである。

現に、それはカテリーナにとって最高の手柄となり、

2日前、ようやく聖旨を得るほどまでに発展することになったのだ。




「今思えば、もし私と“帝国”との間に何も接点がなかったら、ここまで到達することなんて出来なかった。

カテリーナやAxの信頼を得るのは大変だったけどね」

「だが結果として、ミラノ公のもとに“帝国”からの使者が来た。卿の経歴は決して無駄にはなっていない」

「そう言ってくれると、私も嬉しいわ、トレス。……ありがとう」




 礼を言うように微笑んだのと、

電源を突けっぱなしになっていた電脳情報機から勢いよく警告音が流れたのはほぼ同時だった。

慌てて画面を見ると、そこに映し出された映像にの表情が一変した。




「こ、これは……!?」




 いくつもの滑走路が見えているところから、そこがどこかの空港であることはすぐに分かった。

いや、上空に行き場を失っている複葉旅客機に描かれている絵から見ると、

カルタゴ市内であるのは間違いなかった。



 が注目したのはそこではない。

その複葉旅客着を押しのける様にして降りて来た200メートルをゆうに超える

角張った気嚢を持つ3隻の巨大な飛行船だった。

その3隻に描かれている紋章は――。




「“神の鉄槌(ヴィネアム・ドミニ)”――異端審問局!!」




 予想外の展開に、の表情は驚きに満ちていた。

彼らの到着は明日だったはず。

まさか、カテリーナのことを思って、予定を1日早めたのか?




「セフィー、これって、今の映像なの!?」

『その通りです、我が主よ』

『ミラノ公と相手側との無線の会話、盗聴出来るがどうする?』

「……しちゃってもいい?」

「緊急事態だ。やむを得ない」




 本来なら、他人の会話を盗聴するのは犯罪になるのだが、

事が事なためか、トレスはすぐに許可した。

それに反応するかのように、電脳情報機に取りつけられているスピーカーから、

カテリーナと責任者らしき男との会話が流れ始めた。




『ブラザー・ペテロ、一体、あなたは誰の許可を得て、他国の領土でこのような実践まがいの

軍事活動を行っているのです? 少なくとも、私は聞いておりませんよ』

「ブラザー・ペテロって……、まさか“壊滅騎士(イル・ルイナンテ)”、ブラザー・ペテロのこと!?」

肯定(ポジティブ)。その可能性は高い」




 責任者が異端審問局長であるブラザー・ペテロであることに、は思わず声を張り上げてしまった。

何せ相手は、教皇庁最強かつ最凶の騎士と言われる男で、

4年前のボヘミア戦役で、敵味方関係なく、

たった1人で壊滅させた味方殺しの強化歩兵として知られていたのだ。



 しかし、の個人的なことを言えば、異端審問官の中では一番話しやすい相手であった。

それなりの理由を言えば、ちゃんと理解してくれる人だからだ。

必要資料を提出に行くのも、他の異端審問官に比べ、いくらか楽に感じさえしていた。



 だが、今回はそんな簡単には行かないことを、

カテリーナとのやり取りですぐ理解するのに時間はかからなかった。




『とにかく、すぐに兄に連絡をとります。ブラザー、それまであなたの部隊に言って、活動を控えさせなさい。

絶対に空港(ここ)から動かないように』

『恐れながら、お断り申し上げる。不肖ながら、某はこの聖務の全権を、教理聖省より委ねられております。

メディチ枢機卿のご命令なくば、一時的にせよ、聖務を中止するわけにはいきませぬ』

「何でこんな時に、そんな強情っぱりなことを……!」




 こういう時だからこそ、こちらの意見を聞いて欲しいものなのに、

相手はそれをすぐに受けようとしなかった。

上司であるフランチェスコの命令だからだということはすぐに理解出来るが、

これではカテリーナの努力が水の泡へと化すのも時間の問題だ。

何の為に、彼女がこんな暑い想いしながらやっていると思っているのか。

はこの気持ちを、相手に言わずにはいられなくなっていた。




『ですが御安心下さい、猊下。実は、吸血鬼どもの隠れ家の目星はついております』




 そんなことを思っている間にも、ペテロはまた不審な言葉を発する。

現地にいた自分達でさえも、ようやく居所を掴んだというのに、

相手は到着する前に、すでに検討がついていると言っているのだから当たり前である。



 そうこうしている間にも、無許可で着陸した3隻の空中戦艦の後部ハッチが開かれ、

自分が昔所属していた懐かしい野戦服に身を包んだ戦闘要員達が姿を現した。

それだけではない。

その後方からは、凶悪なキャタピラを回転させながら現れる巨大な影が動いていた。




「あれは……、ゴリアテT!!」




 ゴリアテT――昨年、教皇庁が10輛だけ就役させた電脳知性制御式の最新鋭戦車だ。

その気になれば、カルタゴ全軍とさえ互角に渡り合える戦力がある戦闘機を、

彼らはここに連れて来たのだ。




(一体、メディチ猊下は何を考えてらっしゃるの!?)




「シスター・




 の表情がより一層強張っているのを知ってか知らずか、

斜め前に座っていたトレスが相変わらずな平坦な声で彼女に声をかけた。

その声に、はすぐに我に返り、相手の方へ視線を動かした。




「どうしたの、トレス? 他のセンサーに異常でも生じたの?」

否定(ネガティブ)。多種センサーは正常に起動している。俺が言いたいのはそのことではない」




 その場から立ち上がると、

トレスは電脳情報機の横に置かれていたの短機関銃を掴んで、それを彼女の前に差し出した。

何が言いたいのか分からず、は首を傾げる。




「……トレス?」

「ブラザー・ペテロの報告が正しければ、今、特務警察が例の“帝国”から来た使者に接近していることに違いない。

時間的に見て、ナイトロード神父が現地に到着するのと同時刻だと思われる」

「……もしかして、彼と合流しろと言いたいの?」

その通りだ(ポジティブ)。卿はミラノ公より、状況次第でナイトロード神父の補佐にあたるように命令されている。今の状況からして、

ナイトロード神父1人で対応するのは負担が大きすぎる。よって、卿にすぐ合流することを推奨する」




 トレスの言うことは、何1つ間違っていない。

むしろ的確な判断であった。あまりにも急な出来事に、

自分がここに残っている意味を忘れてしまいそうになっていたは、

了解するかのように、彼の手から短機関銃を受け取った。




「分かったわ、トレス。すぐに向かうわ」

「可及速やかに支度を終わらせて合流することを推奨する、シスター・

「勿論よ」




 何かを決心したかのように微笑むと、は電脳情報機の電源を急いで切り、

それを抱えたまま、すぐに自室を出ていった。

ヒールの高いブーツの音を廊下に響かせながら、

彼女は自室へ戻り、クローゼットにしまっていた僧衣をベッドに広げたのだった。






 早く合流しなくては。

 の中に浮かぶ言葉は、それしかなかった。











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