自動二輪車の騒音が、カルタゴ市内に響き渡る。
僧衣を身に纏っているところからして男のように見えたのは、ミラーシェードをかけている上、
速度オーバーしているんじゃないかというぐらいの勢いで走っているため、
女性であることに気づく暇などなかったからだ。
「状況はどうなってるの?」
『異端審問局が例の長生種がいると思われるホテルに到着後、“クルースニク02”はその
長生種2人とシスター・エステル・ブランシェを地下水炉から脱出させた』
「長生種2人? エステル?」
ミラーシェードの奥に映るホテルの場所を示した立体地図の指示通りに右折しながら、
は情報プログラム「スクラクト」の言葉に耳を傾けている。
「それってどういう意味なの?」
『使者には副使がいるのだ』
に説明するために、立体地図が縮小化し、ある1人の男の写真とデータが映し出される。
それを見た瞬間、は思わず目を大きく見開いてしまった。
「……これは……!」
『ルクソール男爵ラドゥ・バルフォン。帝国では、キエフ候アスタローシェ・アスラン同様直轄監察員で……』
「所属までは分からなかったけど、名前は知っている。あの方が教えてくれたから。
……メンフィス伯の幼馴染だって」
写真を見ながら教えてもらったことを、は思い出しながら、相手の写真を見つめていた。
そして彼が、一体どういう人物なのかも、しっかりと把握していた。
「私の記憶が正しければ……、彼は強硬派の1人のはずよ」
『それだけではない。ルクソール男爵は……、“薔薇十字騎士団”の幹部の1人だ』
「……何ですって!?」
が新たな情報に驚きの声を上げたのと、
前方で何かが爆発するような音が聞こえたのはほぼ同時だった。
すぐに音源の場所を探せば、海沿いにある建物に、
砂埃と共に大きな穴が開いているのがよく分かる。
「……もしかして、あそこが目的地?」
『その通りです、我が主よ』
耳元に聞こえる声は、目的地を表示させていた映像・探知プログラム「セフィリア」だ。
『中には、異端審問局長ブラザー・ペテロと、“クルースニク02”が交戦しています。……ん?』
「どうしたの、セフィー?」
『ブラザー・ペテロの体内に、何かが注入された模様です。……お気をつけ下さい、我が主よ!』
「え?」
プログラム「セフィリア」の声と共に、の胸元に何かが打ち込まれたような痛みが発生した。
一瞬顔を顰め、自動二輪車のバランスが崩れそうになるが、
すぐに痛みはなくなって、運転を安定させた。
“力”を解放してから、体内にこのような感覚に陥ったのは初めてだった。
今のだから酷い反動はなかったもの、もしこれが3年前だったら、
確実に彼女は押しつぶされていた。
この痛みが現す意味は……、たった1つしかない。
「……あれは!?」
近づく建物の穴に、人影らしきものが見える。
もしあれがそうだったら……。
「セフィー、表示画面を全部縮小して!」
『了解しました』
映し出されたいくつものデータが目の前から消えると、はその穴に向かって大きく目を見開いた。
視界がどんどん接近し、穴に立つ人物を映し出す。
それは……。
「……やばい!!」
相手の正体が分かるなり、自動二輪車のタイヤが道路から離れる。
斜めの斜面をすべるように降りていくと、海沿いを反るように一気に走り出した。
の視点は、大きな穴に集中していた。
道を外れたため、先ほどよりもスピードを上げ、どんどん近づいていく。
しかしその姿はゆっくりと倒れ、海に向かって真っ直ぐ落ちていったのだった。
「アベル――――――!!!」
自動二輪車を乗り捨て、ミラーシェードを外してその場に投げる。
それと同時にの体は、目の前の者同様に真っ直ぐ海に投げ出されていた。
小さな水飛沫が起こり、体がどんどん奥へともぐっていく。
右手を背後に回し、そこから1つのナイフを取り出すと、
は何振り構わず、左人差し指の先端を切った。
海水に赤いものがにじみ始め、青い海の色を変えていく。
だが、それはほんの数分しか続かなかった。
赤く染まっていた海水がきれいに浄化されてしまったのだ。
それだけではない。
訓練もなく長時間水の中にいることは不可能なはずなのに、は苦しい顔1つしないどころか、
水中で呼吸でもしているかのように平然としていたのだった。
血を流し続けている左人差し指の止血をするかのように、
右手でしっかりと握り締めながら、は何の苦もないかのように泳いでいく。
そして目の前に、目的の人物を発見した。
銀髪に僧衣を身に纏っている男――アベルだ。
相手の手を掴むなり、はまだ気を失っていないことを瞬時に確信した。
そしてそのまま、彼の唇に自分の唇をあて、体内に酸素を送り込む。
アベルの目が開けば、唇と唇の間から水泡が見え、
はそれを確認してゆっくりと離し、彼の腕を肩に回して、そのまま上昇していった。
「ぷはぁっ!」
ようやく海中から脱出すると、はすぐにアベルの顔をうかがった。
どうやら、しっかりと呼吸をしているようだ。
「大丈夫なの、アベル!?」
「え、ええ、何とか……」
「とにかく、地上に出ましょう。話はそれからよ」
弱っているところからして、相当衰弱しているのがよく分かる。
早く治療しなければ、命が危ない。
はアベルを抱えたまま、ホテルの真下にあたる岸辺まで泳いでいく。
斜面状に地面が作られていることに、彼女は心の底から感謝していた。
もし直角になっていたとしたら、彼女1人で重症を負っているアベルを上がらせることなど
不可能に近かったからだ。
アベルを引きずるようにして岸辺に上がり、太陽の影になる位置まで運ぶと、
はそこに彼を寝かせた。
ロザリオを横にどかして、急いで僧衣を脱がせると、
そこから見えた光景に、思わず目を顰めてしまった。
「予想以上に酷いじゃない……!」
内部出血を表すかのようにどす暗い青紫色に染まっている胸元を見て、
は思わず叫んでしまう。
自分の体内まで影響が出たのだから、それなりに酷いことは分かっていたが、
まさかここまで非常事態になっているとは思ってもいなかった。
「こうなったら、やるしかないわね」
びしょ濡れになったグローブを外し、アベルの胸元にそっと置く。
ゆっくりと目を閉じれば、の体内から白いオーラが出現し、徐々に掌へを通って、
アベルの体を包み込んだ。
内出血の拡大範囲を少しずつ狭めていき、回復していこうとしていった――。
「……待って下さい、さん」
だが完全に回復する前に、アベルの手がの腕をしっかり掴んでいたのだ。
集中力が鈍り、オーラが消えてしまう。
「怪我のことは問題ありません。先にあの3人を……、エステルさん達を助けに行かなくてはいけません」
「問題ないわけないじゃない! あなた、今自分がどんな状況にいるのか分からないの!?」
「分かってます。けど今は……、こんなことをしている場合ではありません」
非常識な発言を続け、の目が尖り始めていることなど、アベルは十分よく分かっていた。
逆には、自分のことを後回しにしていしまう彼の癖に、
何振り構わず言い捨ててしまう。
「あなたがそのまま我慢すれば、その影響が真っ先に来るのは私なのよ!? それに、
そんな体になったことで、『あいつら』が放っておくわけないじゃない!!」
「けど今は、私なんかより……」
「『私なんか』じゃない! 『あなただから』助けるのよ!!」
視界が徐々に歪んでくることなど、この時にには関係なかった。
彼がなぜ拒否しているのか、本当の理由が分かっているからこそ、
は彼に言い放った。
「アベルだから、アベルだから助けるの。理由なんてない。アベルだから治さなきゃいけないのよ。
アベルだから……」
ぽつりと落ちる涙を感じながら、アベルはの頬にそっと触れる。
流れる涙をそっと拭き、安心させるかのように微笑む姿も、今は痛々しくて見ていられない。
「……無駄な力を使うな、」
いつもと違う口調に、は一瞬はっとなり、思わず彼の顔を見つめる。
「その力を使えば、お前はしばらく動けなくなってしまう。今、そうなったら困るから言うんだ」
「けど、そうしなかったらアベルが……」
「俺のことは心配するな。数日なら大丈夫だから」
「大丈夫じゃないから言っているじゃない」
久々に聞くこの声に、懐かしく感じるのと同時に、余計に胸が苦しくなりそうだった。
だが何故か、先ほどとは違う笑顔に、不思議と安心していく。
「……仕方ないわね、アベル。今回だけ許すわ。けど大きな借り作ったんだから、ちゃんと返しなさいよ」
「ああ。……ありがとう、」
「どういたしまして。ステイジア、水って出せれたかしら?」
『出せれなかったら、あなたの緊急事態の時に大変よ』
「……それもそうね」
ケープの中から、1つの筒状のものを取り出すと、上空からどこからともなく小さな水の塊が出現する。
それが筒状のものの中に注がれると、
は先ほど海中でも使用したナイフを再び取り出し、再び左人差し指の先端を切った。
赤い血が姿を現して、それを水の中に1滴落とせば、水は徐々に赤く染まっていった。
だがそれも、が軽く揺すると、再びきれいに浄化されてしまった。
普通ならその様子に声の1つが上がってもおかしくないのだが、
アベルは特に驚く様子もなく、それどころか自力で起き上がろうと上半身を地面から離した。
すぐにが手を貸すと、何とか上半身を起こし、
手にしていたものを彼に渡した。
「とりあえず、これだけで。あとは騒動が終わったあとでね」
「分かりました」
口調が戻ったことなど、にはどうでもいいことだった。
今の彼女は、少しでもアベルの負担を押さえることしか考えてなかったからだ。
受け取った水を一気に飲み干すと、アベルはお礼を言って、
その筒をに返し、僧衣をしっかりと着直した。
それを受け取りながら、はその場から立ち上がり、黒十字のピアスを軽く弾いた。
「スクルー、例の3人はどこにいるの?」
『地下水路にある地下港だ。……どうやら、ルクソーリ男爵が正体を明らかにしたようだ』
「ルクソール男爵の正体?」
「実は彼、“騎士団”幹部だったのよ」
「……何ですって!?」
アベルは驚いたが、は予想通りに反応だったため、特に気にすることなどなかった。
味方だと思っていた人物が最大の敵であることが分かったのだから、
決して間違った反応ではない。
「なら、なおさら急がなくては……!」
「! 気をつけなさい、アベル!!」
急に立ちあがろうとして、一瞬バランスを崩したアベルを、がしっかりと支えた。
いくら応急処置を施したからと言っても、すぐに効果が現れるわけではないのだから、
が焦るのも当たり前である。
「全く、相変わらずあわてん坊なんだから。ヴォルファー、怪我人がいるから、安全な位置に下ろして」
『船の上とかならいい?』
「全然問題なし。そのまま逃亡すればいいのだから、逆に都合いいわ」
アベルを支えるように、は肩に彼の腕を回す。
そして2人の姿が、その場から消え去っていった。
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