一瞬、安定感のない場所に到着したようにも感じたが、
そこが船の上だと分かり、納得してしまう。
「ここが……、例の地下港?」
「でしょうね。……さん、あれを!」
その場にしゃがんだアベルが指差す方向を見ると、
そこでは異端審問局長ブラザー・ペテロが、青髪の青年に向かってご自慢の“叫喚者”を持ったまま、
短生種だと思えないぐらいの速さで攻撃していたのだった。
「まさか彼……、反応促進剤を注入してるの!?」
「さすがさんですね。――そうです。今の彼は長生種と同じ速さで移動可能なのです」
アベルがこれだけの重症を負った理由が分かったような気がし、は思わず顔を顰めてしまう。
確かあれは、まだ実践で使用されたことなどなかったはずだ。
あまりにも危険な行動に、例え敵であろうと思わず心配になってしまう。
だがこのシチュエーションは、逆に同僚と使者を助ける絶好のチャンスでもあった。
そのことにすぐ気づいたのはアベルだった。
「それより、さん。今のうちに、エステルさんとメンフィス伯をこちらへ呼び寄せます」
「……分かった。私はすぐに船を動かす準備をするから、アベルは2人をお願い」
「了解しました」
アベルの様態が気になるのだが、
わざとそのそぶりを見せず、はすぐに操舵席へと向かった。
彼のことだから、また無理でも平気だと言い張るのが目に見えていたからだ。
操舵席に到着すると、まるで私物を取り扱うかのようにエンジンの起動プログラムを入力する。
本来なら鍵を挿入しないと起動しないはずのものを動かすことなど、にとっては日常茶飯事だ。
今回も苦戦することなく、エンジン音が高々と鳴り響き始めたる。
「アベル、こっちは大丈夫よ!」
「ありがとうございます、さん。――エステルさん、早くこちらに! 早く船に!」
振り返った先にいるアベルが手にしている旧式回転拳銃が白煙を上げている。
その先は、新たな敵である青髪の青年――ルクソール男爵ラドゥ・バルフォンに向けられている。
その間に、エステルとイオンが船に乗り組み、エステルはがいる操舵席へとやって来た。
どうやら、誰も操縦する者がいないと思っていたのであろう。
「さん! 来て下さったのですか!?」
「ええ。少し遅くなったけどね。怪我はない?」
「あたしは平気ですが、閣下が……」
エステルが気にしているのが、
イオンが先日トレスによって負った肩のことだということに、はすぐに察知した。
すぐに治したいところなのだが、長生種の怪我だけはさすがのでも治すことが出来ないため、
とりあえず今はここから退散することを優先することにした。
「とにかく、ここから脱出するわよ。操縦出来る?」
「はい、何とか」
エステルが答えるなり、船はゆっくりと動き始め、地下港から離れ始めた。
速度を上げ、敵からどんどん遠ざかろうとする。しかし――。
「死ね、イオン!」
後方から聞こえた声に、はすぐに視線を向けた。
そこには、ペテロを踏み台にして高く舞い上がったラドゥが、
甲板に蹲っているイオンの頭部目掛けて鉤爪を向けていたのだった。
「――メンフィス伯!!」
「神父さま! 神父さま、撃って!」
が短機関銃を構えて移動する前に、
横にいたエステルが声をかけたのは、甲板にいるアベルだった。
アベルがエステルに応えるかのように旧式回転拳銃の引き金を引くと、
銃弾がラドゥの肩を捉えるかのように飛び出すが、それは素早く回避された。
しかしそれが逆にイオンを救った。
引き続き、アベルが何度も攻撃を繰り出すが、
ラドゥが銃弾をことごとく叩き落すと、面倒臭げに手首を振るった。
そこに現れたのは、青白い火球だ。
「私の邪魔をするな、短生種!」
「!」
ラドゥの火球に、アベルはとっさにのけぞって避けたが、腹部の怪我のせいか、
そのままフラフラとよろめくと、海面に向けて足を滑らせる。
それを見て、すぐにでも支えに行こうとの体が動くが、
彼は片腕1本で手すりを掴み、かろうじて転倒を免れた。
それを見たエステルが、とはまた違う焦りを見せていた。
「神父さま、あなたは何をやって……、ちっ!」
「私が援護するわ、エステル!」
左手で舵を取り、右手に散弾銃の銃口をラドゥに向けているエステルを、
が右手で舵の援護をし、左手に短機関銃をしっかりと握った。
だがが向けた銃口は、エステルが向けている船尾とは違う位置にあった。
銃声と共に、マストの上身巻き上がっていたヨットの主帆を巻きつくロープが切断され、
主帆がラドゥを頭からすっぽりと覆い包む。
それと同時に、イオンに向けて投じようとした火球が帆布に燃え上がり、
その犠牲になったラドゥは絡み付く帆布から逃れようと慌しく鉤爪を打ち振った。
「今よ、エステル!」
「はい! 主よ、感謝します!」
散弾銃の轟音を響かせながら、エステルはラドゥに向かって一気に撃ち込み始めた。
その間に、が猛スピードで船を走らせると、
スクリューの回転しているあたりから何かが海面に転落する音が響き渡った。
どうやら、無事に免れたらしい。
「もう大丈夫です、さん」
「そうみたいね。ありがとう、エステル。助かったわ」
短機関銃を懐にしまいながら、は礼を言うようにそっと微笑んだ。
それを見て、エステルが少し満足したような笑顔を見せて、
に代わって舵を取り始めた。
操縦をエステルに任せ、は甲板の方へと足を進める。
息遣いが少し荒くなっているアベルが気になったが、
怪我を負っていることをエステルに知られることを拒むだろうと思って行動を慎んだ。
その代わり、同じく怪我人であるイオンに近づいたのだった。
「……大丈夫ですか、メンフィス伯?」
「そなたは……、あの時の……!」
「先日は大変ご無礼なことをいたしました。私は教皇庁国務分室派遣執行官、
シスター・・と申します」
「シスター・・? ……まさか……!」
どうやら、イオンは彼女の名前を知っていたらしく、大きく目を見開く。
それを見て、は彼の前に立膝をしてしゃがんだのだった。
[お初にお目にかかります、メンフィス伯。その後、祖母君はお元気でしょうか?]
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