「ねえ、アベル。お腹、空いてない?」
ゆっくりと離れながら言うに、アベルが驚かないわけがなかった。
顔色が、どことなく青ざめて見えたからだ。
「何か、あったんですか?」
「え? 何もないけど、どうして?」
「いえ、その……。何だかとても、顔色が悪いですよ」
「私からして見れば、アベルの方が悪く見えるけど?」
その場から立ち上がり、アベルの額にそっと唇を当てるの顔から見える笑顔は、
他人からしてみればいつもと変わらないものだったのかもしれない。
だがアベルは、それが尋常じゃないことを見抜いていた。
「……すみません」
アベルの口から漏れた言葉に、は一瞬鼓動が弾けた。
「私がこんなんなために、あなたまで迷惑を……」
「もう覚悟を決めたから、心配しないで」
だがその謝罪を、は自らの手で立ち切った。
「適当に食料を調達して来るわ。外が出にくいようだったら、後でヴォルファーに頼んで転送して
もらうから心配しないで。あ、ついでに見廻りもしてくるわね」
近くにあった大きなターバンの布を掴み、はそそくさと部屋を出て行く。
その姿を、アベルは心配しながら見つめていることに、
は気づく暇もなかった。
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「……くっ……!」
部屋を出て数メートル先にある階段で、思わず蹲ってしまう。
体内に廻る「あいつら」が、「主」の緊急事態に反応しているのだ。
最上段に腰を下ろし、壁に寄りかかりながら、呼吸を整えようとする。
しかしなかなか収まることがない。
「……やめなさい、“フローリスト”」
息を切らしながら言う声は、周りが聞こえるか聞こえないかぐらいの音量だった。
「『あなた達』が騒いだところで、『主ら』が納まるわけじゃ、ないのよ……」
対処法を考えなくてはならない。
だが一体、どうすればいいのだろうか。
「主」の治療をするのが一番なのだが、彼はそれを拒否している。
応急処置だって、そんなに長く続くものではない。
何か、いい解決策はないのだろうか。
『…………』
そんな彼女の耳元に届いた声は、低く、とても懐かしさを感じるものだった。
『……、聞こえてるか?』
「ちゃんと聞こえているわ。……出て来れるの?」
『短時間ならな』
階段前の窓から見える月が、一瞬光を強めたように見える。
そしてその光が注がれ、ゆっくりと人の形へと変化させていった。
『久々の再会がこれだと、私としても辛いな、我が「娘」よ』
「その言葉、アベルに聞かせたいわよ」
苦笑しながら言うに、光の影は動き、の前でしゃがむような格好を取る。
額に手らしきものが触れると、相手の光がの体をそっと包み込んでいく。
『本当は体内で調節すべきことなのだが、お前が極度に摂取することを拒んでいるため、
こんな方法しか取れなくなってしまった。全く、お前もアベル・ナイトロードとそっくり
だな』
「それ、あまり嬉しくない誉め言葉よ。それに、私はアベルと違うわ」
『分かっている』
体を覆う光がゆっくりと消えた時には息苦しさもなくなり、顔色も赤みを帯びてきていた。
苦しみから解放されたことで、の口からも安堵のため息が漏れる。
「ありがとう。助かったわ」
『「娘」を助けない「親」などいない。違うか?』
「……確かにね」
がその場に立ち上がるのと同時に、光の人影もゆっくりと立ち上がる。
だがその形が、徐々に崩れていっているのは一目同然だった。
「本当、ありがとう、『父さん』」
『大したことはない。ただ、無理だけはするな。相手はまだ回復してないのだからな』
「分かってる。彼にも伝えておくわ」
の言葉を聞き終えるのと、光に包まれた人影が崩れたのはほぼ同時だった。
月は光を取り戻し、空に光り輝いていた。
そんな月をしばらく眺めた後、はゆっくりと階段を降りていったのだった。
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