それから3日も立つと、イオンの怪我の状況も大分よくなり、
あと1週間もすればちゃんと完治するところまで来ていた。
そこは、さすが長生種と言ってもいいかもしれない。
「依然、カテリーナとの連絡が取りにくい状況には変わりないし、これでは身動きが取れにくいわね」
『夜間外出禁止令執行まで、あと10分だ。いくらプログラム[フェリス]の迷彩シールドを起動して
いるからとは言えど、長時間の外出は危険だ』
「分かっているけど、アベルが戻って来ないから、戻りたくても戻れないのよ」
小型電脳情報機を見つめていながら、が自動二輪車に腰掛け跨っているのには理由があった。
エステルやイオンに警戒心を与えてはいけないと、
見廻りをして来ると言ったアベルを1人にさせるわけにはいかなかったのだ。
相手はイオンよりも重傷を追っている上、が与えている鎮痛剤以外の治療を一切行っていない。
しようとすれば、の体力が消耗するからと拒み、ここ3日の間に何度も言い争いになった。
小型電脳情報機に映し出されているのは、現在のカルタゴ市内の状況である。
赤い点で記されているのが、一刻も早く吸血鬼を捕らえようと警備している特務警察だ。
現にの目の前にも、見覚えのある黒い野戦服の1団がいる。
修正・補助プログラム「フェリス」が施している迷彩シールドがなければ、
今頃彼女は捕われの身であったに違いない。
(これじゃ、大使館に戻りたくても戻れないわね。……ん?)
途中から画面上に現れた青い点滅を発見し、は思わず視界を動かした。
どうやら、待ち人が無事に戻って来たらしい。
(……遅いわよ、アベル)
(すみません。ちょっと、奥の方まで見に行っていたので)
自動二輪車の後部がずしりと重くなり、
相手の姿が無事に迷彩シールドの中に入ったことを知らせてくれた。
安心したかのようにため息をつくと、後部に座った男――ターバンを頭に巻いたアベルの方を振り向いた。
先ほどまで彼が連れていた駱駝は、休憩するかのようにその場に座っている。
「フェリー、駱駝にもシールドを貼って。ヴォルファー、シールドを貼った後に、駱駝をホテルに戻して」
『了解しました、我が主よ』
『了解、我が主よ』
2つのプログラムがそれぞれ返答を耳にしながら、はしきりに咳を繰り返すアベルが気になっていた。
思えば、鎮痛剤の効果がそろそろ切れる頃だった。
「大丈夫、アベル? ホテルまで持ちそう?」
「ええ、大丈夫です。……すみません、さん」
「もう謝るのはやめて。これ以上、あなたと口論したくないわ」
誰かと、特に味方と口論するのは、あまりいい気がしない。その相手がアベルならなおさらだ。
はアベルにしっかり捕まるように言うと、自動二輪車のエンジンをかけ、
ホテルへの帰路を走り出した。
迷彩シールドを貼っているため、特務警察は彼らの姿に気づかないどころか、
自動二輪車によって起こる砂嵐も見えていない。
つくづくがそばにいてくれてよかったと、アベルは思わずにいられなかった。
「周りの特警の数が、予想以上に多いわね」
「ええ。この状況からして、カテリーナさんの所への移動は困難に近いです」
「でも、向こうは皇帝の勅命を受けて、ここまで来ているのよ? それを破るってことは……、
本当、大丈夫?」
「ええ、何とか」
相変わらず咳を繰り返すアベルに、は心配で仕方がなかった。
彼の体の悪化を知らせるかのように、彼女の体にも少しずつ異変が起こっているのだ。
この暑い気候に追い討ちをかけるように、睡眠中に必ず一度は胸に激痛が走り、
それに魘されるように目を覚ましていたからだ。
隣で眠っているアベルが起きてしまうのではないかと、いつもはらはらしていたものだ。
「で、結論としては、カテリーナとの会見を一時保留にして、メンフィス伯をここから救出させる、
ということ?」
「それが、一番いい手段だと思います」
「分かった。もし何かあったら、私の方から彼のお婆様に交渉してみるわ」
「お願いします」
皇帝の側近と知り合いでよかった、とは思った。
そうでなければ、この危機的状況を迎えても、こんなに冷静にはいられなかったであろう。
帝国貴族にとって、皇帝の勅命は絶対だ。
それに背くことは、自らの手で祖国を裏切ることに相当するのだからなおさらだ。
そうこうしている間に、2人を乗せた自動二輪車はホテルの前に止まった。
姿を隠していたこともあり、後ろから追われた形跡はなかった。
ホテルに入ると、アベルは自室に戻ることなく、
イオンがいる部屋へ向かおうとしたため、は思わず彼の腕を掴んで動きを止めた。
「どうしたんですか、さん?」
「どうしたもこうしたも、鎮痛剤が切れかけているのを知らないとでも思っているの? そっちを先に――」
「偵察が予想以上に時間がかかってしまいましたから、先に報告を済ませた方が相手も安心するはずです。
――まあ、あまりいい報告ではないですけどね」
「でも!」
が反論の言葉を投げかけようとしたが、
先にアベルが扉をノックしてしまったので中断されてしまった。
扉が開き、中に入っていくアベルが軽く咳き込むのが無性に気になる。
「あの、失礼します。ナイトロードです。ただいま戻りました」
「ああ、神父、遅かったナ」
部屋の所有者であるイオンは、アベルの言った通り、
偵察から戻るのが遅いことを気にしていた。
どうやら無事に戻って来たことで安心しているらしい。
「……ただ今戻りました、メンフィス伯。具合はどうですか?」
「こちらは問題なイ。も、ご苦労であっタ」
気づかれないようにため息をつき、部屋に入ると、
イオンの表情が少し明るくなったように見受けられた。
これを見てしまうと、これから出す結論が少し言い出しにくくなってしまう。
横に座っているエステルを見れば、無愛想な表情をアベルに向けていた。
イオンが不思議そうな顔で様子を伺ったが、相手は何もなかったかのように笑顔を見せている。
理由が分かるだけに、は思わず心の中で再びため息をついた。
(まだ疑問に思っているわけ、か……)
そう思っている間にも、アベルがイオンとエステルに現状を説明していく。
時々ハンカチを口にあてて咳き込むアベルに、は彼の体が限界に来ていることを察した。
早く鎮痛剤を投与しなければいけないのだが、ここではどうすることも出来ない。
「余は帝国貴族ダ。そして、貴族にとっテ陛下の勅命は絶対ダ」
「お気持ちは分かります。でも、会見を強行して危険にさらされるのは、何も貴方ばかりじゃありません。
もし、異端審問局に踏み込まれた場合、スフォルツァ枢機卿の立場は最悪なものとなりましょう」
ただでさえ、義兄であるフランチェスコから疑われているのだ。
アベルの言う通りに、今ここで強行突破するような真似をしたら、今までの彼らの努力が無駄になってしまう。
だがイオンは、彼の祖国の頂点に立つ皇帝から使者として送られて来た身だ。
ここで下がっては、皇帝に会わせる顔などない。
移動・転送プログラム「ヴォルファイ」を起動してもいいのだが、それすら出来ずにいた。
エステルに、まだ「彼ら」のことを説明していなかったからだ。
いや、Axメンバー以外の国務聖省職員には伝えていないのだ。
「そうだ、お茶でもいれましょうか。長くなりそうですし、続きはお茶でも飲みながらにしましょう。
――神父さま、ちょっと手伝っていただけません?」
「いや、私は……」
エステルの突然の申し出に、アベルは首を振ろうとしたが、
どうやら拒否権がないらしく、黙考しているイオンを残して台所へ向かっていった。
エステルの言いたいことが何なのかぐらい、には分かっていた。
それを現すかのように息を漏らすと、ベッドの上で考え込んでいるイオンの隣
――先ほどまでエステルが座っていた場所に腰を下ろした。
「……神父の言いたいことハ、ちゃんと理解していル。だガ、このまま大人しく帰るわけにはいかないのダ」
「分かっております、メンフィス伯。しかし今の状況では、あまりにも危険過ぎますし、ここで貴方が捕
まってしまったら、それこそ一大事になってしまいます。同じくして陛下に仕えた――正確に言えば、
あなたのお婆様に仕えた私としても、それだけは避けたいのです」
こんな時に、励ましの言葉1つぐらい言えたらいいと思うのだが、
その言葉が何も浮かんでこようとしない。
ただこうして、真実を伝えることしか出来ない自分にもどかしさを覚えている時、
の脳裏にある言葉が飛び込んできたのだった。
『あたしが申し上げているのは、“カテリーナさん”のお話じゃありません!』
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