窓越しに広がる巨大な砂嵐に見えるそれは、

上空にいる“アイアンメイデンU”をも吹き飛ばしてしまいそうだった。




「おい、誰か、某に説明せよ。――一体、何なのだ、あれは?」

「砂嵐……、なのカ? しかし、あの大きさハ!?」




 目の前の光景に、ペテロは呆然とし、イオンは愕然とする。

それは、艦長であるケイトも同じようだった。




<あり得ない……。物理的に、あんなものは存在し得ません! あれだけのエネルギーを

一体どこから供給しているというの!?>




 周りが驚いている中、なぜかだけが平然を装っていた。

いや、心の中では困惑していたのだが、それを気づかせたくなかったのだ。

そのまま黙ったまま、この状況を冷静に見つめているだけだった。




「これは……、“イブリーズ”! まだ生きていたのか、“砂漠の天使”!」




 それを見下ろしながら、アベルの唇が低いうめきを零す。

だがその言葉は、そのままに向けられたかのようにも聞こえる。

その理由を、はちゃんと理解していた。

だからこそ、平然を装う必要があったのだ。




「到着時刻を計算して下さい! あの砂嵐が、カルタゴに到着するまでの時間を!」

<もうやってます!>




 砂嵐がゆっくりと、しかし確実に北東に向かって直進しつつあるのに気づき、

アベルがするにケイトへ指示を出す。

しかし、それより先に計算を終えたのは、

の黒十字のピアス越しにいる情報プログラム「スクラクト」だった。




『到着時間は、214分後だ』

<ええ。5時ジャスト――夜明けと同時です!>




 ケイトが早口に言いながら、艦体を緩やかに転針させる。

だが救出に向かったところで、この“アイアンメイデンU”に市民どころか、

大使館の職員や聖職者達さえも全員乗船させることなど不可能だ。




さん、何かいい方法は?」

「ヴォルファーでさえも、15人移動させるのが精一杯なのよ。それを何度も繰り返していたら飲み込まれるわ」




 いくら「力」が上がったからと言えど、一気に何万人も移動させることは出来ない。

いや、すべてを回復したとしても、これほどまでの人数は限界を超えている。

では、どうすればいいのだろうか。




「……ミラノ公の救出が最優先だ」




 行き詰まりを感じたその時、トレスが平板な声で今後の方針を指摘した。




「現時点で、既にカルタゴ壊滅は確定している。“アイアンメイデン”、カルタゴ市への通報は無用だ。

混乱する市民が避難を始めた場合、ミラノ公の救出が困難になる恐れがある」

「待テ、神父! 汝はそれでも短生種カ!」

「その通りだ! 神父トレス、汝はそれでも聖職者か!」




 イオンとペテロが提案者であるトレスに食いかかる。

だが、長生種であるイオンに賛同したペテロは、

発言直後に言い訳にもなってない言い訳をしようとする。




「あ、いや、むろんこれは某の個人的な意見だが……」

「その個人的な意見が正しいのよ、ペテロ。私も、同じことを思っているから」




 否定するペテロに呆れながらも、はそんな彼に――正確にはイオンとペテロに――同意する。

だがそれを、トレスは完全に黙殺して、そっけなく指摘する。




「現時点で避難を開始しても、彼らの生存確立はゼロだ。どうせ誰も助からん」




 助かる方法はある。

はトレスの意見を聞きながら、心の中でそう呟く。

しかしそれには、必要なものが2つかあった。

その1つは揃っているが、もう1つはまだ見つかっていない。

いや、見つかってはいるかもしれないが、この場から離れてしまったら、

今後の展開に大きく負担をかけることになってしまう。




(彼女の意識が戻っていれば……。……いや、意識が戻ったところで、動けるはずがない)




 ふと頭を横切った案に、は思わず首を横に振った。



 確かに彼女には、自分達のようにこの場を離れられない理由はないし、

揃っている1つと共に行動させても問題がなかった。

しかしそれは、数時間前の出来事がなかったらの話だ。

今の彼女にはあまりにも重すぎる。




(何とかして、説得しなくてはならないわね)




<――あら?>




 1人でいろいろと策を考えていたを我に返らせたのは、

一触即発の危機にある男達の間に割り込もうとしたケイトだった。

誰かが交信を求めているようだ。




<メンフィス伯宛に画像通信が入っていますわ。ええっと発信元は……、

きょ、教理聖省異端審問局所属空中戦艦“ラグエル”!?>

「何ですって!?」

「メインモニターに回せ」




 ケイトの発言にの目が鋭くなると、正面のモニターがトレスの声に応えて光がさす。

大気の影響もあってか、ノイズが混じっているが、

それでも画面に映し出された人物の顔を身間違えるはずがなかった。




「ラドゥ! やはリ、生きておったのカ!」

『……やあ、その声はイオンか。悪いが、こっちの船は映像を受け取れなくてね。

君の顔を見れないのは残念だが、まあ、元気そうで安心した』

「よくもぬけぬけトッ! どの面さげテ、余の前に顔を出しタ!」

『嫌われたものだな』




 どことなく胸を張っているように見える姿を、は黙って見つめているだけだった。

だがその奥では、目の前で展開されていることが、

自分の思惑通りなのかどうかを確認したかった。



 あれは、自分が思っている通りのものなのかどうかを。




『早速だが、用件に移ろう。……既に、そちらにも見ているだろう、私の切り札は?』

「あの砂嵐のことカ……。あれハ、何ダ?」

『“イブリーズ”――大昔、まだ我ら長生種の父祖達と短生種どもが激しく争っていた時代に、

短生種が作った決戦用気象兵器さ。いや、自爆用兵器というべきかな?』




(やっぱり……)




 ラドゥの口から聞いた真実に、は納得のため息をついた。

それに気づいたのは、先ほどから彼女の様子を伺っていた銀髪の神父だけであろう。




(やっぱり私が……、通行可能箇所をすべて封印するべきだったんだわ)









「作業に行けない? どういう意味だ?」

「ブダペストへ向かっている彼女の代わりに留守を頼まれていてね。動けなくなったのよ」

「そうか……。それは仕方ないな」

「ごめんなさい。その代わり、レガールにお願いしたわ。私ほどじゃないけど、信頼出来る人だから」

「本当はあなたがよかったが……、仕方ないな」









『……ああ、そうそう。1つ釘をさしておく』




 ラドゥの声で、は現実に引き戻された。

指を鳴らすと、突然、モニターが暗くなり、彼の顔が消える。

が、再び映し出された場所は、予想もしていないところだった。




『ひとつ釘を刺しておく。いくら私が憎らしいからと言って、この船を撃墜したりするような

強行先はお勧め出来ない。……これは、当艦の真下の映像だ』

<あ、あの建物って……、教皇庁大使館――カ、カテリーナさま!>

「相手も、なかなかやってくれるじゃない」




 モニターを見ながら、ケイトが息を呑み、が舌打ちをするかのように呟く。

これでは、むやみに攻撃出来ず、大きな不利になってしまう。




『そういうことだ。……分かったら、イオン、大人しくここに来るがいい。もう、

あまり時間はないぞ』




 含み笑ったラドゥの姿が、激しいノイズと共に、何かにたち切られたかのようにして画面が暗転する。

しかししばらくの間、誰も動こうとしなかった。




<“イブリーズ”……。ルクソール男爵は自爆用へ行きとかって言ってましたけど、何なんです? 

一体、どういう意味があるのかしら?>

「文字通りの意味ですよ、ケイトさん」




 ケイトの疑問に答えるかのように、アベルが聖エリッサの伝承をふまえながら説明していく。

もその話に加わってもよかったのだが、まるで自己防衛でもするかのようで気が進まず、

結局黙って、彼の話を聞くことしか出来なかった。




「しかし、おかしいナ……。そのような話、我は聞いたこともなイ。我らの歴史二、

カルタゴの街やエリッサとやらは登場しなイ。ナイトロード神父、その伝承は確かなも

のなのカ?」

「それは……」

「今は過去のデータの評価は無用だ。――詮索は、作戦終了後に回すことを推奨する」




 今までモニターに呼び出した地形図を子細に監察していたトレスの声によって、アベルの返答が断ち切られる。

が、それがにとって、ある意味、胸を撫で下ろす結果を齎した。

昔のことを、これ以上思い出したくなかったからだ。




 マスターユニットを機能停止にさせ、“ラグエル”を取り押さえる。

それを両立させるのはかなり至難の技である。

なら、2手に分かれ、一方が“イブリーズ”を止め、一方がラドゥを牽制して、時間を稼ぐのはどうだろうか。

これが、アベルの考えだった。

アベルはボッロミーニが持っていた、あの地下水路図を使い、

マスターユニットがある“女王の墓所(カプラル・エリッサ)”に入り込み、停止すると提案した後、の方へ視線を移動させた。

それはまるで、彼女に了解を取るようにも見えた。




さん、“ラグエル”のプログラムには侵入可能ですか?」

「私を誰だと思っていて、アベル? それぐらいなら、簡単に出来るわよ。少々、ケイトのサポートが

欲しいかもしれないけどね」

<勿論、協力させていただきますけど、時間を稼ぐといっても、ルクソール男爵はメンフィス伯を殺そう

としているわけでしょう? ……火炎魔人(イフリート)を相手にするには戦力()が足りないのではありませんか?>

「……いや、戦力はいル」




 ケイトの不安を取り払うかのように、イオンは首を振り、そのまま背後を振り返った。

そして、先ほどから沈黙と腕組みしたまま不気味な沈黙を守っている男を見つめた。




(なるほど、そういうわけね)




 がイオンの心を読んだかのように心の中で呟くと、

予想通りの言葉が、イオンの口から毀れた。




「ブラザー・ペテロ。余に、そなたの力を貸して欲しい」

<……なっ!?>

「ラドゥと互角に戦ったそなたの力、余は高く評価していル。……それを余にかしてはくれぬカ?」

「……正気か、汝は?」




 相手は異端審問官。

本来なら、長生種にとっては天敵の彼らに力を貸して欲しいと言っているのだから、

ペテロが不審に思わないわけがなかった。




「むろん、ただでとは言わヌ。事が終われば、余の首をそなたに進呈しよう。それでどうダ?」

<か、閣下! いけません、そんな約束――>

「そうですわ、メンフィス伯! そのようなことをして、あなたのお帰りを待っている方が――」




 ケイトとが制止させようとしたが、その前にアベルが腕を出したため、

2人の言葉はお互い止まってしまった。

そしてそんな2人を視線で押さえて、黙って首を横に振った。




「――1つ、聞いて言いか、イオンとやら。汝が、某の力を使ってまであの吸血鬼と決着をつけたいと

いうその理由は何だ?」

「あの男は我が友人だっタ。いや、今でもそう思っていル。……余は、これ以上、過ちを犯させたくなイ」




 友を想うイオンの心は、にはなかったものだった。

友のため、などといった理由で行動したことがなかったからだ。

彼女が信頼した人物は1人しかいなく、その人の願いを叶えるために、ここまで生きてきた。

それが、「友」などという生易しいものではなく、もっと別の意味が存在していたから、

「友」の危機を救おうというイオンの気持ちが、少し羨ましく感じていた。




(私は「友」のために、命を張れるのだろうか……)




 ふと、脳裏にそんなことが頭を横切ったが、それはすぐに打ち消された。

そして目の前に広がる沈黙に視線を向けた。




「……おい、シスター・ケイトとやら。この船に武器庫はあるか?」

<え? ええ、一応ございますが……、あの、何を? まさか、ハイジャックとか?>

「阿呆なことを言っとらんで、とっとと某をそこに案内しろ。あの火炎魔人とやり合うには、

こちらもそれなりの装備をせねばなるまい」

<え?>




 ケイトの目が丸くなったが、隣にかしこまっていたイオンの顔は輝いていた。

相手が承諾してくれたのだが、当然のことと言えば当然のことだ。




(狙ったわね、アベル)

(彼ならすぐに、賛同してくれると思いましたから)




 反論するのを止めたアベルに、は誰にも聞こえない声で言う。

そしてペテロが、あくまでも自分は教会とカルタゴ市民、そして殺された部下のために戦うと言い、そっぽを向いた。

照れているのか、妙に顔が赤いペテロを、

が可愛いと思わないわけがなく、思わず小さく笑ってしまった。




「ぬっ! 何を笑う、シスター・!」

「だって、可愛いんだもの、ペテロ。……フフッ」

「それ以上笑ったら、ただじゃおかないぞ!」

「いいじゃない、笑ったって。今度、メディチ猊下に会ったら、話題の1つにでもして話しておくわ。

――勿論、メンフィス伯のことは伏せて、ね」

「余計なことを報告せんでいい!!」






 怒鳴るペテロに、はすぐに笑うのを止めようとしたが、

未だ赤い顔をし続けたためか、なかなか止めることが出来ずにいたのだった。











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