地下水炉の入口に行く前に、エステルの様子を見に行きたいというアベルを止める資格など、

には何もなかった。

だから彼を見送るついでに、途中まで一緒に歩いていた。




「……教えて下さい、さん」




 突然のアベルの要求に、は不審に思っていなかった。




「“イブリーズ”を作ったのは……、あなたですね?」

「最初から分かっていたくせに、よく言うわ」




 呆れたように言うを、アベルもまた、そんな彼女に呆れたようにため息をつく。

予想通りの答えに、少しだけ疑惑の色を覗かせる。




「あなたが作ったものが、こんな簡単に起動するわけがありません。――理由をご存知ですね」

「万が一のことを考えて、電脳制御言語をローマに保存していたのよ。それに、私がいないと

起動できないものなんて作ったら、エリッサが困るじゃない」

「そう、でしたか……」




 医務室へと続く道の途中で足を止め、は外にある“第2の月”を眺める。

そんな彼女に、アベルはすぐ、次の質問を投げかけた。




「それなら……、止める方法も、分かってらっしゃるってことですよね?」

「知っているわ。――けど、それは今、ここでは言えない」

「どうして?」

「それは……、……あなた自身の手で、切り開かなくてはならないから」




 アースカラーの瞳が、アベルの湖冬の瞳を捕らえ、そして何かを訴えるかのように見つめる。

その瞳を、アベルの湖水の瞳が同じようにして見つめ返す。




「私はただ、彼女の指示に従っただけ。それ以上のことは、何も言えないわ」

「本当に、それだけですか?」

「ええ。……何か疑問でもあって?」

「……いいえ、何もありません」




 本当は、数え切れないぐらいの疑問点はあったのだが、

それを言っても、に強く反発されるだけだと思い、アベルは問いかけるのを止めてしまった。

そして1人、医務室に向かって歩き始めたのだった。



 そんなアベルの姿を見つめながら、は彼に背を向け、

1人、“アイアンメイデンU”内にあるゲートに向かって歩き出した。

彼が下船する用のワイヤーの確認をしなくてはならないからだ。



 ゲートに到着し、設置されているワイヤーを取り出し、先端にフックを仕掛ける。

それを適当な長さまで引き出すと、フックを床に静かに置いて、

壁に寄りかかった。そして脳裏に響き始めた声に、ゆっくりと耳を傾けた。




『今日はとんでもない目に遭わせてしまってすみませんでした。……反省しています』




 穏やかな声ではあるが、どこか苦しそうに聞こえるのがよく分かる。




『怖かったはずですよね。……私自身、自分のことが怖いんだから』




 怖いのは、彼だけではない。

怖いのは、も同じだった。




あれ(・・)は、あなたの考えているようなものじゃないんです。あれ(・・)は、けっしてあなたが考えている

ような力なんかじゃない。詳しい説明は出来ませんが、あれ(・・)はもっと別のもの……、言ってみれば、

私の罪の刻印みたいなものなんです……』




 「罪の刻印」。

その言葉に、は思わず俯いてしまう。

その「罪の刻印」に仕立ててしまったのが自分であると思うと、

胸が締め付けられるような感覚に襲われそうになる。




『――あれ(・・)になってしまうと、私は自分を……、あいつら(・・・・)を抑えられなくなってしまう。だから、

出来ればあなたの前では使いたくなかった。使えば、あなたを怖がらせてしまうから』




 それを抑えるために、はここにいるのだと言いたかったが、

何も言わず、口を紡ぐ。




『だけど、これだけは信じて下さい。……私はあなたの味方でいたかった。あなたやイオンさんのことを

どうしても護りたかった。それだけは本当です。……それと、もう1つ』




 ワンクッション置くかのように言葉が途切れ、再び発せられた声は、

まるで距離が離れた位置にいるに訴えるかのように注がれた。




『私のことは許してくれなくても構いません。でもどうか、さんのことは許してあげて下さい。

彼女は私を止めるために、なりたくないものになってしまった。ただ、それだけのことだから』




 はっとしたように目を大きくしたの目の先には、

まるでその光景が映し出されているかのように、

寂しい、それでいて苦しそうな表情を見せるアベルの姿が頭の中を横切った。




『彼女は何も悪くありません。悪いのは、自分の力をコントロール出来なかった私です。だから、

さんには責めないで下さい。彼女は何も、悪くありませんから』




 それっきり、アベルの声は途切れてしまった。

きっと、医務室から離れていったのであろう。

そう思うと、再びは、その場に俯き、そして目を閉じた。



 遠くから、とぼとぼとひきずるような足音が響き、彼女の目の前で止まった。

下に落ちていたフックを掴み、僧服のベルトに引っ掛け、

ゲートを開けるボタンに視線を向けた時。




「――どうして」




 まるで、何かに震えているかのように呟き、ゆっくりと、だが鋭くアベルの顔を見つめた。




「どうして……、どうしてそんな余計なことを言うの? どうしてそんな、関係ないことを

エステルに伝えたの?」

「関係ないことではありません。これは、彼女に伝えなくてはいけない事実です」

「事実なんかじゃないわ!」




 思わず声を張り上げてしまったことに気づいていただろうか。

だがもしそうであっても、今の彼女には、そんなことなどどうでもよかった。




「私は自分が“化け物”扱いされて、辛いだなんて思ったことなんてないし、あなたみたいに傷ついてなんてない。

そもそも、私がそんなことでくよくよ悩んでいると思って――」




 何かを叩きつけたかのような音が左耳に響き渡り、は思わず息を呑んでしまった。

アベルの右手が、の顔から数センチのところの壁を押し付けている。



 そしてその先に見えたのは、いつも以上に目を鋭くさせたアベルの姿だった。




「いい加減にして下さい、さん」




 静かに、だが尖った針のように、アベルの声が突き刺していく。




「いい加減、強がりを言うのは止めて下さい。もう……、聞き飽きましたよ」




 今まで、こんなアベルの姿を見たことがなかった。

あったかもしれないが、そんなに意識はしていなかった。




「もっと自分に素直になって下さい。あなたになら、なれるはずです」




 横にある腕がゆっくり外され、そして、扉を開けるボタンに手を伸ばそうとする。

だが、が静かに声を発したため、数センチ前で止まってしまった。




「……今更、そんなこと言われても遅いわよ」




 先ほどと違って、何かに怯えているような声が、アベルの耳元に響き渡る。




「今更、素直になれって言われて、そう簡単になれるわけないじゃない。あなたと彼女以外の人に、

甘えられるわけ、ないじゃない……」




 今にも泣き崩れそうになっているを、

アベルは少しだけ安心したかのように、そっと抱きしめた。

その胸の中で、は何かをぶつけるかのように、涙を流し続けた。




「……エステルさんは、そんなに冷たい人じゃ、ないですよ」




 先ほどとは違い、優しく、温かな声が、の耳に注がれていく。




「だから、ちゃんと素直な気持ちを彼女に打ち明けて下さい。私のことは難しいかもしれませんが、

あなたのことなら、ちゃんと受け止めてくれるはずです」




 ゆっくりと体が離れ、の瞳を流れる涙をそっと拭い、その跡にそっと唇を当てる。

それがまるで慰められているようで、自然と力が抜けそうになってしまう。



 額に唇が触れて、ゆっくり離すと、

アベルは再びボタンに手を伸ばして、ゲートの扉を開けた。




「ケイトさん、聞こえますか?」

<ええ、聞こえますわ。準備は、整いましたの?>

「はい。お願いします」

<分かりました。ゲートはこちらで閉めますので、地上に到着し次第、すぐにワイヤーを

放して下さいまし>




 イヤーカフスからケイトに指示を出すと、“アイアンメイデンU”が制止する。

扉から吹き荒れる風に向かって、アベルの姿がゆっくりとその場から消えていった。



 ワイヤーが全て引き戻され、ゲートが閉じられた後も、はすぐそこから離れようとはしなかった。

頭の中で、アベルの言葉がぐるぐると回っている。






『だから、ちゃんと素直な気持ちを彼女に打ち明けて下さい。私のことは難しいかもしれませんが、

あなたのことなら、ちゃんと受け止めてくれるはずですから』






「……本当あなたは、自分のことを何も考えない人なんだから」




 そう零しては見たもの、言った本人も人のことは言えないため、

思わず苦笑してしまいそうになる。

しかし、今はそんなことをしている暇などなかった。



 やれるだけのことはやってみよう。

もしそれが彼の願いなら、それを叶えさせる義務がある。

そしてそれは、“イブリーズ”を停止させるのに、一番効果的でもある。




「本当はプログラムに潜入(ダイブ)して停止させようと思ったけど……、その必要がなくなるように、

努力してみましょうか」






 何かを決意したかのように言うと、はその場から離れ、

足を医務室へと向けたのだった。











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