医務室に続く廊下に出た時、
の耳に聞こえたのは、どこか焦りの色を伺わせるようなケイトの声だった。
<――あ、シスター・エステル、どちらにいらっしゃられるんですの!?>
ケイトの言葉からして、エステルが気がついていることはすぐに分かった。
しかし彼女が、どこへ行こうとしているのかまでは把握出来ない。
<本当は安全な所におろしてあげたいのですが、その時間がありません。あなたは、戦闘の間、
船室に待機していて下さいまし>
エステルの足を止めるかのように、ケイトガ呼び止めたが、
エステルの決意は変わっていないかのように首を横に振った。
そして、彼女の口から毀れた言葉に、は大きく目を見開いた。
「あたし、ナイトロード神父と同行します!」
これは、何かの聞き間違えなのではないか。
の脳裏に、疑惑の色が広がっていく。
しかし後方に見える尼僧の言っていることは間違いではないようだ。
「ナイトロード神父のところに引き返してください、シスター・ケイト! あ、あたしも一緒に行きます!」
「それは許可できない、シスター・エステル・ブランシェ。――卿が同行しても足手まといになるだけだ」
当然のごとく、隣にいるトレスが彼女の行動に反対するが、
は心の中で、1つ手間が省けて安心していた。
それは彼女が、アベルの任務に関して、絶対に必要な人物であるからだ。
「お願いです、神父トレス! あたし、あの人に……、あの人に、言いたいことがあるんです! お願い!」
「私がエステルの護衛につくわ、トレス」
トレスの僧衣を掴んでいたエステルが、声がした方へ振り返ると、
そこにはどこか、だが他人では分からない程度に安堵な表情を見せるの姿だった。
それを見たエステルが、一瞬顔を強張らせたが、
何かを思い出したのか、すぐに表情を戻した。
「具合はどう、エステル?」
「あ、はい。大丈夫です。それより……」
「分かってる。――トレス、私が彼女の護衛に入って、アベルに同行する。そうすれば大丈夫でしょ?」
「シスター・ケイト1人で、異端審問局の空中戦艦“ラグエル”のマスターコードを解除させるのは不可能だ。
したがって、卿がここから離脱する許可は出せない」
「ステイジアをケイトのサポートにつかせるわ。『彼女』なら、空中戦艦1隻ぐらい、余裕で突破出来るから。
――それでいいわね?」
『十分よ』
の声に反応するかのように、3人の前に小さな光が灯り出す。
そこから見える人影に、エステルが思わず小さく叫んでしまう。
「光の中に、人が!」
『初めまして、エステル・ブランシェ。私の名は[ステイジア]。が所持しているオペレーション・システム
「TNL」の専属戦闘プログラムサーバよ』
「『TNL』? 戦闘プログラムサーバ?」
『細かい説明は後にして……。トレス・イクス、エステル・ブランシェを、すぐにアベル・ナイトロードのところ
へ行かせてあげて。彼女は、“イブリーズ”を止めるために必要なの』
「…………」
相手は機械だ。
ちゃんとした理由がなければ、すぐに許可など出るわけがない。
だがこの時、はいかなる方法――トレスの起動プログラムを一時停止させてでも、
エステルを“聖エリッサの墓所”へ連れていくつもりでいた。
「ナイトロード神父への同行は許可出来ない、シスター・エステル・ブランシェ、シスター・」
(フェリー、ヴォルファー)
『了解しました』
『了解』
主人の意思が伝わったのか、耳元で修正・回復プログラム「フェリス」と
転送プログラム「ヴォルファイ」が囁く。
そして、手を彼の目線へ持っていこうとした時――。
「シスター・ケイト、船を停めて、どこか適当な場所にシスター・エステル・ブランシェを降ろせ」
トレスの言葉に、思わず手が止まってしまう。
そしてその真意を読んだのか、はケイトと共に反論する。
「彼女が……、足手まといだと言いたいの、あなたは?」
<そんな! し、神父トレス! それはあんまりなんじゃ……>
「ここに乗せておく方がかえって危険だ。ナイトロード神父が持っていた地図のコピーがあったはずだ。
あれと、護身用の武器を与えて、シスター・と共に地下に降ろせ」
トレスの指示は、エステルだけではなく、その場にいたの表情すら明るくさせる。
それはつまり、地下水路にいるアベルのもとへ行くことを許可したと
取ってもいい内容だったからだ。
「じゃ、じゃあ、神父トレス……!」
「むろん、地下水路に潜った後、卿がどこに行こうと、我々の関知するものではない。
……自分の身は自分で守れ。シスター・、卿もだ」
「了解、トレス。……ありがとう」
「俺は何も、感謝されるようなことはしていない」
それだけ言い残して、トレスはその場から立ち去っていく。
その後ろ姿を見つめながら、は天井の監視カメラ越しにいるであろうケイトに向かって声をかけた。
「と、いうことになったから、“ラグエル”の方はよろしくね、ケイト」
<仕方ありませんわね。ステイジアさんがサポートしてくれるのであれば、
こちらとしては問題ありませんけど、今回だけですわよ>
「勿論。ヴォルファー、エステル用にパンツァー・ファウストを用意して」
『あんな使い捨て対戦車ロケット砲でいいの?』
「女の子にバズーカーを持たせるわけにもいかないでしょうに」
『それもそうだね』
どこからともなく聞こえる声に、エステルは首を傾げたが、
突如、目の前に現れたパンツァー・ファウストのおかげで、
その疑問がすっかりなくなり、新たな疑問が横切った。
これは一体、どこから現れたというのか!?
「さん、これは!?」
「とりあえず説明は、地下水路に入ってからよ。それと地図だけど、場所は私が分かっているから、
なくても問題ないわ」
<分かりましたわ。……ゲートから行かれますか? それとも、ここから行きます?>
「そうね、一応ゲートからにしましょうか」
<了解しました>
ケイトの声が一旦消えると、は自分の懐にある2挺の短機関銃を取り出し、
それぞれの弾倉を確認し、再び懐へ戻した。そして何かを決意したかのように、
エステルへ視線を送った。
「準備はいいわね?」
「はい。……さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね、エステル」
彼女へ軽く笑顔を送り、は再びゲートへ向かって走り始めた。
その後ろを、エステルが遅れることなく追いかける。
ゲートに到着するなり、はすぐにゲートの扉を開けるスイッチに手を伸ばした。
大きく開かれた扉の奥からやって来る風に、一瞬身が捕われてしまいそうになる。
「エステル、私に捕まって!」
風に煽られながらも、エステルは指示通り、にしっかりと捕まる。
しかしには、アベルのように、艦内の取りつけられているワイヤーを掴んでいない。
そう言えば、先ほどケイトが不思議な質問をしていた。
ゲートから行くか、それともあの医務室前の廊下から行くか、
そんなようなことを言っていたような気がしていた。
あれは一体、どういう意味だったのだろうか?
「……怖い、エステル?」
横から聞こえた声に、エステルは我に返って、相手の顔を見る。
その表情は、一見いつもと変わらないように見えるが、
どこか辛く、悲しそうにも見えてしまうのは気のせいだろうか。
「……怖くなんて……、ありません!」
「そう。なら、行くわよ!」
否定的な答えを出したのは、間違いだったのかもしれない。
自分との体が、砂漠に埋もれた大地に向かって放り出されたのだから、そう思うのは当たり前だった。
声が出ないぐらいの恐怖に、エステルは思わず身を固くしてしまいそうだった。
だが数分後、その体が一瞬ふわりと軽くなったような感覚に襲われ、
自分をしっかりと抱きしめている尼僧の方へ視線を向けようとした。
いや、それよりも先に、彼女の背後にあるものに目が止まってしまった。
羽――それも純白に輝く翼が、地上から吹き荒れる風を軽快に切り分けていく。
それはまるで、鳥にでもなったかのようで、とても居心地がよかった。
そしてそれに安心したのか、エステルはに全てを任せたかのように、
ゆっくりとその瞳を閉じたのだった。
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