気絶してしまったのだろうか。
は目を閉じたエステルを見つめながら、
彼女をそっと壁へ寄さりかかるように座らせた。
反対側の壁の1角にある蓋を開けると、そこからコンソールが姿を現し、
は右手の手袋を外して、そこにそっと触れた。
光が上下に移動し、何かを監置したかのように、地下水路がオレンジ色に光り始め、
暗かった道を少しだけ明るく照らした。
奥の方で、何かが動くような騒音がするのは気のせいではないようだ。
「、さん……?」
背後から聞こえる声に、はすぐ反応する。エステルが気づいたようだ。
「大丈夫、エステル? すぐに動けそう?」
「え、ええ……。……ここは?」
「地下水路にある、秘密通路よ」
「秘密、通路?」
「そう。ほんの数人しか知らなくて、あの地図にも載ってなかった通路よ」
そんな通路を、なぜが知っているのか、エステルが疑問に思わないわけがなかった。
しかし、今はそれを問い質す時間はないことを知っていた。
「行きましょう、さん」
その場に立ち上がり、スカートについた埃を取るように手ではらう。
「早くナイトロード神父と合流しましょう」
「……そうね」
何かを決心したかのように、エステルの目は鋭く、そして光り輝いていた。
それが何なのか、はうっすらとは理解していたが、詳しいことを聞かなかった。
いや、聞いたとしても、自分には関係がないことだと思っていた。
「セフィー、ナビをお願い」
『了解しました』
聞き覚えのない声と同時に、とエステルの前に、1つの線のようなものが現れ、
どこかへ向かって真っ直ぐ伸び始めた。
それはまるで、目的地の道しるべをしているようにも見える。
「この線を追えば、アベルのところまで行けるわ。私1人だったらなくても行けるけど、一応、
念のためにね。さ、行きましょう」
「あ、は、はい!」
唖然として線を見つめていたが、すぐに我に返り、走り出したのあとを追い始めた。
線が左折すれば左折し、右折すれば右折する。
途中て途切れたかと思えば、新しい道を案内するかのように再び伸び始める。
それを繰り返しながら、5分ほど走った時。
「さん、1つ、聞いてもいいですか?」
走り疲れてはいるが、聞きたいことがあるなら、今しか聞けない。
エステルは意を決して、に問い始めた。
「“アイアンメイデンU”の時から疑問に思ったんですけど、『TNL』って何ですか? 先ほどから聞こえる声と、
何か関係があるんですか?」
「『彼ら』は、私を育ててくれたプログラム達よ」
「育ててくれた? どういう意味ですか?」
「私はプログラムに育てられた人間なのよ、エステル」
「え……?」
の答えに、エステルは思わず足を止めてしまった。
言っている意味が理解できず、顔を顰めてしまう。
「プログラムに育てられたって……。それじゃ、さんは……」
「私はあなたと同じ人間よ」
足を止めたエステルに反応して、も足を止め、エステルの顔を見つめる。
それはまるで、何かを強く訴えているようにも見える。
「例えプログラムに育てられても、私はあなたと同じ人間であることに変わりはないわ。ただ、
育った環境が違うだけ」
「まさか、ナイトロード神父も……」
「彼は違う。こんな生き方をしたのは……、私だけよ」
アベルととでは、誕生した理由が違う。
彼はあるプロジェクトのため、彼女はあるものを探すため、
それぞれここに生を受け、今まで生きてきた。
途中は、自分の目的を脱線させてしまい、
そのことが最悪な結果を招いでしまい、今でも彼女の心に、深い傷跡を残していた。
「……私は別に、『化け物』扱いされても構わない」
過去の記憶に蓋を閉め、目の前にいる尼僧に向かって話し始める。
「私は昔から『化け物』だった。それは、今でも変わらない。現にあれを持っている今では、
昔以上にその言葉が合っているのかもしれない」
いつもと変わらず、優しい声で語っているが、
エステルはその奥に、何かとても辛く、苦しんでいるの姿があるように見える。
だがそれをうまく覆い被さるように、はゆっくりと目を閉じた。
「けどアベルは、その言葉1つで簡単に傷ついて、自分で抱え込んでしまう。どこにもぶつけることが出来ず、
誰にも迷惑をかけまいと、1人で解決策を考えてしまう。……私という存在がいるのを、忘れてしまう」
「それは、神父さまとさんが繋がっているのに、ということですか?」
「……ええ……」
“クルースニク”と対になる存在、“フローリスト”。
その、“フローリスト”であるにでさえ、アベルは時に、自分の気持ちをぶつけないことがあった。
いや、ぶつけなくても、相手はすでに気づいていることを知っているため、語ろうとしないだけかもしれない。
そうだとしても、はアベルの言葉で、その事実を知りたかった。
エステルとしては、アベルとがどういう意味で「繋がっている」という言葉を使ったのか、
まだちゃんと理解はしていなかった。
しかし昨夜、あの光景を思い出せば、何となくその意味が分かるような気がしていた。
「だからなおさら、アベルのことを許してあげて欲しい。アベルを怖がらないで欲しい。アベルは優しいから、
私のことしか言わなかったけど、きっとそれは、彼にも当てはまることだから。逆に、私の方が――」
の言葉は、ここで途切れた。
遠くから、何かが向かってくる音が水路に響き始めたからだ。
『前方から、自動化猟兵が向かっている』
「どこまで来ているの?」
『秘密通路の手前まで来ている。そこから先は、プログラム[フェリス]の抵抗シールドで塞いでいる』
「そこを避けていくコースは?」
『あったとしても、すぐに相手に気づかれます』
情報プログラム「スクラクト」と探索・補助プログラム「セフィリア」と会話するの姿を、
エステルは先ほどとは違う目で見つめていた。
の周りにいる存在を知ったからかもしれない。
「こうなったら、その付近まで行って、エステルを先行させるのが一番かもしれない。セフィー、
とにかく、敵に気づかれないコースを選択して誘導して」
『了解しました』
「エステル、念のためにパンツァー・ファウストの弾の確認をして。……あまり使わせないように努力するけど」
「は、はい!」
突然自分に振られたため、エステルは少し焦りながらも、
尼僧服に隠していたパンツァー・ファウストを取り出す。
弾を確認し終えると、それをしっかりと握り締め、に1つ頷いた。
「大丈夫です、さん。行けます!」
「よし。それじゃ、急ぐわよ!」
「はい!」
2人は軽く頷くと、再び線の導きに沿って走り始めた。
敵から襲いかからないうちに、少しでも時間を短縮させなくてはいけない。
そのため、2人とも必死になって目的地への道のりを急いでいた。
どれぐらい走っただろうか。
目の前から、何かが動き回る音がして、とエステルは身を固くした。
どうやら、敵の集団に遭遇しようとしているらしい。
「さん、あれ!」
「分かってる!」
右側の懐から1挺の短機関銃を取り出すと、
天辺にあるレバーを手前まで引っ張り、引き金を勢いよく引いた。
それを前方に向けると、一斉に光を集め始めた銃口が輝き出し、
直径20センチほどの塊になったところで、引き金を支えていた人差し指を外した。
光の塊が、銃口から勢いよく飛び出すと、前方にいると思われる自動化猟兵に向かって飛んで行く。
途中、無数の弾に分散し、何かに当たったかのように大きな轟音を上げるのが聞こえて来る。
走るスピードを緩めず、2人は轟音が響き渡った場所を通りすぎる。
見事なまでに鎧を着こんだ人間――軍用コートにガスマスク、
ヘルメットを装備した長生種の動死体の心臓部に、直径5センチほどの穴が空いているのがよく分かる。
ただ1発発射しただけなのに、こうも見事に命中していることに、
エステルはの凄さを改めて実感した。
が、そんな余韻に浸っている暇などなかった。
目の前から、新しい自動化猟兵がやって来たからだ。
「くっ! 一体、何体作ったのよ、あの電脳調律師は!!」
誰が作ったのかなんて、はすでにお見通しだった。
もし彼がここにいたら、おもいっきり殴ってやりたいと思うほど、
彼女は相手に怒りを覚えていた。
短機関銃の天辺にあるレバーを中心に押すと、
左側の懐にある短機関銃も取り出し、一気に撃ち抜いて行く。
一気に飛び出す銃弾に、相手は“加速”で避け続けるが、
踊っているように見えるの射撃法では、避けても移動した先で撃たれてしまうため、
走って通過していく間に、いくつもの死体――この言い方は正しくないかもしれないが――が転がっていった。
だが、行っても行っても、湧き上がるようにやって来る敵の数に、
は徐々に体力を消失し始めていた。
少しだけ貧血気味な感じがする。
(アベル、負傷しすぎよ……)
目的地に到着したと思われる同僚に向かって呟くが、今は相手の返答を待つ暇などない。
何とかして、ここを突破しなくてはいけない。
せめて、エステルだけでも――。
「エステル、ここは私に任せて、あなたは先行しなさい」
攻撃する手を止めることなく、
は後方でパンツァー・ファウストを撃ち放っているエステルに向かって叫んだ。
「あなたがいなければ、“イブリーズ”は停められない。だから、すぐにアベルと合流しなさい」
「さんは!? さんは、どうするんです!?」
「私はここで、こいつらを倒していく」
左手に握る短機関銃のグリップの先で、右手に握る短機関銃の天辺にあるレバーを手前まで下げると、
右人差し指にかけている引き金を一気に引く。
銃口に吸収されるかのように光が集まり出し、再び塊を作り上げていく。
「これを放ったら、すぐに走りなさい。もし敵が現れても、あなたには攻撃を当たらないように
ガードを貼るわ」
「でも!」
「私のことは気にする必要なんてない。私は……、『化け物』だから」
前方に向かって引き金を離せば、光の塊が一気に飛び出し、目の前にある障害を排除していく。
それを確認するように轟音が鳴り響くと、はエステルに向かって声を張り上げる。
「今よ、エステル! 急いで!!」
「は、はい!!」
反射的に答えたエステルが、道しるべの光に向かって走り始める。
その姿を、は鋭い視線で見つめていた。
目的地に、無事に到着することを祈るように――。
『……危ないです、我が主よ!』
「え……?」
プログラム「セフィリア」の声が聞こえた時には、
すでにの背中に赤い線がついた後だった。
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