「さて、私は最後の仕事をして帰るから、2人は先に“アイアンメイデンU”に戻っていて」




 数分立って、はエステルとアベルが負った傷

――アベルは“クルースニク”化した時に治ったのだが――を一通り治すと、

目の前に聳え立つ階段状ピラミッド(ジグラッド)を指差しながら言った。




「完全凍結させるんですか?」

「ええ。そうしないと、また誰かに使われちゃうでしょ? そうならないためにも、

しっかりと予防線を張っておかなきゃいえけないから」

さん1人で、大丈夫なんですか?」

「私だから出来ることなのよ」




 の答えに、エステルは一瞬首を傾げたが、

彼女がプログラムに育てられたことを思い出して、すぐに納得した。

だがそれでも、やはり心配なのか、彼女は不安そうな表情を見せていた。




「大丈夫ですよ、エステルさん」




 そんな彼女に、いち早く声をかけたのはアベルだった。




さんは、教皇庁一の電脳調律師(プログラマー)で、こういったことは大の得意なんです。それに、今回の騒動で、

カルタゴ市民のみなさんの援助もしなければいけませんし」

「そうよ、エステル。さっき、ケイトから連絡が入って、“ラグエル”も無事にハッキング成功したし、

大使館を避難所として開放したらしいから、今頃人手が足らなくて慌ててると思うわ」




 異端審問局空中戦艦“ラグエル”のハッキングは、

ケイトと戦闘プログラムサーバ「ステイジア」のお蔭で、無事に事を終えることが出来た。

イオンは紫外線によって悲鳴を上げたバチルスのせいで大きな外傷を負ったが、

何とか命を取り留め、トレスによって治療中とのことだった。



 そしてこの戦いの発端を作った人物――ルクソール男爵ラドゥ・バルフォンは、

ペテロとトレスの攻撃によって海に沈んでいってしまい、今も捜索中とのことだった。




「と、いうことだから、2人はすぐに地上へ戻って、スフォルツァ猊下の手助けをしてあげて。

私も作業が終わり次第、すぐに戻るから」

「……分かりました」




 に説得され、エステルは少し不安になりながらも了解したが、

彼女の言っていることは間違っていないため、ここはその指示に従うことにした。

それに、手伝うようなこともないと分かっていたからだ。




「それじゃ、さん。あとはよろしくお願いします。行きましょう、神父さま」

「ああ、はいはい。――さん、終わったらすぐに大使館へ来て下さいね」

「分かってるわよ、アベル」




 部屋の出入り口へ向かって歩く2人を、は手を振って見送る。

そしてその姿が見えなくなると、彼女はゆっくりと階段式ピラミッドを昇り始めていった。



 頂上に到着すると、久々に見るキーボードに、思わず深いため息をもらしてしまう。

もう、これに触れることもないだろうと思っていたのだからなおさらである。




「……私の声が聞こえる、“イブリーズ”?」




 誰かに声をかけるかのように、はモニターに向かって呟く。

すると、消えいてたはずの画面が、一斉に光り始め、ある声が流れ始めたのだった。




『……お久しぶりです、様』




 まるで、何年振りかに再会するかのように、その声は懐かしさを帯びたように聞こえた。




「ストッパーが弱かったみたいで、申し訳ないと思っているわ。本当、ごめんなさい」

『あなた様が謝ることではありません。ご安心を』




 プログラムに慰められるのも癪なのだが、にとっては、あまり苦に感じていなかった。

むしろ、この方が普通で安心してしまう。




「私がやりたいこと、分かっているわね?」

『はい。管理者モードへの移行を行います。お手元のコンソールに右手をあてて下さい』




 コンソールの横に、手帳ほどの大きさの明かりが灯ると、

 は右手の手袋を外して、そこにそっと手を置いた。




『照合開始……終了。管理者を国際航空宇宙軍レッドマーズ計画管理部情報処理課中佐(コマンダー)

認識UNASF94−8−RMOC−666−04caと確認します』

「オペレーションシステム:TNLにて、管理者モードへ移行。その後、“イブリーズ”システムを、

No.321『グランヘル』によって完全凍結して」

『了解。オペレーションシステム:TNLにより、作成者との一致を確認。管理者モードに移行し、

凍結ウィルス『グランヘル』を使用して完全凍結し、自壊します』




 アナウンスの声と共に、画面上に現れたのは「0」と「1」で綴られた謎の数字の数だった。

それが1つ1つ入力されるかのように表示されるのを見ながら、は1つため息をついた。




 これでようやく、事が解決する。

1つ、肩の荷が下りるのだ。

そう思うと、は今まで抱えてきたものがなくなるかのようで、

思わず力が抜けてしまいそうだった。



 しかし、安心するのはまだ早かった。

入力されていた数字が、中間部を過ぎた時点で止まってしまったのだった。

それを知らせる警報が、モニター越しのスピーカーから聞こえ出す。




『自壊ファイル内にビデオファイルを発見。再生しなければ、前に進めません』

「……何ですって?」




 作成した本人、自壊ファイルにそんなものを入れた覚えなど1つもない。

確かに、“イブリーズ”の停止コードへ通じる道の途中には仕込ませたが、

それ以外にはつけていないはずだ。

 一体、どういう意味なのだろうか。



 もしこの中にウィルス撃退ファイルが含まれていて、

今仕込んでいる凍結ウィルス「グランヘル」に影響が出てしまっては意味がない。

しかし、これを開かなければ前に進まないのであれば、指示に従うしか手段はない。




「……ビデオファイル開封。ウィルスレベルを3から5に上げて再生開始して」

『了解。凍結ウィルス「グランベル」のウィルスレベルを3から5に変更して、ビデオファイルを再生します』




 主の指示に従い、アナウンスの声が部屋に響き渡る。

それと同時に、前方に何かが映し出されようとしているのが分かり、

はゆっくりと顔を上げた。



 そして現れた姿に、は思わず、目を見開いた。









『予想通り、ここに来てくれたわね、









 懐かしい声が耳に届き、は自分の目頭が熱くなるのを感じていた。

しかし、そんな彼女の様子に気づかないのか、相手は笑顔を絶やすことなく言葉を紡いだ。




『“イブリーズ”の停止コードの取得方法は、アベルしか知ることが出来ない。そしてそのコードを再生するのには、

残留者の力が必要だった。けどアベルのことだから、それを知らないでここに来ていたに違いない。――だから、

あなたが彼の代わりに連れてくるのではないかって、そう思っていたの』

「何もかも、お見通しだったわけ、ね……」




 相手に届くことなどないことが分かっていても、はそう呟かずにはいられなかった。

まんまと罠にはまってしまったようで苦笑してしまう。



 上品な紅茶を思わせるような結い上げられた赤い髪、額に朱点を刺した褐色の顔、

金色に輝く不思議な色合いの瞳、今はもう失われて久しい“サリー”といわれる地方衣装。

何もかも、にとって、忘れることなく刻み込まれていたその姿を、

また見れるなど思ってもいなく、さらに脳裏に焼き付けていく。




『けどそれでも、無事に“イブリーズ”を止めてくれた。そしてこうして、自壊しようとしている。

そしてまた……、夢に近づいている』




 安心したような笑顔が、にとっては辛かった。

出来れば映像ではなく、本物の笑顔が見たい。

そう思わずに入られなくなる。




。あなたは自分を“兵器を作る機械”としてしか扱わない「人間」を恨み、そして憎んだ。

けどあの事件によって、あなたは犠牲になった人間達に懺悔をしたいと私に言ってきてくれた。

その心がアベルにも伝わって欲しくて、あなたの体内にあれ(・・)を仕込ませた。あなたになら、

アベルをきっと助けてくれると確信していたから』




 すべての過去を知るこの女性の言葉によって、

の脳裏には、あの忌まわしい光景が頭を横切っていく。



 はるか離れた位置で、地球が大きく爆発したように赤く染まり、

そして炎に包まれていく、あの姿を。




『アベルとあなたは繋がっている身。お互いに同じ衝撃を与え、同じ苦しみを受ける。けど、

同じ喜びを覚えることも出来る。だからあなたの心が、アベルに繋がって欲しかった。

どういう経緯でアベルがここに来て、あなたが残留者(テラン)を連れてきたのかは分からないけど、

アベルが少なからず、人間らしい心を取り戻していることを願っている。そして――』




 そっと前に出された手が、まるでと手を繋ぐかのようにも見えたが、

それに触れることが出来ないと分かっていた彼女は、

自分の手を前に出そうとはしなかった。




『そして、あの時に交わした約束を果たしましょう。それまでに、ちゃんと新作を考えておくのよ、




 画像が激しくぶれ、完璧だった立体映像が、次第と消えようとしている。

はっとしたように手を伸ばしたが、その時にはすでに光が弾け、

元の闇に戻り、画面上で止まっていた「0」と「1」で綴られた数字達が再び打ち込まれ始めた。



 ほんの数分だったのに、単なる立体映像なのに、こんなに温かな気持ちになったのはなぜだろうか。

まるで、本当にその場にいるような優しさに包まれたのはなぜだろうか。

は消えてしまったその姿を浮かべると、思わずその場に座り込んでしまった。




「……もう、無理よ、リリス」




 俯いた先に見える地面に、何かが落ちたかのように小さな点が現れ、

その数がだんだん増えていく。




「そんな夢、叶うわけ、ないじゃない」




 もう、彼女はここにはいない。

いるのは自分と、アベルだけ。




「叶えたいのなら……、叶えたいのなら、ここに戻って来なさいよ……。

…………ちゃんと帰って来なさいよ、リリス!! 生きている証拠を見せなさいよ!!」




 そんなこと出来るわけもないのに、は叫び続け、涙を流し続けた。

聞こえないことは分かっている。

この想いが届かないことも分かっている。

それでも彼女は、相手に向かってそう叫ばずにはいられなかった。









『和平が成立すれば、この戦いも終わる。そうすれば、またアベルと一緒にお茶が出来るわ』









「戻って来て、リリス。戻って来て……!!!」






 の声は、相手に伝わることもなく、静かに闇に溶けこんでいくだけだった。











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