「ああ、もう本当、情けないったらありゃしないわ」
「本当、すみません」
落ち着きを取り戻したアベルが厠から現れると、は何度目かのため息をついた。
見知らぬ土地まで来て、いつもと変わらない相手に、
彼女も横にいるエステルも呆れ返ってしまう。
「あたしとしては、さん1人いてくれるだけで十分だったのに何でついて来たのか、
すごく謎なんですけど」
「まあ、彼なりに考えがあったのよ。……私もよく分からないけど」
「失礼な。私はお2人のことが心配だったから一緒に来たんじゃないですか」
「逆に足手まといなことしてどうするのよ」
「そうですわよ、神父さま。もうこれ以上、足を引っ張るようなことをしないで下さいませ」
ここまで言われてしまったら、もう反論することなんて出来ない。
アベルは大人しく返事をして、やや肩を落としながら、
2人の後を追って、イオンが待つ都邸へ向かったのだった。
館の前まで来ると、玄関の扉が開けっぱなしになっている。
ここには自分達しかいないとしても、普通ならしっかりと閉めるはずだ。
嫌な予感がする。その予感は、次の瞬間、すぐに的中した。
扉の影から、真っ赤な液体がちらりと見えたからだ。
「―――あ、待って下さい、さん!」
突然走り出したを、アベルとエステルが少々慌てたように追いかける。
そして扉を勢いよく開けた彼女のもとへ辿り着くと、
そこから見えた光景に、思わず言葉を失った。
「こ、これは……!!」
まだ熱い湯気を上げる真っ赤な水溜り。
そして、そこかしこに転がっている、切断された四肢や体の切れ端。
あまりの残酷な光景に、エステルは思わず目をつぶってしまいそうになる。
「大丈夫よ、エステル。――これは、家政用自動人形よ」
「自動人形?」
「モルドヴァ公は、すぐに死ぬ短生種などに情を移したくないからという理由で、士民を置かなかい人なのよ」
「なるほど。それでは、ここに流れているのは循環剤ですね」
「そういうこと。一体、誰がこんなこと――」
の言葉は、2階から聞こえた物音で立ち切られた。
何か、大きなものでも倒れたかのようにも聞こえるその音に、は一瞬、体を固くした。
「……まさか!」
それだけ呟くと、は階段へと足を運び、床を軽く蹴る。
ふわりと体が浮き、短生種だと思えない跳躍力で2階の床へ辿り着くと、
何振り構わず、目的地へ向かって走り出した。
アベルとエステルが驚いた顔をしただろう。
特にエステルは、目を丸くしていたに違いない。
そんなことを思いながらも、の足は、イオンがいると思われる一室に進んでいた。
そして到着するや否や、目の前に広がる光景に、は思わず叫んでしまった。
[ミルカ様!!!]
人形達の皮下循環剤まみれになった部屋の中、が真っ先に目にしたもの。
それはあの砂漠の地、カルタゴでも出会った人影だった。
数体はすでに倒され、床に転がってはいるが、1体が“加速”を利用して、
イオンに襲いかかっているのを発見し、
はすぐに右側にしまっていた短機関銃を取り出した。
「避けて下さい、メンフィス伯!」
レバーを一番奥に押し付けると、一気に引き金を引き始めた。
一気に飛び出した弾を避ける姿は、長生種と何も変わらない姿だ。
「今のうちに、早くミルカ様を――」
言葉を続けようと思えば続けられた。
しかし、館の主が横たわっていると思われる場所に視線を動かした時、
自然とそれは止まってしまった。
ベッドは確かに赤く染まっている。
だが、本当にそこに彼女はいるのであろうか。
そもそも、こんな手に彼女が簡単に乗るとは思えない。
もしそうだとしたら、相当な油断をしていたとしか考えられない。
では、もしその通りだとしたら、本当の彼女はどこにいるのだろうか。
『余所見をするな、!』
耳元に聞こえた声に、ははっと我に返った。
気がつけば、すぐ目の前に、巨大な影の大きな拳が接近していたのだ。
「――くっ!」
すぐに後退して、それを防いだのはいいが、
皮下循環剤が広がる床に足を捕われそうになり、体勢を少し崩してしまった。
そのタイミングで、相手が再びに接近しようとする――。
だが、攻撃の矢は彼女には来なかった。
未だ床に転がっているイオンに跨いで仁王立ちになったのだ。
(まさか、次の標的はメンフィス伯ってこと!?)
慌てて短機関銃のレバーを中心に合わせると、
銃口を巨体の頭部へと向けて、引き金を引こうとする。
それを知ってか知らずか、相手はゆっくりと戦斧を振り上げるや
拝み撃ちに振り下ろす――。
が、それを阻止するかのように、部屋の扉付近から鋭い銃声が漏れたのだった。
「――逃げて下さい、閣下!」
ヘルメット部分を吹き飛ばされ、たたらを踏む相手に向かって、
姿を現したエステルが第2弾を浴びせかける。
「何なさってるんです! 早く逃げて!」
その声をバックに、もすぐに体勢を整え、
まだ動きを止めない相手に銃口を向け、引き金を引いた。
通常の倍以上の威力を発揮する強装弾が頭部を直撃し、
硬直したかのように動きを止め、その場に勢いよく倒れていく。
「これで、何とか大丈夫ね。――アベル?」
安心したかのように短機関銃を懐に収めたが、
イオンが倒した1体目の残骸を漁っているアベルの姿に首を傾げた。
「一体、どうし――」
「ちょっとやばいですよ、さん、エステルさん。ひょっとしてこの連中は……」
側に近づくや否や、アベルは分厚いコートをはだけさせると、その下から現れたモノに眉をひそめた。
「……これは!」
「やっぱり……、やばいです! エステルさん、伯爵に早く逃げるように言って下さい!」
「エステる、神父、、祖母君が……、余の祖母君が……」
ようやく立ち上がったイオンは弱々しく咳き込み、この現状に愕然としている。
その傍らで、はアベルに見せられたモノを見つめながら、何かを考え始めた。
「これって、止めれるの?」
『止めれると言えば止めれるが、全部は無理だ。衝撃を減らすぐらいしか出来ん』
「そんな、こんな時に役に立たないでどうするのよ!」
『それは我に言われても困る』
「そんなところで、呑気に『親子』喧嘩している場合じゃ……、え?」
ようやく、の「異常」に気づいたのか、アベルの表情が一瞬硬くなる。
いや、先ほどのの行動を見た時、薄々そうなのではないかとは思っていた。
だが、まさか本当だったとは。
「まさか、『彼』がいるんですか!?」
『言われなくてもここにおる、アベル・ナイトロード。だが、今は我のことを気にしている場合ではない』
「ああ、はい。……メンフィス伯、逃げて! ここは危険です!」
呆然と立ち尽くすイオンの耳を打つかのようにアベルが叫ぶ。
それを合図に、は未だ攻撃を続けているエステルの方へ視線を向けた。
「“網を張って鳥を捕るように、罠を仕掛けて我らを捕らう者あり(クイア・インウェンティ・スント・
イン・ポプロ・メオ・インピ・インヂアンテス・カス・アクペス)”
……罠です! 私達は罠にはめられました!」
「罠? 罠ってどういうことです、神父さ……、ちょ、ちょっと! 何なさるんですの、さん!」
「ここから脱出するのよ、エステル!」
不審げに問い質している最中に、突然に抱きかかえられ、エステルは思わず悲鳴を上げた。
しかし、今はそれを気にしている暇などなく、
は途中、人形のように突っ立っていたイオンの襟首を掴んだアベルと共に、一目散に賭け始めた。
「は、放せ、神父! 祖母君が……、祖母君が!」
「おばあ様のことは諦めて下さい! それより早くここから離れるんです!」
イオンの訴えも、今のアベルには聞こえていなく、逆に真剣な声で怒鳴る。
「こいつら、自爆するつもりです!」
「……何!?」
何を言っているのか理解出来なかったイオンだったが、
床に落ちた視線の先に、自分が倒した大男達の残骸から見えたモノを見て、事態をようやく把握した。
彼らの胸には、意とで繋がれた無数の袋があり、
そこから伸びたコードの先では、時計が静かに時を刻んでいたのだった。
「ば、爆弾……!?」
イオンが硬直している間にも、それぞれイオンとエステルを抱えているアベルとは、
部屋で唯一の窓に向かって駆け寄る。
そしてそのまま身を投げ出すのと、太陽が地上に落ちたが如き閃光と、
大気そのものが炸裂したかのような衝撃が襲いかかってきた。
業火が一瞬にして寝室を焼き尽くし、熱烈の息を吹き散らす。
そして押し寄せる爆風は、間一髪で外に逃れた4人の体を木の葉のように翻弄する。
(お願い、地上に……)
『分かっておる。だが……、アベル・ナイトロードの分は間に合わんぞ』
「……ぐえ!」
声の主の言う通り、が指示を出す前に、
アベルは前庭の芝生の上に、アベルの長身が大の字になって激突した。
その後、イオンとエステル、そしては、地上の異様な衝撃壁のようなもので、何とか身の安全を確保した。
とはいえ、それでも少しは痛みがあるようで、エステルは打ち付けた腰を摩って呻いた。
「あ、あいたたた……。だ、大丈夫でしたか、閣下!? お怪我は?」
「あ、あア……。……何だったんだ、あの変な感覚は?」
「分かりません。けど、たぶん……」
エステルは、が所有しているプログラムの「誰か」が保護してくれたと薄々感づいていた。
それが本人の口から発しないのは、きっとイオンがそのことを知らないからであろうということも。
イオンは白い炎を、死者のような表情を失った瞳で見つめている。
も最初は一緒に見つめていたが、
次の瞬間、どこからともまなく感じる視線に、一瞬にして顔を強張らせた。
(……アベル)
(分かっています)
どうやら、同じことをアベルも感じていたようで、周囲に激しい視線を送っている。
「ナイトロード神父、、余はこれからどうすればいイ?余は、どうすれバ……」
「黙って!」
イオンの質問を、アベルは鋭い声で返す。
もその場から立ち上がり、周囲に視線を走らせる。
「これはまずいな。数が多過ぎる。……私達、囲まれてます」
「……囲まれていル? 神父、囲まれているとハ、一体どこニ……」
「目の前ですわ、メンフィス伯。……懐かしい団体様ね」
そのの言葉の通り、イオンが視線を前方に戻した時には、
今まで確かに誰もいなかったはずの場所に、幾10人もの人影が出現していた。
真っ赤な鎧に血の色の満と。深く庇を下ろした帽子の下に、真紅の仮面。
手には大型猟銃らしき銃器、腰には幅広の大剣が佩いていた。
「……イェニチェリ!」
アベルとエステル、そしてを押しのけて、イオンは1歩踏み出す。
その中、エステルが何のことだか分からないかのように眉をひそめる。
「いぇに……、何ですって?」
「禁軍兵団。……確か、皇帝直属の長生種部隊だったと思います。でもおかしいな? 確か
私が聞いたところじゃ、連中、宮殿から伊達来ることは滅多にないって話だったんですが……」
「……………………」
アベルの短い注釈を、は黙って耳を傾ける。
その視線の先には、唯一、素顔を曝している黒い肌の大男に向けられていた。
(団長本人が見えられたとなると……、大変な罠にかかったわけ、か)
[バイバルス卿! そなた、バイバルス卿ではござらぬか!]
確信するかのように、が心の中で呟くと、
イオンはうわずらんばかりの震えた声で、が言う団長――バイバルスに助けを求めた。
[ちょうどいいところに参られた! 我が館が……、祖母君が……]
[――メンフィス伯イオン・フォルトゥナに告げる]
だが、禁軍兵団長の答えは、それとは全く逆だった。
[我は帝国と皇帝陛下の名において汝を捕縛する者である。容疑はモルドヴァ公被害
および都邸の焼き討ち。……いざ、神妙に縛につかれよ、メンフィス伯]
(ブラウザバック推奨)