騙された。
の脳裏には、それ以外の言葉は浮かばなかった。
イオンが自分の犯した罪ではないと必死に訴えようとするが、
禁軍兵団長――ハルツーム男爵バイバルスへ届くことは一向になく、
それどころか反論されて答えられないでいた。
[ふむ……、どうやら語るに落ちたようだな]
バイバルスが凝結したように沈黙してしまったイオンと、
その背後の3人の短生種を串刺しするように見つめる。
[そこの短生種ともども大人しく縛につければよし。……さもなくばここで斬り捨てる]
[き、斬り捨てる!? 余を斬り捨てるだと!? 人に濡れ衣を着せておきながら、
戯言をほざくな、下郎!]
「だ、駄目です、閣下!」
アベルが後ろからすがりつく前に、イオンは抜き身の小剣を掲げ、
“加速”状態のまま、白煙の帯を残しながら突進していた。
その矛先にいるバイバルスは、悠揚迫らぬ態度を崩すことなく部下に手を出さぬように指示を出す。
(……勝算は?)
『ハルツーム男爵バイバルスの方が有利だな。――正面から行くのか?』
(止めるには、そうするしか方法がないでしょ? それに……)
言葉と途中で止め、視線をアベルの方へ向ける。
彼の手には、小袋らしきものが握られており、背後で何やらやっている。
(それにアベルには、何か手があるようだから)
の視線に気づいてか、アベルがふと彼女の顔を見る。
そして、何かを確認するかのように、軽く頷いた。
どうやら、考えていることは同じようだ。
――あることを除いては。
[くおっ!]
前方から漏れたイオンの声で、再び視線をそちらに向ける。
バイバルスが持つ“脊髄を砕く者”の7つの枝刃から見える青白い閃光での攻撃によって、
彼が本能的に掲げた小剣が砕かれ、信じられないものを見たかのように目を見開いた。
そんなイオンに、バイバルスは石像めいて無機的な表情をしながら、7支刀を突きつける。
[勝負あった。――そなたの負けだ、少年]
7支刀を手前に引き、顔の横に担ぐようなし閃で切っ先を掲げる。
――が、それは何者かに止められたかのようにすぐには動こうとしなかった。
[やめなさい、バイバルス卿]
甲高い音によって、自分の剣に何かが当たったのは分かった。
しかしそれが、自分とはまた違う形をした剣だと気づくまでには、
少しだけ時間がかかった。
[これは、彼の犯行ではないわ。私が承認に立ってもいい]
[そなたは……、……卿か?]
[いかにも]
細身だというのに、バイバルスの7支刀を片手で押さえていることに、
イオンは目を丸くして見つめていた。
そしてそれは、先ほどまで自分の隣にいたと思っていたエステルも同じだった。
いつの間にあそこまで移動したのであろうか?
[ぬけぬけと、しかも犯罪者と共に戻って来たということか]
[彼は犯罪者なんかじゃない。それとも何? 彼の言うことが信じられないというの?]
[証拠があるというのか]
[ないわ。けど、彼は何も、やっていない]
間合いを取るかのように、バイバルスが地面を蹴って後退すると、はイオンから離れ、
自分が持つ細身の剣――以前、イシュトヴァーンで使用したものとはまた別のもの――をしっかりと持ちなおす。
剣先をバイバルスへ向けたまま、右手を下に下げ、左肘と肩を真っ直ぐにし、
左手を顎のラインまで運ぶといった、独特な構えである。
[……まあいい。所詮、汝も短生種にすぎん]
覚悟を決めたのか、それともただ単に開き直っただけなのか、
バイバルスは再び手にしていた7支刀に力を込め、剣先を向ける。
[メンフィス伯を庇うのであれば、そなたも同罪。共に散るがよい]
[――よせ、バイバルス卿!]
イオンがとっさに止めにかかったが、
その時には、7つの枝刃からは青白い閃光が漏れていた。
そしてそれが、一斉に目掛けて散っていき、彼女の姿を捉える。
何も防御もしないは、それを直撃し――。
[――どこ見て攻撃しているの、バイバルス卿?]
誰もが、彼女の早い敗北を予期していたが、その声は違うところから聞こえた。
バイバルスが振りかえれば、自分の視界より少し高い位置に剣を翳すの姿がはっきりと見えた。
「はっ!」
一気に振り払った先には、バイバルスの姿を確かに捉えたと思っていた。
が、長生種が持つ“加速”によって、彼はすぐにその場から離れていた。
しかし、の力を現すかのように、地面に鋭い傷跡を残したことは、
エステルだけでなく、イオンも驚きの表情を隠せないでいた。
「エステルさんは、知らなかったんでしたね」
そんなエステルの横にいたアベルが、少しだけ顔を顰めながら口を開く。
その姿はまるで、目の前で起こっていることが幻なのではないかと疑っているようだった。
「彼女、普段は銃を専門的に使うのですが、本当は銃より剣の方が得意なのです」
「えっ? そう、なんですか?」
「ええ。……しかしあの剣、一体どこから……」
が剣を使うのはいい。
この場合、好都合でもある。
しかし、アベルが注目しているのは彼女の動きと、そして手に持っている細身の剣だった。
その柄が、自分がよく知っているものと同じ形をしていたからだ。
(……もしかして、『力』が解放されている……?)
そんな疑問が浮かんだ時、は地面に着地し、再び剣先をバイバルスに向けた。
それを見たバイバルスは、何かを思い出したかのようにかすかに笑うと、
それが合図になったのか、2人は一気に突進し、
剣と剣を重ねる甲高い音がそのばに広がり始めたのだった。
の剣裁きは、銃裁き同様、まるで踊りでも踊っているかのように華麗で鮮やかだった。
思わず声をかけることを忘れてしまうほど、その場が静まり返っていた時……。
(何、ボーっとしているの、アベル!)
脳裏に届けられた声と共に、アベルは我に返り、その声に答えようとする。
(ああ、はいはい、さん。……それより、その剣は……)
(その話は後。それより、手に持っている物の準備は出来てるの?)
(ええ、何とか。投げるタイミングを逃しましたけどね)
本当なら、バイバルスがイオンに向けて剣を走らせた瞬間にそれを投げようと思っていたのだが、
によってそれが妨げられてしまった。
だが、その存在を、は決して忘れたわけではなかった。
(なら、私がタイミングを作るから、合図したらすぐに投げて)
(了解しました)
簡単なやり取りが終わり、は再びバイバルスへ向けて攻撃の力を強めた。
剣と剣が押し合い、そしてそれを弾くように、お互いに後退する。
――が、は体をしっかり支えることが出来ず、体制を崩してしまう。
[そこだ、卿!]
(今よ、アベル!)
(はい!)
「目を瞑ってて!」
バイバルスがチャンスだと睨んで向かったのと同時に、はアベルに合図を送った。
それを知らせるかのように、アベルが怒鳴り、手にしていた小袋を空に投じた。
穴が開いていたいのか、中から白い粉が毀れ、赤い兵士達は視線を走らせた。
が、次の瞬間、それが爆発的な白光を上げて破裂したのだ。
袋の中に入っていたのは、強力な酸化剤である過マンガン酸カリウムと細かく砕かれたアルミ粉だったのだ。
「今です、閣下!」
硝煙を上げる旧式回転拳銃を掲げて、アベルがイオンに向かって怒鳴った。
もそれを合図に、イオンのもとへと向かう。
「大丈夫ですか、さん!」
「私は平気よ。それより、メンフィス伯が……」
目を覆って呻いているエステルを引きずりながらアベルも合流したが、
イオンは腰を抜かしたまま動こうとしない。
「何をぐずぐずしているんです! 今のうちに逃げるんです!」
「に、逃げル!? し、しかシ、神父、余ハ何もやましいことハ――」
「主曰く、“逃げよ。しかして自らの命を救え”です! ここで殺されちゃったら、
濡れ衣を晴らすことも出来ないんですよ!」
アベルの言っていることは尤もなことである。
相手を納得させることが出来ないのであれば、何とかしてその原因を突き止める必要がある。
こんなところでじっとしているわけにはいかないのだ。
「……くッ!」
珍しくまともなことを言うアベルに、イオンは未練を払うように頭を1つ振った。
そしてアベルを睨めつけると、声を荒げる。
「掴まっておレ! 神父! エステる! もだ!」
「いいえ、メンフィス伯、私がアベルを連れて行きます。あなたはエステルを」
「……あア、そうだナ。行くゾ!」
先ほどのことで、イオンはが自分と似たような「力」を持っていることを知った。
それがどのようにして起こっているのかはともかくとして、
今はそれを探ることよりここから逃げることを優先しなくてはならない。
イオンの合図と共に、小さな影はその輪郭を薄れさせ、
それを追うように、もアベルを支え、その後を追うように、勢いよく大事を蹴った。
が、なおもそれを追いかけるかのように低い風鳴が轟いたが、相手はしばらくして低く笑った。
[……ふむ、よい逃げっぷりだ]
地面に穿たれた深い靴跡を見つめ、銃臣殺害の反逆者を取り逃がしたにも拘らず、
バイバルスの表情に落胆の色はなかった。
[さすがに、少しは見こみがある。だが、どこまでやれるものやら……、ん?]
足跡から少し離れた位置に視線を向け、バイバルスは少し顔を顰める。
一瞬、驚いた表情をみせたもの、すぐに元に戻し、そしてかすかに笑った。
[風の次は水、か……。短生種のくせに、相変わらず妙なことをしていく者だ]
地面にあるはずのない大きな水溜りを見つめ、バイバルスは満足げに微笑を浮かべた。
[さて、これで幕は上がった。……うまく踊れよ、少年]
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