[…………妙だな?]
キエフ候アスタローシェ・アスランは、館の湯屋へと続く回廊で足を止めた。
そして前方をじっと見つめ、ため息を漏らした。
[いつからそこにおるのだ、我が友よ?]
[ちゃんと許可して入れてもらったわよ]
通路の途中で待っていたの姿を見るなり、
アストは先ほど皇帝陛下からの勅命内容の意味が理解でき、散策しなくてもすむので安心した。
相手が自分のよく知る者だと分かればなおさらだ。
[なるほど、陛下がおっしゃっていたことはこういうことか]
[陛下がおっしゃっていたこと? 何なの、それ?]
[何ヶ月か前に陛下は密使を“外”に送らせたとかで、その一団が向こうの使者を伴って、
一両日中に帰還する予定らしく、今回余にその者達の警護を任されたのだ]
[……そう……]
まるで、自分達が何かに巻き込まれることを知っていたかのような内容に、は右手を顎にあてる。
一体、相手はどこまで知っているのであろうか。
[……しかし、]
そんなの脳裏を、アストの声が遮ると、彼女はすぐに我に返った。
[そなた、1人でここに参ったのか?]
[ああ、そうそう。実は……]
だが、それはアストが手を差し出したことで制された。
鋭い視線が黄昏の光がセピア色に染め上げていく庭園に向けられ、なかなか動こうとしない。
そしてハスキーな声だけを、背後にいる家令であるチャンダルル・カラ・ハリルへ向ける。
[ときに爺……、今日は客人の予定はあったかや? まあ、のことは別にして、だ]
[いえ、ございませぬ。今週のご来賓は明日のニケーア子爵、明後日のタブリーズ伯とご予定
が入っておりますが、本日はこれといって――]
[ふむ。されば、あそこにおる輩は招かれざる訪人であるか]
[は?]
そんな会話を背に、アストの視線の先を追うかようにして、
は目を顰め、その方向を見つめる。
どんどん視界が進んでいき、その先に到着したのは――。
(……何やってるのよ、あの大馬鹿阿呆神父は!!!)
「ぶげ!?」
その、の視界の先にいる者のところに、
見覚えのある帯留めが飛んできて、それが見事に直撃した。
非音楽的な悲鳴が上がり、顔面に痛撃を受けて転がり落ちてくるのがよく分かる。
その後に、彼の名を叫ぶ聞き覚えのある声もした。
[あ、あやつらは……、お、お館さま!?]
[ま、待ちなさい、アスト!!]
チャンダルルが我に返るよりも先に床を蹴って回路を飛び出したアストを、
が慌てて追いかける。
そして到着した時には、アストの軍刀がすでに不吉な輝きを孕んでいたのだった。
[3名とも動くな! ここは帝国貴族キエフ侯爵家の都邸なるぞ!
我が領域を侵せしそれなりの覚悟があってのこと……]
押し殺した声で恫喝したが、相手の顔を見るなり、
変なものでも飲み込んだように表情を強張らせた。
「な、汝は!?」
「やっ、ども〜。お久しぶりですぅ、アストさん。……いやあ、すっかりご無沙汰しちゃって。あははー」
「『あははー』じゃないわよ、この命令違反神父がーっ!!」
「ごふっ!!」
へらへらと手などを振っているアベルに向かって、の鋭い一撃がアベルの頭を直撃する。
そして、隣にいるアストに深々と謝る。
「ごめんなさい、アスト。表で待っているように言ったんだけど……」
[おのれ、曲者!]
だがその言葉は、大音声をあげてようやく到着したチャンダルルだった。
[ここがキエフ候アスラン家の都邸と知っての狼籍か! 皆の者、であえ! 曲者であるぞ! であえ!]
[あ〜、いや、よい]
チャンダルルの声を制すかのように、アストは顔を左右に振る。
そして妙に疲れたような吐息を漏らし、双方に指示を出した。
「……さてはて、これはどういうことか伺ってもよろしいかの、招かれざる客人よ?」
アストはお気楽に頭を掻いている男の襟首を無造作に掴み、
満腔の悪意とごく微量の親しみを込めた笑みを未訪に刻む。
その姿を、は頭を抱えるようにして見つめていた。
「3年前同様、汝の洗練された言い訳が我が疑念を氷解させてくれることを期待してやまぬぞ、
アベル・ナイトロード――我が相棒よ。、汝には感謝するぞ。……いろんな意味でな」
「そんな意味で感謝しないでー!!」
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