2頭の馬の足音が地面に響き渡り、埃が舞っていく。その姿を、街を出歩く短生種達が見上げていた。
馬に乗ったことはある。それも15年前にだ。
だが、勘というものはしっかり覚えているようで、
はちゃんとアストの後をついて来ている。
背後に変な喘ぎ声を聞きながら。
「さ〜ん! 早いです〜! 怖いです〜!! お尻が痛いです〜!!」
「文句を言うなら、とっとと降りなさい、このへっぴり腰神父!!」
姿は見えないが、きっと涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、にしがみついているのだろう。
そう思うと、は情けなる上に、士民服に染みがついてしまった。
この揺れと同時に落ちてしまえば、こんな心配をしなくても済むのに。
「……ん?」
苦笑しながら走っていたの前方で、アストが何かを見つけたかのように顔を顰める。
もその方向に視線を動かすと、目をかすかに細める。
望遠鏡のように、遠くの映像が接近し、そして、ある影を発見する。
「……あれは!!」
「ああ、その通りだ。行くぞ!」
「了解!!」
「あ、あの、出来ればもっと速度を落とし…………ヒャー!!!」
アベルの説得は届くことなく、逆に揺れが寄り強くなり、の体にしがみついた。
一方は、そんなアベルのことなど無視して、
ひたすら目標地点に向かって馬を走らせた。
しばらくして、アストは馬を止めると、
それに続いて、も自分の乗る馬を止めた。
どうやら、ここからは走って向かうらしい。
「余ははす向かいの建物に行き、奴の動きを封じる。その間に、2人はメンフィス伯を救出するのじゃ」
「分かった。行くわよ、アベル」
「行くって言ったって、どうやっ……ヒョー!!」
再び絶叫するアベルを抱えて、は軽く地面を蹴った。
アストが“加速”を使ったため、それに追いつくためだ。
着々と先を進むアストを、未だに続けるアベルを抱えての移動は、
スピードが遅くなるのと同時に、かなり邪魔だった。
「うひょーっ! さん、私、死んじゃいます〜!」
「だったら1人で走れ、この弱虫神父―!!」
「うぎゃーっ!」
“加速”中に手を離したため、アベルの体は何かに落とされたかのように、
何度かバウンドしてから無事に止まる。
そんな彼を放っておいて、はどんどん先へと進んだ。
前方のアストは、すでに目的地まで到着しており、
手にしている“ゲイ・ボルグの槍”の繊手を、相手に向かって放っていた。
しかし、それは相手に当たることなく、屋根に深い爪痕を残しただけだった。
その様子を見ながら、地面を軽く蹴りながら、右懐にある短機関銃を取り出す。
レバーを中心に合わせ、銃口を相手の方へ向けると、
旋回するように移動させながら引き金を引いた。
風のように舞う銃弾を、青年――ルクソール男爵ラドゥ・バルフォンは軽く跳躍して避ける。
そして、自分と同じ屋根に降り立つへ視線を動かした。
[……こさかしい]
ラドゥの手から放たれたのは、直系10センチぐらいの炎の塊だった。
その塊を避けるように跳躍したは、左懐の短機関銃も取り出し、
体を回転させながら、右手に持っている短機関銃と同時に引き金を引いた。
銃弾の嵐がラドゥを襲ったが、それもすぐに交わされ、再び新しい炎の塊を出現させる。
しかし、アストの繊手が再び襲いかかったことにより、放つタイミングを逃した。
[おやおや、余計なお喋りが過ぎちゃったみたいだね――]
ラドゥの表情は、新たな敵手が前ににるのにも関わらず、余裕に満ちていた。
それが、の癇に障った。
(やっぱり、本人じゃないみたいね。――むかつくわ)
そんなことを思っている間に、ラドゥは今度こそと言わんばかりに、
炎をアストへ向けて勢いよく放った。
[む!]
アストが素早く“槍”の射程を調節し、青炎を叩き落そうと身構える。
しかし、炎は直前で分裂し、数重の小さな火弾となって、アストをおし包むように殺到する。
「アスト!」
「叫ばなくても分かっておる!」
地面に一度着地したの声に、アストはそれだけ答え、
稲妻のように閃いた赤光を靡かせて次々と叩き落した。
だが、数が多すぎて、打ち漏らした最後の1つが、彼女を直撃しようとした。
[キ、キエフ候!?]
だが、その炎は、どこからともなく放たれた銃撃によって叩き落されていた。
「――遅いぞ、神父!」
「やっ、すみません。それが、途中でさんに落とされて、急いで移行と思いましたら、
階段のところでおもいっきり足をぶつけちゃいましてね。これが痛いの何のってもう……」
「最初の部分は余計よ、アベル」
責めるようなアストの声に、イオン達のいる屋根に現れたアベルがのんびりと応じる。
確かに落としたが、それは叫びすぎるアベルがいけないのだと思いながら、
は大きくため息をつき、再び軽く跳躍し、彼の隣へ並んだ。
「ルクソール男爵、抵抗はお勧めできません! メンフィス伯を離して、降参して下さい!」
「キエフ候にナイトロード神父、それと卿か……。確かに、この状況では戦うのは
馬鹿げているな」
新手の登場に、ラドゥは明確ではないが、小さく舌打ちする。
屋根に倒れたままのイオンを振りかえり、残念そうに唇を吊り上げる。
「でも、ま、いいさ。どうせ、君には何も出来ないんだ、イオン。……君なんかにはね」
[ま、待て、ラドゥ!]
負け惜しみでもするかのように言うと、ラドゥの足は後方に向けて軽いステップを踏んでいた。
イオンが咄嗟に手を差し伸べたが、それが届くこともなかった。
「くそ……、逃げ足の早い奴!」
“槍”で追ったアストも、彼を飲み込んだ夜に向かって毒つくことしか出来なかった。
アベルはへたり込んだまま動けないイオンの許に駆け寄り、早口で彼の安否を確認する。
彼の脚からは、大量の出血をしており、1人で立つのが困難のようだった。
アベルとアストが、イオンを発見するまでの経緯を説明している間、
は彼と共に行動していた尼僧の行方を調べ始めた。
そして、程なくして、返答が耳元に届けられた。
『エステル・ブランシェは、向かいに見える家屋におる。……どうやら、
そこも何らかの被害を受けたらしい』
「……何ですって!?」
被害を受けたとは、一体どういう意味なのだろうか?
それを問い質そうとしたのだが、同じくしてエステルの居場所を確認したアベルが、
案内をしようとして立ちあがったメンフィス伯を気遣った。
「あ、無理はしないで下さい。私が行きますから」
「なら、私も行くわ、アベル。……嫌な予感がする」
「ありがとうございます、さん」
エステルの所在を確認して、やや安心したアベルの声に、は少し躊躇いを感じた。
無事、と言えば無事なのかもしれないが、どこにも負傷がないとは言い切れないからだ。
屋根を駆け降り、向かいの屋根に飛び乗ると、は近くにある窓にそっと手を触れた。
「お願い」
『任せろ』
それだけの会話をすると、の掌の周りを、何かが円を描くように1周する。
手をゆっくり離し、軽く叩けば、1つの円が内側に落ち、見事に穴が開いたのだった。
「久々ですけど、見事なものですね〜」
「感心している場合じゃないでしょうに」
穴から手を入れ、近くにある鍵に手をかけると、それを下に下げて、穴から手を取り出した。
窓を一気に開け、中に侵入すると、2人は同僚の尼僧を探し始めた。
が、それはそう時間がかからなかった。
ある1室の扉が、爆発したかのようになくなっていたからだった。
「まさか……、ここも攻撃に餌食に!?」
「さん、急ぎましょう!」
先に走り出したアベルを追いかけ、も中へ入る。
所々、まるで灰でもぶつけられたかのように、壁が黒く染まっている。
「さん!」
その壁に注目していると、横からアベルの声が聞こえ、そちらへ視線を移動する。
彼が立ってるソファの上に寝かされているのは、見覚えのある尼僧の顔だった。
「エステル! ……よかった、無事だったのね」
「ええ。でも、腕に傷を負っているようです。とりあえず、起こさなくては。……エステルさん?」
耳元で声をかけるが、一向に反応がない。
かなり大量に出血しているからであろうか。
「一度、傷を癒した方がいいかしら?」
「やっぱり、そうした方がいいのでしょうかね。……エステルさん……、エステルさん!」
「わっ!?」
だが、そんなことをしなくても、エステルは無事に目を覚ました。
だが、あまりにも勢いよく跳ね上がったため、
覗き込んでいたアベルの顔に、彼女の頭が直撃したのだった。
「あいたたた……。あ、あれ? 神父さまに、さん?」
「大丈夫、エステル? 腕は痛くない?」
「あ、は、はい。今は腕より、むしろ頭の方が……」
涙目になりながらも、高々と鼻血を吹き上げてひっくり返っているアベルと、
その後方で苦笑しているを見やると、
何かを思い出したかのように、周囲を見まわし始めた。
まるで、何かを探しているようだ。
「あ、あの子はどうしました? あたしと一緒にいた子! あの子は!?」
「あの子って、メンフィス伯のこと?」
「それでしたら、ばっちり無事です。ただ、少々、かすり傷を追われてましてね。
今はアストさんが一緒にいてくださってます」
「いえ、メンフィス伯じゃなく……」
もどかしそうに首を振るうエステに、は首を傾げる。
そして、黒十字のピアスに耳を済ました。
『……我に答えろというのか?』
(知ってるなら、大人しく言いなさい)
自分を気遣って、すぐに黙ってしまうのが「彼」の悪い癖だった。
どのみち明かされる真実なら、とっとと言ってくれた方が、こちらとしては気が楽でいいのだが。
『実は先ほどまで――』
「ここにもう1人、セスって子がいたはずです!」
『その通りだ』
発言する前に、エステルが答えてしまったため、
「彼」はそれに付け足しをするだけで終わってしまった。
(彼女が……、彼女がここにいたって言うの!?)
『そうだ』
(けど、特に何も反応しなかったわよ!?)
『予想以上に、ストッパーがしっかりしているということだ』
焦ったように言うとは反対に、相手はかなり落ちついている。
どうしたら、そんなに落ちついていられるのか分からず、
は自分と同じ胸中にいるであろうアベルを見た。
焦ったように周りを見回す姿は、普段とあまり変わりないようにも見えるが、
にはそれが、少しだけ違ったように感じた。
「いえ、どこにもそんな娘さんは、いらっしゃいませんが……」
「そんな。……どこにいっちゃったの、あの子?」
「! 気をつけて、エステル!」
よろばうエステルを、が慌てて支えるように彼女を抱える。
そんな彼女にお礼を言い、彼女は部屋にあるクローゼットに近づいた。
そして、何かを期待するかのように押し開く。
「あ!」
息を呑んであとずさりするエステルに、はすぐに衣装棚を確認して、
右懐にある短機関銃を取り出す。
黒いコートの不吉な巨漢――あの襲撃者達が立っていたからだ。
「退がって、エステルさん!」
アベルもそれに気づき、エステルを突き飛ばすように進み出る。
だが、彼が訝しむように目を細め、立ち尽くす敵影をしげしげと覗き込んだ。
「し、神父さま、危ないです!」
「いや、大丈夫です、エステルさん。こいつらは……」
「アベル?」
止めるエステルの手を払い、首を振る。
そんな彼の行動に、は顔を顰めながらも、巨漢をまじまじと見つめた。
可笑しい。
攻撃する絶好の機会だというのに、相手は黙然と立ち尽くしたままで、身動き1つしない。
だからと言って、警戒心を緩めるわけにはいかず、
は銃口をずっと相手に向けたままだった。
アベルが手を伸ばし、そっとその指に揺れる。
すると、乾いた音を立てて、黒影が崩れた。
「!?」
夥しい白煙を切りのように振り撒き、見る見るうちに縮んでいく。
そしてその場に残ったのは、彼らの着衣と大量の白い粉末だけだった。
「何!? い、一体何が起きたの!?」
「……なるほど、考えたものね」
悪い夢か、不吉な幻のような光景に、エステルが震える声で呻いだが、
その隣にいたは至って冷静だった。
アベルもと同じだようで、床に跪き、そこに積もった白い粉末を指にすくった。
「“主、ソドムとゴモラに硫黄と火を注ぎ、街と民のことごとくを滅ぼしたまえり”……」
「“この時ロトの妻、主の言に差から居て後ろ顧みたれば、すなわち塩の柱となりぬ”……、
でしょ?」
「ええ、その通りです」
アベルの後をが言うと、アベルは同意を求めるように頷き、粉末を舌に乗せる。
硬い顔で振りかえると、息を呑んでいた尼僧にこう告げたのだった。
「……エステルさん、これは塩です。塩の柱だ」
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