「ほほへれはふは、ほーへーへーはーひー、へへーほふほほほー」

「まずは口の中のものを片付けよ、神父。したる後に、多少は人間らしい言葉で喋るがよい」

「そうよ、アベル。全く、あなたの大食漢振りには呆れてものも言えないわ」

「ひーへー」




 寝起きなはずなのに、どうしたらここに並んでいた食事を胃袋に納めることが出来るのであろうか。

そんな疑問が浮かんでもおかしくないぐらい、

アベルは中央のテーブルに所狭しと並べられていた食事を平らげていた。

しかし、そんな彼の発言は珍しくまともだった。




「やっぱり、まずは伯爵閣下の濡れ衣を晴らすところから始めるべきだと思うんですよ。だってほら、

このままじゃ閣下は尊属殺人犯の要人暗殺者じゃないですか」

「確かに。あたしたち、このままじゃ皇宮どころか、外にもろくに出られませんものね」

「一応、散策の手は打ってあるけど、それを待つ時間が勿体無いしね」




 皆が睡眠中、のプログラムは必死になって情報を揃えていた。

さすがにきれいに焼かれたモルドヴァ公邸を調べるのには時間がかかりそうだが、

それ以外のことは着々と集まりつつあった。




「今回の事件の裏には、“強行派”が間違いなく絡んでいるのは確かね。問題は、その首謀者が誰なのか」

「それも、汝のプログラムが調べているのであろう?」

「勿論。ただ、慣れない土地での作業だから、ちょっと手間取っているみたい」




 久方ぶりに表に出たからと、「完全体」ではないという理由で、

相手は少し梃子摺っているらしい。

それでも、主人のためにせっせと動く辺りは、普通の人間と何の変わりもなかった。



 そんな会話を交わしながらも、エステルはしきりにイオンの様子を伺っていた。

ろくに眠ることも出来なかったのであろう、

目の下に隅ができ、水すら口をつけていなかった。




「食べるのがきついなら、何かお飲み物か果物はいかがです? ちゃんと栄養は摂っておかないと、

いざというとき保ちませんわ」

[彼女の言うことは正しいぞ、メンフィス伯。我らとて、疲れもすれば、腹も空く。……眠れなんだら、

せめて食事ぐらいは十分に摂っておくがよろしかろう]

[欲しくはござらぬ]




 よく熟れた石榴の小皿を差し出し、軽く笑うアストに、

イオンは消え入りそうな声で呟き、弱々しく首を振った。




[それに我のことは放っておかれよ、キエフ候。……どうせ、貴女には関係なきことゆえ]

[……関係ないじゃと? おい、つけあがるなよ、小僧!]

「キ、キエフ候!」




 アストの選手がイオンの喉首にひっつかむ姿に、エステルは慌てて叫ぶ。

イオンの気持ちも分かるとしては、その光景を黙って見つめるしかなかった。

この悲劇から立ち直ろうとするもしないも、すべて彼次第だということを、

誰よりも理解しているからだ。



 アストが憎々しげに唇を捲り上げると、イオンは固く閉じられた瞼から涙が一筋零れ落ちる。

そんなイオンを、アストは何か汚いものでも放り捨てるようにソファへ突き放した。




[帝国貴族ともあろう者が人前――しかも短生種の前で泣くとはな……。この腰抜けが! 

モルドヴァ公は一体どんな教育を孫にしていたのやら!]

[……お、祖母君のことを悪く言うな! それ以上、祖母君のことを悪く言うようならば……、

キエフ候、いくら貴女でも容赦はいたしませぬ!]

[……ふん、まだ小生意気に怒る程度の気力は残っていたかや。じゃが、余に怒るより前に己の身を

顧みたほうがよいのではないか? ……その情けないていたらく……、祖母君が見たら何と言われるか

とくと考えられるがよい]

[…………!]




 なるほど、そういうことか。

アストの発言に、は心の中で思わず納得してしまう。

他人のことなどどうでもいいと言っておきながら、

何とかしてあげたいとする性格だけは変わってないらしい。




[……貴女のおっしゃる通りだ、キエフ候。それに……、余と同じように、も辛いはずだ]

「……えっ?」




 突然振られ、の口から驚きの声が漏れる。

あの事件に疑問を感じていたのと、そうすることで現実逃避していたからなのか、

悲しみに暮れている暇などなかったのだ。




は、祖母君と親しい関係だと聞いた。たった数日間しかいなかったが、とてもよくしてくれた、と]

[……確かに、それは言えてますわね]




 いろいろ小言を言われては、を悩ませることが多い人ではあったが、

それでも彼女と共に過ごした時間はいい経験となって蓄積されたのには変わらない。

肉親である彼ほどではないが、少なからずショックだったのには変わりはない。




[彼女はどう思っていたのか存じませんが、少なからず、私にとっては大事な方でした。……だからこそ、

メンフィス伯。私はあの方のためにも、あなたの汚名を返上させなくてはなりません]

[本当、汝は頼もしいな。……余も、もはや嘆かぬ]

[ふむ、申したな。……では、今後の行動でそれを証してもらおう]




 あくまでも冷たく突き放したアストだが、アベルから料理の皿を奪い取ると、

体力をつけるようにとメンフィス伯に告げ、それを差し出した。

受け取ったイオンも、軽く頭を下げて受け取り、スプーンを手に取り、口へ運び始めた。

それを見たエステルが、安心したかのように胸を撫で下ろしていた。




「さて、では今後の話に戻ろう。もう神父やから聞いてはおると思うが、

このアスタローシェ・アスランは慎重な為人じゃ――」

「アストさんがどこのアスタローシェ・アスランさんのことをおっしゃっているのかは存じませんが、

何か具体的なアイデアがおありなら伺いましょうか――おぶっ!?




 アベルの小鼻へ裏拳1発で黙らせるアストに、は笑いを耐えるしかなかった。

そもそも、アストのどこに慎重な趣が垣間見れるのか、

自身も心の中でため息が漏れていた。




「さて、その慎重な余(・・・・)としても――」

「そんな強調すると、余計怪しまれるわよ」

「細かいことで突っ込みを入れるな!」




 耐え切れなくなって、思わず発言してしまう辺り、昔ではあり得ないことだったと思いながら、

はかすかに笑って、用意された赤ワインを口に運んだ。




「まあ、それはいいとして……、今度のそなたらの窮状を打開する方策は1つしか思いつかぬ。

いささか博打になってしまうが、ディワーンでの直訴――これしかあるまい」

「ディワーン!? ディワーンが開かれるのですかヤ、キエフ候!?」




 ディワーン――皇帝陛下臨席の最高会議が行われることに対して、一番に反応したのはイオンだった。

確かに、貴族であれど、滅多にお目にかかることが出来ない皇帝に

直接会って事を告げるには絶好の機会である。




「内容は、やっぱりモルドヴァ公死去について?」

「そうだ。何と申しても、帝国一の高官が亡くなったのじゃからな」

「それもそうね」

「確かにおっしゃるようニ、これを逃せば逆転の目はないように思われル。

……キエフ候、貴女にお頼みしてよろしかろうヤ?」

「任せよ。必ずや陛下にお目通りして、ことの次第を奏聞するゆえ。……ふむ、

これは結構面白くなってきたではないか」




 ある種の肉食獣と思わせる明日との笑みに、

は思わず大きなため息を溢し、呆れたように額へ手を乗せた。

今の状態で頼めるのは彼女しかいないのは確かだが、さらに大きな事態へと発展しないとは言いきれない。

 なら、そうならない手段を考えなくてはならない。

そう、が思った時だった。




「私もついてってもいいですかぁ〜?」




 アベルののどかな声がかかり、は正面にいる彼の顔を見た。

裏拳で出血した鼻の穴に懐紙をつめた彼の顔に、また笑いがこみ上げてきそうだ。




「しかし、汝はモルドヴァ公殺害現場に居合わせておる。ばれると、ちとまずいのではないか?」

「顔は隠して行くから大丈夫ですよ」




 この男を公の場に連れて行きたくない。

連れて行くのであれば、の方が役に立つ。

しかし彼女は、簡単に共にすることが出来ない。

もしそんなことをしたら、他の貴族達がに釘つけになり、

会議どころの話ではなくなってしまうからだ。

それはも同じで、余計に騒動を大きくするわけにもいかないため、

ここではわざと1歩下がっていた。



 アベルがカテリーナから預けられた親書を無造作に取り上げると、

それをアストの顔前に突きつけ、自慢たらしく小鼻を膨らませた。

これを持って、アストに同行して、陛下に直接説明するという、彼にしては珍しく学識的な提案であった。

こうなってしまうと、アストも反撃を見出せなくなり、

アベルの反対側にいるに視線を動かした。




「どう思う、?」

「何で私に同意を求めるわけ?」

「そなたが一番的確な判断をしそうだからだ」




 そんな理由でいいのかと思いながら、自身も彼女同様、

否定する言葉が思いつかない。

ここは大人しく、これに従うしかない。




「残念ながら、私の意見はゼロよ」

「そうか。……よかろ。まことに珍しきことながら、汝の言は正しいようじゃ。

……じゃが不思議よな」

「何がです?」

「なぜだか、さっきから妙に汝の首を絞め上げとうてたまらぬ」

「それは言えてる。何かこう、たまにまともなこと言うと、イライラしてくるのよね」

「ふぅむ、それは幼少時の人格形成になにか深刻な問題があったのかもしれませんね。

あるいはカルシウム不足とか……」

「アスト、私の分もよろしく」

「承知した」

「ぐええ!?」




 絞殺し始めるアストに、が尽かさず自分の分を託す。

そんな姿を見ていたエステルが、慌ててアストに申し出た。




「あ、あの侯爵閣下、私も連れていってくださいませ! ナイトロード神父が行かれるってことは、

当然、あたしもついていっていいんですよね? ミラノ公の使者はあたしなわけですし、

証人は1人より2人の方がいいし――」

「……いや、残念じゃがそれは駄目じゃな、短生種の娘よ。星皇宮(サライ)に連れて行くわけにはいかぬ」




 エステルには難点があった。

それは、帝国語が理解出来ないということだ。

かと言って、決して語学に疎いわけではなく、訓練所ではAランクを取るほどの実力者である。

帝国語は、使者に選ばれてからこの3ヶ月、イオンにみっちり教わってきたのだが、

それでも宮中で声をかけられたらおしまいだ。



 だが、それは同伴するアベルも同じはず。

そう思って、彼女は彼に反撃したのだが――。




[おや、誰が帝国語を喋れないと言いました? 失敬だな]

「……へっ!?」




 そう、アベルは帝国語を話せたのだった。




「で、でも、だったら何でこれまで一言も……」

「それはほら、敵を欺くにはまず味方からって申しますでしょ? それに、さんだって話せたのに、

ここに来るまで話さなかったじゃないですか」

「でもちゃんと、ここに来てからは話しているわよ」




 アベルが帝国語を話せることなど、はとっくに知っていた。

いや、彼女がアベルに関して何も知らないわけがない。

それに、が今まで使わなかったのは、

そんなことをしなくても、長生種であるイオンがいたから使わなかっただけである。



 エステルが肩を震わせているのを知ってか知らぬか、

アベルはまるで世界の支配者みたいな顔でふんぞり返っている。

しまいには暴言まで吐き、エステルの拳までもぷるぷると震え始めていた。




「……で、そなたはどうするのだ、?」




 そんな様子を見てみぬ振りをしつつ、アストは神父と尼僧の同行者であるに声をかける。




「ここでじっとしていられるほど、そなたは大人しい人物ではないであろう」

「確かに。……とりあえず、伯爵のところに顔を出してくるわ。折角戻って来たのだから、

会わないわけにいかないし」

「伯爵? ……ああ、あの方のことか。でも、彼もディワーンに向かうのでは?」

「かもしれないわね。そうなったら、他の手段を考えるわ」

「他の手段って……、……まさか汝、星皇宮に乗り込もうと思っているのか!?」

「まあ、簡単に言えばそんなところね」




 確かに、最初の手段で中に入れば、まだ一目に曝す心配はなくて済む。

だが、極一部の貴族達には、の顔は目立ちすぎる。

それ以外の方法と言っても、そう簡単には見つかるものではない。

果たして、どうやって侵入するつもりなのだろうか。




「汝のことだから、無理なことをしないことは分かっているが……、危険な橋だけは渡ってはならぬぞ」

「勿論、そのつもりでいるわ」






 軽く笑みを作って、赤ワインのグラスを上に上げるの姿は、

 どこか自信に溢れているように映し出されていた。











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