アベルとアストが星皇宮へ行くべく屋敷を出て数分後、

はイオンのことをエステルとチャンダルルに任せて外へ出て、目的地へと足を運んだ。

どこから登場したのか分からない自動二輪車(モーターサイクル)を走らせている間にも、

連絡事項は忘れずに行われているようで、黒十字のピアスの奥にいる人物が彼女に声をかけた。




『お前の予想通りだ、。やはり公邸から、モルドヴァ公ミルカ・フォルトゥナの遺体は発見されなかった』

「やっぱりね。……全く、あの人は何を考えているんだか……」




 不安要素がなくなり、は安堵のため息をつきながら、相手の行動が読めず、思わず呆れてしまう。

彼女らしいと言えば彼女らしい、と言ってしまえばそれで終わりなのだが。




「そうなると、あと考えられる手段は1つしかないわね」

『だが、確信を持っては言い難い』

「分かってる。だからなおさら、侵入手段を考えないといけないのよ」




 真正面から行けば、弾かれるのは当然のことで、逆に騒動になってしまう。

そうなれば、正々堂々と立ち向かっているアストとアベルに迷惑を

かけてしまうことになり、計画もすべて台無しだ。

だとすれば、やはり彼の力を借りるしかない。




「伯爵はまだ屋敷にいるの?」

『うむ。星皇宮からそんなに遠くではないからな。しかし……、ここまで来て、こいつで移動とはな』

「あら、作ったのはあなたじゃなくて?」

『分かっておる』




 が走らせている自動二輪車には、不審な箇所がたくさんあった。

エンジンと思われると思われるモーターが1つもない上、

使い古した配水管のような管があちこちに見えている。

近くにメカニックがいたとしたら、一体どうやって走らせているのだろうと解体したくなる代物だった。




「そもそも、ここまで来て、自動二輪車ってどうなの? 文明が発達しているからって、誰も

こんなものには乗らないわよ」

『なら、目的地まで己の足で走るか?』

「そういう意味じゃなくて……」

『目的地に到着するぞ』




 の発言は、目の前に見えた屋敷と共に中断されてしまった。



 久々に見るそれは、昔の記憶を蘇らせるのに絶好の材料になっていた。

それを証拠に、の胸元が少し痛む。



 もうここに、彼女の姿はない。

もう2度と、会うことが出来ない。




(……駄目だ。ここで暗くなったら、私以上に苦しんでいる彼に対して失礼にあたる)




 軽く首を左右に振ると、自動二輪車を屋敷の前で止めて降りた。

指を1つ鳴らすと、自動二輪車は何かの手品にでもかかったかのように崩れ始め、

ガラクタ同然の姿で山積みされた状態へと化した。




「後片付け、ちゃんとするのよ」

『当たり前だ。このまま放置して、怪しまれては困る』




 ガラクタの山に背を向けると、は屋敷の玄関まで行き、

上部から垂れ下がっている紐をおもむろに引いた。

軽い鐘の音が鳴り響き、奥から慌しい足音が聞こえる。




[全く、この忙しい時に何者――、うおっ!]

[お久しぶりですわ、ジルフェルド殿。ご機嫌のほど、いかがでしょうか?]




 扉を開けた黒い士民服の男――扈従士民であるジルフェルドが、

目の前に飛び込んできた人物を見るなり、顔が硬直した。

のこの国での地位を知っている者であれば、当然のことと言えば当然のことだ。




[な、な、なぜ貴女がここに!? ――ああ、そうだ、お館様を……!]




 唖然とした顔のまま、彼はに背中を見せて、屋敷の中へと戻って行く。

そんな姿に、は苦笑しつつも、扉を開放したまま去ったのだから、

入室の許可を得たのだと解釈し、中へと入っていった。



 左右に分かれた階段の間に、大広間に続く道が見え、はその方向へ足を進める。

そしてそこから聞こえる話し声に耳を傾けた。




[馬鹿なことを申すな、ジルフェルド。そんなはずないであろう]

[ですが、あれはまさしく卿その人で。私も一瞬、見間違えかと思ったのですが……]




 事情を主に説明しているジルフェルドの戸惑いようからして、

はどうやら珍客のようである。

確かに、彼女の持つ「力」を目撃したことがある人物なら、そう思われても仕方がないことではある。

それを快く受け入れてくれた国が、この真人類帝国なのだ。




[ジルフェルド、お前は疲れているのだ。たまにはゆっくり休んで――]

[起きたばかりなのに、また寝ろと申すのは、あまりにも酷な話ですわよ]




 2人の会話を跨ぐかのように、は彼らの5メートル先で足を止めて声をかける。

それに対し、この屋敷の主――ヤーノジュ伯爵の動きが止まってしまい、自分の耳を疑った。




[お久しぶりです、ヤーノジュ伯爵。ご機嫌いかがでしょうか?]




 再び聞こえた声に、首だけをに向ける。

そこには、驚きの表情が隠せないようで、額に汗が浮き出ているのがよく分かる。




……、本当に、本当になのか!?]

[ええ、勿論。ああ、士民服だから余計に分かりにくいのかもしれませんわね。何なら、元の服装に戻しますが……]

[いや、いい。そのままでいい。――ジルフェルド、“生命の水”をくれ。一度、落ちつきたい]

[しょ、承知致しました]




 額の汗を胸元にしまっておいたハンカチで拭うと、

少しよろよろとした足取りで、近くにあるソファに腰を下ろした。

ジルフェルドから受け取った“生命の水”を一気に飲み干し、大きくため息をつく。

どうやら、少しだけほぐれたようだ。




[全く、汝には驚かされることばかりだ、。今になって、レンの墓参りに来てくれたのか?]

[……確かにそれもありますが……]




 レン・ヤーノジュ。

15年前、この地に来るきっかけとなった事件のために、

当時特務警察(カラビニエリ)大尉であるに交渉を持ちかけた人物である。

3年前、アストを守るためにザグレブ伯エンドレ・クーザに殺害され、

その仇を取りに来たアストがヴェネツィアの地を踏み、アベルと協力して撃退したのだが、

時間と今の身分などの事情で、葬儀にまで足を運ぶことが出来なかったのだ。



 確かに、彼女へ顔を出さなくてはいけない。

しかし、今はそれどころではない。彼女には申し訳ないのだが、もう少し待っていてもらいたい。

はこのことを心の奥にそっとしまい、招かれたソファに腰を下ろしながら口を開いた。




[実はあなたに、折り入って相談があって来たのです]

[断る]




 用件を聞く前に断る辺りは、相変わらずだった。

以前もこんな風に、すぐ断られてしまったものである。




[とりあえず、内容だけでも聞いて戴けませんか? それから判断しても遅くないはずです]

[言いたいことは大体分かっておる。例の、メンフィス伯の件であろう]




 どうやら、情報は彼のもとにも届いているらしく、伯爵は何の躊躇いもなくに答えた。

彼女が教皇庁の人間になったことをアストに聞いていたとして、

彼の手元に、今どれぐらいの知識があるのか、少し気になり出す。




[……どうしてそうお思いになるのですか、伯爵?]

[モルドヴァ公が殺害された際、メンフィス伯と共にいた3人の同行者が短生種だった上、

そのうちの1人がラテン語で聖書を引用して見せたという噂があるからだ]




 ここ帝国では、一切の宗教活動が禁じられている中で、“ラテン語の聖書を引用した”となると、

その人物は“外”、それも教皇庁の手の者であるというのは明らかである。

そして自分のもとに、その教皇庁から来たが現れたことにより、

それが確信に変わったのだった。



 一方は、その聖書の引用をした張本人に対して怒りを覚え、

再会した際に拳の1つでも叩きつけてやろうと心に誓ったのだった。




[汝のことだ。何か、厄介なことに巻き込まれたのだということは分かっている。だが、

私はその道連れになどなりたくない]

[承知しております]

[分かっているのであれば、なぜ?]

[それは……、あなたにお願いする以外の方法で、陛下へ近づくのは不可能だと思ったからです]




 話が矛盾していると、伯爵は心の中で呟いた。

巻き込まないと言っているのに、相手の望みは正面から突っ込むような内容だったからだ。




[……、やっぱりこの件は引き受けられん]

[大円蓋の間までの道のりだけで構いません。それから後は、私1人で乗り込みます]

[どうやって?]

[分かりません]

[「分かりません」とは、どういう意味だ?]




 一体、この者は何を考えているのだろうか。

出来ることなら、頭の中を覗いてみたいものだと、

伯爵は思わずにはいられなかった。




[まさか、何も考えず、現地についたら考えようとか、そんな曖昧なことではなかろうな?]

[さあ、どうでしょう。たぶん、そんな感じだと思います]




 何も決めずに突入しようというのに、の表情は明るかった。

笑顔を絶やさないこの者には、「不安」という文字は存在していないらしい。




[……全く、汝には呆れたものよ]

[あら、それは今に始まったことではありませんわよ]

[それもそうだが、以前に比べて幾分明るくなったと思えば、慎重さがなくなったというか……]

[慎重な部分は欠けてなどいません。ただ、何事にも積極的に挑戦しようと思っただけですわ]

[積極的になりすぎだ]




 大きくため息をつきながら、伯爵はその場に立ち上がる。

大広間を抜ける途中で待っていたジルフェルドから帽子を受け取りそれを被ると、

未だ座っているを焦らせるように言った。




[何、そこでじっと座っておる。早く行かなければ、遅刻してしまうであろう]






 伯爵はそれだけ言うと、の嬉しそうな笑みを背に、その場を後にした。











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