写真立ての前に膝まつくの姿は、まるで何かを思い出しているようで、

辛く、悲しみに暮れていた。



 “愛児たちの島”にある、ヤーノジュ伯爵家の廟邸。

主人である伯爵がの顔を見るなり、その表情に驚きを隠せないでいた。

他人のことに無関心だったはずの彼女が、自分の娘のために、

親切に花まで持参して来たのだから当たり前である。



 ゆっくりと立ちあがったに、

扈従士民であるジルフェルドに淹れさせた紅茶を薦めた。

お礼を言って口に運ぶと、香ばしい香りが広がっていく。




[……もう、あれから15年も立つんですね]

[そうだな]




 15年前、右も左も分からなかったに、親切にしてくれたのがレンだった。

そんな彼女に、最初は無表情に答えていたも、

かすかにだが笑顔を見せるようになった。

また会ったら、今度は笑って再会しようと約束したのに、

もうそれすら果たせなくなってしまった。




[エンドレ・クーザは、そなたが捕まえたのか?]

[捕まえたのは、私の同僚とアストです。私はその時、別件で動いていましたので]

[そうだったか。……その者が、今回の同行者ということか]

[そういったところです]




 がここに来れたのも、同行者であるアベルの配慮があったからだ。

最初、半ば諦めて、ルクソール男爵ラドゥ・バルフォンの捜索にあたっていたが、

途中、この廟邸の前を通るなり、勝手に足が止まってしまった。

そんな彼女に、「手分けして探してみましょう」という一言だけを残し、

その場を去ったアベルが、

まるで自分の心を読まれたのではないかという錯覚を起こしてしまいそうになった。




(あの人は……、一体どこまで知っているのかしらね)




 ふと思い出し、目の前にいる相手に気づかれないように微笑む。

とりあえず、もう少しだけここにいて、彼と合流しなくてはならない。




[しかし、よ。あれから無事に侵入出来たのか?]

[伯爵のお蔭で、無事に成功致しましたわ]

[そうか。……なら、ルクソール男爵の言葉も聞いたわけだな]

[……ええ……]




 ラドゥがディワーンで告げた報告内容を思い出し、は思わず目を強く瞑った。

たとえミルカが生きていることが分かったとしても、

何もかもイオンが仕組んだことだと言い張った相手が許せなかったのだ。



 いや、正確に言えば、彼を操っている者(・・・・・・・・)に対して、怒りを覚えていた。




[彼が申したことは偽りだと思ってもいいのだな]

[勿論です。――まさか、信じていただなんて、おっしゃらないでしょうね?]

[汝はレンの(トヴァラシュ)だ。そして私は、娘の友を信じないわけがない。違うか?]

[さあ、どうでしょうか]

[やれやれ、相変わらず慎重深いな]

[慎重になるのは、悪いことじゃありませんわ]

[そなたは慎重になり過ぎだ]




 呆れたようにため息をつく伯爵に、は苦笑するしかなかった。

確かには、人より慎重深いかもしれない。

しかし、イオンの相棒であったラドゥの裏切りがあってから、

会う者全てを注意深く監察するようになった。

それは、目の前にいる相手も同じである。




[大体、そなたは昔から――]

[お話の途中ですが、そろそろお暇致しますわ]




 紅茶をしっかり飲み干し、その場からゆっくりと立ち上がる。

言葉を中断させられた伯爵は少し驚いた顔をしたが、

彼女の今の状況を読みとって、再びため息をついた。




[そうだった。お前はあまり、長居が出来ない者だったな]

[そういうことです。……メンフィス伯を探している者に会った時には、ごうかご内密に]

[私が何か話すとでも思うのか?]

[そうじゃないことを願っておりますわ]




 それだけ言い、は彼の前で一礼をして、廟邸を出て行った。

その後ろで、伯爵が彼女の無事を祈るかのように見つめていたことなど、

は知る由もなかったであろう。



 廟邸を出ると、冷たい風が体を包み込み、

は思わず上着の金具をしっかりとめ直した。

黒十字のピアスを軽く弾くと、甲高い音が自然に溶け込むかのように響き出す。




『アベル・ナイトロードなら、この先にある海の近くだ。キエフ候の扈従士民であるチャンダルル共に、

ルクソール男爵ラドゥ・バルフォンを捜索中だ』

「了解」




 それだけ聞いて、は地面を軽く蹴った。

体が軽くなったかのように前進し、たった2分という短さで目的地に到着した。



 海岸沿いには、モルドヴァ公の葬儀に参列する皇帝ヴラディカを出迎えるため、

たくさんの人でごった返していた。

その中で、1人へなへなと歩く姿を発見し、

は相変わらずの頼りなさで思わずため息が出そうになった。




「あんなんで、本当に見つけられるのかしら?」

『あれが、彼なりの必死な態度じゃないのか?』

「だといいけど。……見つかったの、アベル?」

「はひーっ!!」




 少々呆れながら、は彼の背後まで近づいていくと、彼の肩を軽く叩いた。

すると、誰かに驚かされたかのように飛び上がるアベルの姿に、

思わず大きくため息をついた。




「な、何だ! さんでしたか! もう、驚かさないで下さいよー!」

「別に私、驚かせるようなことは1つもしてないけど? ……私がいない間に、何かあったの?」

「えっ? いえ、何もなかったですよ、何も。ははは〜」




 怪しい。どう考えても怪しすぎる。

もしかして、こっそり抜け出して、先に戻っていようとか考えていたのではないだろうか?




「チャンダルル殿は?」

「今、海の方を調べに行ってます。ほら、私、船酔いするじゃないですか? 

なので、ここで待機していたんですよ」

「ふーん、なるほど……」




 まるで、何かを疑うかのようにアベルを見つめると、

アベルは背中に何か嫌な汗が流れているのが分かった。



 ラドゥを探さなければならないことは分かっている。

だが、長時間歩きっぱなしでは、いい加減戻りたくなってしまう。

なので、チャンダルル達が乗る船に便乗せず、ここで待っているという振りをして、

こっそりキエフ候の廟邸へ戻ろうとしていたのだ。




「まあ、戻ったところで、アストにどっ突かれ、エステルに怒られるのが目に見えているから、

ここは大人しく、チャンダルル殿の帰りを待ちましょう」

「ああ、はい……、って、それじゃまるで、私が途中で抜け出そうとしていたみたいじゃない

ですか!」

「あら、違うと言うの?」

「い、いえ、別に何も……」




 に隠し事は禁物。

 ここは諦めて、彼女の言うことに従うしかない。

アベルは諦めたように肩を落とすと、広い海を見渡した。



 海の先には、チャンダルルが乗っていると思われる船が浮いており、

その大きさから、ここからかなり離れた位置にいるのは一目瞭然だった。




「この近辺、すべて見て回ったのですが、ルクソール男爵の姿は目撃されてません」

「なるほどね。……そっちの方はどうなの?」

『こちらもまだ見つかっておらん。念のために、この島以外の場所でも探しているがな』




 イオンの言う――ラドゥが皇帝を暗殺しようとしている――ことが正しければ、

ラドゥはヴラディカの登場をどこかで待ちうけているに違いない。

そのために、2人はアストの士民達の協力を得て、こうしてこの島中を捜し歩いていたのだ。

だが、もう何時間も歩いているというのに、姿どころか、手がかりすら見つからずにいた。




「ここまで探していないとなると、ここには来てないってことになるんじゃないでしょうかねえ?」

「分からないわ。もしかしたら、こちらに向かっている途中かもしれないし」

「そうかもしれませんがねえ……」




 諦め切っているアベルの横で、は人で溢れているところへ視線を動かす。

目を細めれば、遠くのものがどんどん拡大され、そして1人1人の姿を捉えていく。

だがそこに、ラドゥだと思われる者の姿は見当たらず、彼女はため息を漏らし、

軽く瞬きをした。




「駄目だ。あの集団にも、彼の姿を発見出来なかったわ」

「そうでしたか……」




 の報告に、アベルががっくりするかのようにため息をつくと、

それが合図になったのか、岸辺に1隻の船が姿を現した。

チャンダルルを乗せた捜索船だ。




[お待たせ致しました。……おや、卿もお戻りでしたか]

[ええ。で、どうでしたか?]

[残念ながら、こちらの手がかりはございません。誠に、申し訳ございませぬ]

[ああ、いえいえ、そんな謝らないで下さいよ。ねえ、さん?]

[アベルの言う通りです、チャンダルル殿。とりあえず、一度廟邸へ戻って、アストに報告しましょう]

[承知致しました。――ああ、卿! 貴方様がそのようなことを……]

[何をおっしゃりますか。手伝ってもらっているのはこちらなのです。これぐらいいたします]




 船を片付ける士民達の手伝いをするに、チャンダルルは一瞬焦りの色を見せる。

何せ、相手は自分と同じ短生種であるもの、彼などよりも高い位置にいる者だ。

そのような者に、こんなことをさせてはいけないと思うのだが、

当の本人は当たり前かのように片付けを手伝っている。




「ほら、アベルも手伝いなさい」

「ええっ、私もですか!?」

「当たり前でしょう! さ、こっちを引っ張りなさい」

「は、はあ……」




 しぶしぶの指示に従うと、2人は士民達と共に船を陸に上げる。

そして一息入れてから、ここからそんなに離れていないキエフ候廟邸へ向かって歩き出した。



 しばらくして、目的地に到着すると、アベルと、そしてチャンダルルの3人は、

報告のため休息所を訪れた。

そこにいるアストとエステル、そしてイオンが何やら話し合っている最中だった。




「……やあ、すいませんね、アストさん。すっかり遅くなっちゃいまして。いやあ、疲れた疲れた」

「ろくに動いてないくせに」

「ちゃんと動きましたってば、さん!! なーんか、さんざん探し回ったんですがね? 

ルクソール男爵の影も形も見つかりませんでしたよ」

「はいはい、分かったから拗ねないの」




無機になって言う姿にますます怪しいと思ってしまうのだが、

本人がこう言うのだから本当なのだろうと自分に納得し、は1つため息をついた。

それに自身も、ラドゥを見かけたという情報が何1つ入手してないのだから、

彼の発言に同意するしかなかった。

報告を終えたチャンダルルと揃って、疲れたようなため息をつく姿を、

は黙って見つめるだけだった。




「私、思うのですが、やっぱり、これだけ探し回って見つからんないってのは絶対に可笑しいですよ。

ルクソール男爵はこの島には来てないんじゃないんですかね?」

「……余がでたらめを申したと言いたいのカ、神父?」




 疲労困憊の面持ちでへたり込んでいるアベルに、イオンが不機嫌に睨みつける。

その姿は、何かに駈り立てられているようで、焦りの色が見えていた。




(まあ、焦る気持ちも分からなくないけど)




 はここに到着する間、一度もエステルと会話をしないイオンのことが気になっていた。

自分とアベル、アストが救出する前に、ラドゥに何かを吹き込まれたかもしれない。

もしそうだとしたら、一体何を吹きこまれたというのであろうか。




「……仕方ない。できれば迷惑はおかけしたくなかったが、少しばかり、

あの方の力をお借りするとするか」




 アストが指を鳴らす音で、はすぐに我に返った。

そうだ、今はそんなことを考えている暇などなかった。

それに、イオンが焦る気持ちも分からなくない。

ラドゥが見当たらないという知らせそのものは歓迎すべきことだが、

もしどこかに潜んでいて、皇帝暗殺を目論んでいるとしたら、

何とかしてでもそれを阻止しなくてはならない。




「よし、神父、汝もちょっと付き合え。……少々、余に心当たりがあるゆえ」

「あ、アストさん、耳痛いです! あ、堪忍して……。私、耳は弱くて……」

「ええい、怪しいため息をつくな! 体をくねらせるのはやめい!」

「ああ、もうどこまで馬鹿丸出しにしたら気が済むのよ、あなたは……」




 アストに引っ張られるアベルに、は変に緊張感が取れて呆れ返ってしまう。

この非常事態に、もっと真剣になろうとは思わないのであろうか。




「で、アスト、どうするの?」

「これから、スレイマン殿のところへ参る」

「へっ? ディグリス公にですか? 何でまた、この忙しい時に?」

馬鹿(ドピトーク)、それぐらい問わずとも分かれ。あの葬儀をしきっておられるのはあの方じゃろうが」




 アストの考えは、自分達が見落としていたところでも、

葬儀の指揮を取っているディグリス公スレイマンであれば、

居場所を掴めるかもしれないと思ったのだ。

ラドゥの陰謀を知っているのがここにいる6人だけではあるが、何か適当な理由をつければ、

向こうが同意してくれるのではないか、ということだった。



 彼女の考えは的を得ているように見えて、実は大きく外れている。

は先ほど手に入れた情報を思い返し、少しだけ目を鋭くさせた。

この作戦はきわめて危険すぎる。




「アスト、私も一緒に行っていいかしら?」




 突然の発言に、アストは少し驚いたようにを見つめた。

だが、すぐに表情を取り戻して告げた。




「いや、はここに残って、メンフィス伯とエステルの護衛にあたれ。そなたの顔は広すぎる」

「分かってる。けど、スレイマン卿が私とミルカ様の関係をご存知であれば……、少しは理解して

もらえるんじゃなくて?」

「……確かにそれはあるかもしれぬな……」




 15年前の任務内容を知っているアストは、の言葉には逆らえなかった。

スレイマン自身、とモルドヴァ公が芝居をしていたことを知っていて、

特にモルドヴァ公は、本気で彼女を自分の家族の一員にさせようとしていたのだから、

納得出来なくはなかった。




「……分かった。そなたも同行させよう」

「ありがとう、アスト」

「そ、そういうことならバ、私も参りまス!」

「駄目じゃ、メンフィス伯。そなたはここに残っておれ」




 の後を慌てて反応したイオンだったが、すぐにアストによって止められてしまった。

今、帝国中が総出して捜索しているのだ。

危険な手段は避けなければならない。




「それとエステル、そなたもここに残れ。まだ、そなたの体は本調子ではないゆえ」

「あ、はい!」




 エステルが首を振ると、アストは未だ身をくねらせている神父を引きずりながら居間を出て行き、

その後を呆れた表情をしたままのとチャンダルルが追いかけた。




「アスト、いい加減、離してあげたらどう? 見苦しくて見るに耐えないわ」

「それもそうだな」




 に言われ、ようやくアストがアベルの耳を離すと、

アベルは何故かその場にへたり込んでしまった。




「ああ、もう、アストさんってば、そんなに私を落としたいのですか〜?」

「「誰もそんなこと思ってないわ、このへなちょこ神父がー!!」」

「ぐおーっ!」




 アストとの豪快などっ突きを受け、アベルは思わず目が飛び出るかのような衝撃を受けた。

下手したら失神してしまいそうだ。




「全く、気持ち悪いことばかり言ってないで行くぞ! 時間がないのだからな」

「ああ、はいはい……」




 自分を落ちつかせるように言い聞かせながら、アストはアベルとに背を向け、

チャンダルルと共に先を歩いていった。

アベルもそれにすぐ追いかけようとしたのだが、の声で足が止まってしまった。




「アベル、お願いがあるの」




 湖色の瞳を見つめるアースカラーの瞳は真っ直ぐで、何かを強く訴えているように見える。

避けようとしたくても出来ないぐらいだ。




「もし何かあったら、すぐにアストと共にスレイマン卿のそばから離れて」

「えっ? それって、どういう意味です? さんも、ご一緒するのでしょう?」

「したいところだけど、さっきのアストが言ったように、私の顔は広すぎて、逆に厄介になるわ」

「それなら、なぜ一緒に行くなんて嘘を?」

「……あなたに警告したかったからよ」




 あの場で、お互いに通信し合ってもよかったのだが、

事が重大過ぎるため、変に勘付かれると思ってやめてしまった。

それに、直接話した方が都合がよかったというのもある。




「警告って、何ですか?」

「スレイマン卿は危険過ぎる。何をお考えになられているのか分からないわ。だから、もし万が一何かあったら、

すぐにアストを連れて脱出して欲しいの」

「ディグリス公が危険って……、一体、どういう意味ですか?」

「それは……」




 伝えていいものか分からず、は思わず黙り込んでしまう。

いや、本当なら事が大きいため、伝えなければいけないことだ。

だが、思うように言葉が出て来ない。




「…………分かりました、さん」




 そんなの耳に飛びこんできたのは、とても優しく、温かなアベルの声だった。




「なぜなのか分かりませんけど、とにかく何かあったら、すぐにアストさんを連れて逃げますよ」

「……理由を、聞かないの?」

「聞かなくても、さんのおっしゃることは的を獲ているのを知ってますから、問題ないですよ」




 安心させるかのように微笑むアベルに、

は驚いたのと同時に、何故かとても安心した。

この分だと、彼に任せても大丈夫そうだ。




「……ありがとう、アベル」

「それはこちらの台詞です。……教えてくれて、ありがとうございます」




 お礼をするかのように、アベルはの額にそっと唇を当てる。

そして背を向けると、アストの後を追いかけるように走り出した。






(アストさんには、適当に理由をつけておきます。ですからさんは、

ここでメンフィス伯とエステルさんと一緒に待っていて下さいね)






 脳裏に聞こえたアベルの声が、とても温かく、優しかった。






 が、その安堵感も、長くは続こうとはしなかった。











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