水面に串刺しにされた大きな影が、水底に潜んでいる。
軍用街灯の巨大な影は、アベルが何度も見かけた、あの自動化猟兵だ。
しかも、かなり量が多い。
「いかん! 神父、ここは、一旦退くぞ! この数では勝ち目はない……。出直そう!」
「それはできません! あの2人を見捨てるわけにはいきません!」
アストの提案に、水路の奥を睨むアベルが硬い声で拒絶する。
「アストさん、私はこのまま突っ込みます。奴らが私を追ってくる間に、あなたは外に逃げて下さい。
……巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「……馬鹿者! 友に頼られるは我らが名誉! 巻き込まれたなどと思ったことは一度もない」
そういって、アベルはここは自分に任せ、アベルに先へ行くように命ずる。
当然のようにアベルは戸惑うが、一望でも多くの時間を稼ごうとするアストは、
手にしている“槍”の射程を最大に設定し、一気に責めていく。
しかし――。
「ア、アストさん!」
“加速”状態で突進してくる敵手に、アストは視界の隅にその影をかろうじて認識している。
迫る戦斧の刃が、彼女の頚部目掛けて鮮やかな弧を描く――。
が、それは彼女にあたることはなかった。
「ア、アストさん!!」
「…………!?」
涙目のアベルが伸ばした腕に寄りかかりながらも、アストは自分に身を案じる。
しかし、一体誰が助けたのだろうか?
「アストさん、あれを!」
その疑念に答えたアベルの指先にいるのは、見覚えのある赤い影だ。
そして、それを見たアストの目が、限界まで見開かれる。
「バ、バイバルス卿!」
ハルツーム男爵バイバルス――柱の傍らで戦場を睥睨していたのは、あの禁止軍兵団長だった。
「イェニチェリ!? な、何で奴らがこんなところに!?」
その疑問は、すぐに解決されなかった。
それもそのはず。
後方から、再び敵手が迫ってきたからだった。
「アストさん! 伏せて……」
アベルの言葉は、そこで立ち切られた。
相手の胴体が真っ二つに切り落とされたからだ。
「ぼやっとしていたら、やられるわよ!」
聞き覚えのある声だったが、その音はたくさんの水飛沫によってかき消されてしまう。
そして残ったのは、体をばらばらにされた自動化猟兵の姿だった。
「……あなたは、まさか!」
「その、まさかよ、アベル」
水飛沫が止み、バイバルスとは反対側の柱へ立つ人物――の姿を見て、アベルは一瞬ほっとした。
が、その格好が妙だった。
真紅の甲冑に身を包むその姿は、まるでイェニチェリのそれと同じだった。
そして手にしている剣は、先日見せたあの細身の剣と明らかに形が違っていた。
モルドヴァ公女アルフ子爵にして、禁断兵団副団長――それが、彼女のここでの姿だった。
「……そこにおわすのは、直轄監察官アスタローシェ・アスラン卿とお見受けする」
そんなの姿を見ながらも、禁断兵団長がよく通る低い声を発する。
一気に起こった2つの現実に、アベルもアストも呆気にとられているようだ。
「すでに大会議は始まっている。疾く、“大円蓋の間”へ参られるがよい」
「し、しかし……、なぜじゃ? なぜ、そなたらが余らを助けるのか、男爵?」
「…………」
「今はそんなことを問い質している暇はないわ、アスト」
答えないバイバルスに、助だしするかのように声を出したのはだった。
「ここは私とバイバルス卿に任せて、あなたはすぐに行きなさい。アベルは、
エステルとメンフィス伯をお願い」
「ああ、はい。急ぎましょう、アストさん。彼らは我々の敵ではありません。
……ええっと、あなた、バイバルスさんでしたね? 私の連れはどこです?」
「地下牢に。一旦、地上に上がられてから、“死者の門”より降りられませ。
さすれば、すぐです」
「ご親切にどうも」
不気味なまでに丁寧な対応に、は思わず噴き出しそうになった。
しかし、一瞬、だが鋭く睨まれ、慌てて押さえようとして苦笑してしまった。
「だそうです。……さ、急ぎましょう、アストさん。時間がない」
「あ、ああ」
「さん、ここはお願いしますね」
「そっちこそ、エステルとメンフィス伯のこと、頼んだわよ」
はそれだけ口にすると、船を飛び降りたアベルとアストを見送る。
そして、目の前にいる残敵どもを鋭く見つめた。
「殲滅せよ」
「御意」
バイバルスの言葉と同時に、の剣先にある白い石が光り始めた。
どこからともなく風が起こり、剣を振り下ろせば、
まるで剃刀のような鋭さで自動化猟兵を切り刻んでいく。
“風を招く者”
――その名通り、風を引き起こし、剃刀のごとく吹き飛ばす力を持つこの剣は、
長生種でも使うことが困難だと言われる「嫌われ者の剣」だ。
これを使いこなせるものは、よほどの力と精神を持つ人物だとして、
現在まで称えられていた。
つまりは、短生種にして「嫌われ者の剣」を自由自在に操ることが出来る、
まさに「奇跡の剣士」だったのだ。
「そちらは頼んだぞ」
「御意」
バイバルスの言葉に頷くと、は剣をしっかりと構え、一気に切りかけていく。
石が光るのを感じるとと、敵は危機感を感じて後ずさりする仕草を見せるが、
それに躊躇することなく、“風の槍”はどんどん飛ばされていく。
串刺しになって倒れる者、切り刻まれ無様な姿に変わるもの。
その残骸が散らばって大人しくなったのは、
アベルとアストが去ってから15分後ぐらいのことだった。
[これで全部かしら、バイバルス卿]
[そのようだ。――卿、そなたはすぐに、さきほどの同伴者と合流しろ]
[任せてしまって、大丈夫なの?]
[心配することはない。小官の任務は、そなたをあの者達のところまで送ること。
そしてその任務は、これで終わりだ]
[……ありがとう]
そっと微笑むに、バイバルスは思わず彼女に背を向け、咳払いを1つする。
それが可愛いと思いながら、は再び笑みを彼に送り、
アベル達が姿を消した水路へと足を進めた。
これ以上、彼らと離れるわけにはいかない。
は必死になって、目的の場所へ向かって足を進めた。
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