加速(ヘイスト)”状態で進んだからか、がアベルと合流するまでにはそう時間がかからなかった。

逆に抜かしそうになり、スピードを弱めたぐらいだ。




さん! 離れて大丈夫なのですか?」

「心配無用。もう殲滅したわ」




 予想以上に早さに、アベルは思わず呆気に取られてしまいそうになったが、

それどころじゃないことに気づき、すぐに前方を見つめる。

そう、今は一刻も早くイオンとエステルを助け出さなくてはならないのだ。



 地上に出て、バイバルスの言う通りに“死者の門(メイツト・カプスー)”を潜る。

監視役としてその場にいたのがイェニチェリではなく、

またもやあの自動化猟兵だったことに、は心の中で舌打ちする。




(私達より、彼らを信頼したってこと? 冗談じゃないわ)




「どうするんですか、さん!?」

「こうするに決ってるじゃない!」




 背中に装備していた剣を握り締めると、地面を軽く蹴り、相手へ突進する。

剣先の石が光り、の体を風が包み込む。




「そこにいるあなた達がいけないんだから、後悔しなでね!」




 剣を振り下ろしたのと同時に、“風の槍”が一気に飛び出し、

2体の自動化猟兵の体をしっかりと捉える。

だがすぐに避けられ、各々の斧を取り、へ向かって振り下ろす。

しかし、真っ2つになったのは、攻撃を仕掛けた自分達の方だった。




『……!』




 音にならない唸り声と共に、自動化猟兵の体は見事に2つに分かれ、その場に崩れていく。

もう1体の自動化猟兵が急いでの姿を追うが、

2つの分かれた仲間の体から飛び出した者に腹部を切断され、

上半身が地上にごとっと落ちたために防がれてしまった。




「さ、行くわよ、アベル!」

「あ、ああ、はい!」




 剣を背後にしまうの姿を、アベルが唖然としたように見つめていたが、

名前を呼ばれてすぐに我に返る。

急いでの後を追うように“死者の門(メイツト・カプスー)”を潜り、降りていった。



 まるで洞窟のように岩で囲まれた壁と天井の中を、2人は急いで降りていく。

そしてその先にいる牢を発見するなり、あることに気がついた。



 イオンが短剣を、自分の方へ向けていたのだ。




「メンフィス伯! 一体、何を……!!」

「出血量からして、自己防衛のためにやっているのかもしれない。……こんなことして、

エステルが喜ぶわけがないじゃない!」




 が慌てたように短機関銃を取り出そうとしたが、

それよりも先に、アベルの手には旧式回転拳銃がしっかりと握られていた。




さんはこれを」




 手渡された瓶の中には、血液製剤の錠剤が2粒入っている。

どうやら、中に水を入れて欲しいらしい。




「一緒に入れてくればよかったでしょうに」

「そんな余裕が、これのどこにあるんですか!」

「まあ、それもそうだけど。……水、入れてくれる?」

『任せろ』




 耳元から聞こえる声と同時に、瓶の蓋から水が流れ出し、錠剤を溶かしていく。

そして銃声が鳴り響いた時には、瓶にいっぱいの“生命の水”が出来上がっていた。




「はい、アベル」

「ありがとう、さん。……どうやら間一髪、間に合ったようです」




 牢の様子を伺うと、エステルとイオンは奇妙なものでも見つけたように互いの顔を見つめている。

イオンの胸に吸い込まれたはずの短剣も、その刃は根元から叩き落されている。



そこに、格子戸の向こうから太平楽な越えが届いたのだ。




「ふう、どうやら間に合ったみたいですねぇ」




 アベルの右手に持つ旧式回転拳銃は未だ硝煙を上げており、

左手にはから受け取った“生命の水”が入った瓶が握られていた。

2人がまだ無事だったことには力が抜け、

アベルは迷子達を見つけた天使のように優しく微笑んだ。




「やあ、2人とも、ご無事でしたか? すいませんね。ちょっと途中で道草食って遅れちゃいまして……」

「あ……」




 アベルとの顔を見て、エステルは歓喜の叫びを放つのを自制出来なかった。

自分達を助けに来る者など、もう現れないと思っていたのだから当然である。




「ナイトロード神父……、神父さま! さんも!!」

「遅れてごめんなさい、エステル。メンフィス伯も。アベル、彼に“生命の水”を」

「はい」




 アベルが左手に持っている瓶をエステルに渡すと、それをすぐにイオンの口に含ませる。

傷は完治しないが、体内に血液が回り、先ほどまでの青ざめた表情が徐々に赤くなっていく。




「さて、牢の鍵を開けましょうか」




 アベルは眼鏡を外し、得意そうな顔でニヤリと笑う。

理由がわからず、は彼の眼鏡を覗きこむと、

耳を引っ掛ける部分の先が尖っていた。




「レンズは違いますが、フレームは“教授”に作ってもらいました。いやー、

こういう形で役に立つとは、思ってもいませんでした〜」

「……まさか、それで開けるつもり?」

「そうですよ。何か、ご不満でも?」

「不満って言うか、何と言うか……、そんなことしなくても『彼』に頼めば、

鍵ぐらい作ってくれるわよ」

「あ! そうでした!! ああ、でも、今回は私にやらせて下さい。さん、

ここまで来るまで大変だったでしょうし」

「そう? じゃ、お任せしようかしら」




 満弁の笑みで言うアベルに、は少し不安を感じながらも、

ここはアベルに託すことにした。

昔もこうやって、よく鍵をこじ開けていたことがあったから、そう心配することでもないのだが。




さん、その格好は?」

「ああ、これね。実は私、モルドヴァ公の養女に扮してここに滞在していた身でね。

禁軍兵団副団長を務めていたのよ」

「祖母君ノ!? 余にはそんなこと、一言モ……」

「秘密事項だったから、きっとお孫君であるメンフィス伯にも内密にしていたのかもしれませんわね」




 それとは別に、ある種楽しんでいたこの出来事を1人占めにしたかったのであろうというのもあったが、

イオンに言ってしまったら、あとから何を言われるか分からなかったため、

ここではあえて伏せておいた。




「と、いうことで、ここに来るまで、禁軍兵団に身を隠して、助けるタイミングを計っていたんです」

「アストさんと作戦を練っている間に、さんからの連絡がありましてね。お蔭でここまで、

何とかやって来たわけです。……おおっ! やった! 開きましたよ!!」




 がちゃりという鍵が開く音がして、アベルは思わず歓喜の声を挙げた。

急いで牢を開けると、中にいる2人を救出する。




「メンフィス伯、あたしにしっかり掴まってください」

「あ、あア。すまない」




 足に負担をかけないように、イオンはエステルの肩に腕を回す。

そして何とか牢から出ると、が懐に持っていた包帯を彼の足に巻きつける。




「しばらくはこれで我慢して下さいませ。事が終わり次第、すぐに治療しますゆえ」

「心配するナ、

「エステルさん、ルクソール男爵はどこにいるのか、ご存知ですか?」

「あ! そう、そのルクソール男爵のことなのですが……」




 エステルが何かを思い出したかのように目を見開き、その横でイオンが唇を噛み締めている。

まるで、怒りを押さえこんでいるようだ。




「実はルクソール男爵は、イシュトヴァーンの時に、私と共に行動していたディートリッヒで……」

「……やっぱり、そうだったの!?」

「はい……って、さん、ご存知だったのですか!?」

「死んだはずのルクソール男爵の体を借りて、こんな馬鹿げたことをやる人物なんて、

彼ぐらいしか浮かんでこなかったわ」




 “大円蓋の間(クーベ・アルトウ)”で執り行われたディワーンの時から、はラドゥが本物でなく、

誰かに操られていることをすぐに察知した。

そのような小作な真似が出来る人物も1人しかいないことも、

そして今回の事態を引き起こした張本人もすべて、その時点でほぼ全て予測していたのだ。




「それで、ルクソール男爵……、いえ、ディートリッヒさんはどちらへ行かれたのですか?」

「それが、あたしにもよく分からなくて……。何でも、ディグリス公や他の帝国貴族達に気づかれる

前に終わらせなきゃいけないことがあるとか言って、ここを出ていってしまって……」

「帝国貴族達に気づかれる前に終わらせなきゃいけないこと?」




 エステルの言うことを、が反復する。

 横に立っているアベルの顔を見つめると、
一気に血の気が引いたように顔を青くした。




「……大変ですよ、さん?」

「え?」

「お気づきになりませんか? ディートリッヒさんが、他に気づかれないうちにやらなければいけないこと。

つまり騎士団が、この帝国で一番欲しがっているもののことを」

「帝国で一番欲しがっているもの……、…………まさか!」




 騎士団が一番欲しがっているもの。

それはただ1つしかなく、絶対に奪われてはいけないものだった。

そしてそれがある場所は、あそこしかない。




「アベル、急いで行って止めないと!」

「そこには私が行きます。さんはエステルさんとメンフィス伯を連れて、アストさんと合流して下さい」

「あなた1人で行くのは危険過ぎるわ! それに私なら、止められるかもしれない」

「いいえ、あなたは2人の側にいて下さい」

「でも!」




 なおも反抗するだったが、アベルの目を見た瞬間、それをやめてしまった。



 尖った針のように鋭く、の胸を撃ち抜いていく。

まるで、自分の罪を彼女に擦り付けたくないかのような隙間みたいなものを感じた。




「……お願いします、さん」




 目とは違い、優しく、温かな声が、の体を突きつけた針を拭うかのように包み込む。




「ここは私が何とかします。ですからあなたは、お2人をお願いします」




 本当なら、抱きしめたい衝動に駆られているのかもしれない。

その証拠に掌が強く握られ、出血を起こしてしまいそうなぐらいに爪が食い込んでいる。




「…………本当、相変わらず不器用なんだから」




 そんなアベルを、は少し呆れたように、しかし何かを理解したのか、そっと彼に微笑んだ。




「分かったわ、アベル。けど、こっちの用が済んだら、すぐに駆けつける。

それまでに片付いてなかったら許さないわよ」

「ありがとう、さん」

「礼は事が終わってからにしなさい」

「……そうですね」




 安堵の表情を見せたアベルに、はそっと微笑む。

それを受け止めたのか、アベルはそっとへ笑顔を送り、

すぐにその場を離れていった。



 そんな2人のやり取りを、エステルはじっと見つめていた。

2人の間にある「絆」が、少し垣間見れたからだ。




「さ、エステル、メンフィス伯。私達はすぐに“大円蓋の間(クーベ・アルトウ)”へ急ぎましょう」

「あ、は、はい! 閣下、どうか私に掴まってて下さい」

「あア、すまなイ、エステル」

「それじゃ、エステルは私に掴まりなさい」

「え?」




 エステルが疑問の声をあげた時には、は2人を抱え、地面を蹴った後だった。

長生種の“加速(ヘイスト)”さながらの速さで、どんどん前へ進んでいく。




さん! まさかこの『力』があったから、昔長生種としてここにいられたんですか!?」

「一部の貴族達は、私が短生種だって知っていたわ。けど、長生種並みの身体能力を持っていたから、

モルドヴァ公の養女に化けても気づかれなかったの」




 エステルの問いに答えているうちに、3人は星皇宮の前に到着していた。

死者の門(メイツト・カプスー)”から、数分しか立っていないはずで、

これは長生種の“加速(ヘイスト)”よりも早い速度で移動したことになる。




[お待ちしておりました、副団長]




 と同じ赤の甲冑に身を包んだイェニチェリの1人が、の存在を発見して声をかける。




[中の様子は?]

[先ほど、キエフ候がお見えになり、すぐ中へ入って行かれました]

[よし。貴方達はここの警備を続行しなさい]

[了解しました]




 敬礼をしたイェニチェリがその場から離れると、

は呆然とこの光景を眺めていたエステルとイオンを連れて、

大円蓋の間(クーベ・アルトウ)”へ入っていった。



 中の会話が少しずつ漏れ、は“加速(ヘイスト)”を止め、2人を地面に降ろした。

そしてゆっくり足を忍ばせていき、顔を出すタイミングを計り始めた。



 ゆっくりと中の様子を伺うと、

アストがメンフィス伯とその連れの短生種――アベルとエステル、

そしての3人をここに召還するように要求していた。

しかし、そのうちの2人――イオンとエステルの死体が牢内で見つかったという報告があったと、

ディグリス公スレイマンが告げているのだ。




「メンフィス伯、そろそろ表へ出る時です。私はここでもう少し様子を見てから表に出ますので、

どうぞ先にお進み下さいませ」

「分かっタ。……エステル」

「はい!」




 エステルがイオンの体を支えるかのように腕を肩に立てると、ゆっくりと前進し始めた。

その後姿を、が見守るように見つめている。




[彼らは牢内で互いに殺し合ったのだ。理由は知らぬが、そう聞いている。何なら遺体を検視されてもよろしいが?]

[面白い……。検視したいと言うなら、とくと検視してもらおうか]




 やや弱々しいが、どこか自身に満ちたイオンの声に反応するかのように、

当事者である2人を含めた全ての諸侯が一斉に顧み、扉の側に現れた2つの影を見つめた。

どの目も、まるで信じられないかのごとく、驚きの表情を隠せないでいた。






「我はこの通り無事じゃ、スレイマン!」











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