「今度の貴様の企て、余は全て知っておる! 我が祖母を謀殺し、陛下を弑殺奉ったその罪はもはや明らか! 

卿も帝国貴族であれば、潔く観念されて縄を受けるがよい!」




 イオンの顔は血に汚れていたが、その英気は老虎に挑む若獅子のようだ。




[メンフィス伯!? なぜ、あの者が生きて……。ラドゥ、あの無能者が!]




(やっぱり、ディートリッヒの作戦だったわけね)




 小さな舌打ちと共に、予想外の展開に困惑するスレイマンを、が影で監察している。

そんな彼女の耳に、黒十字のピアスの奥にいる者が「声」をかける。




『セス・ナイトロードが、じきにここに現れる予定だ』

「ようやく表に出るのね。遅すぎるわ」




 呆れたようにため息をついている最中、目の前ではイオンとエステルに向けて、

若い諸侯の幾人が立ち上がり、各々の帯剣の柄に手をかけた。

それを見たアストが、すぐに2人の前に踊り出る。



 ここは、自分が表に出るべきであろうか。

は悩んだ末、ゆっくりと壁から離れた。

そしてそのまま、表へ姿を現そうとした時――。




<……やめよ、スレイマン>




 沸騰する闘気に冷水を浴びせるように聞こえたのは、

どこか懐かしく、そしてここにいる者全てが一番聞きたかった声である。




<見苦しい真似はやめるがよい。……そなたのそのような姿、余はこれ以上見るに忍びぬ>




 もう2度と聞くことなどないと思っていた。

しかしここに響き渡る声は、聞き覚えのある、あの声に違いない。



 ゆっくりと巻き上がり始めた緑の紗幕の先にいた者。

その者の存在に、その場にいた者達が驚愕に表情と声帯を硬直させる。

だが1人、その人物を凝視するかのように見つめていた。



 そしてようやく、その目の前に現れた人物の名を呟いたのだった。






皇帝陛下(アウグスタ・ヴラディカ)…………!]









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(ようやくお出ましか……)




 登場した人物を見つめながら、は大きく1つため息をついた。

それとは逆に、スレイマンの顔は青ざめていた。

だが強靭な精神力で同様を克服してしまい、返答の声も落ちついて危なげない。



 自分が皇帝を爆殺したなどというたわごとを信じているかとスレイマンに問われ、

皇帝は首を傾げ、言葉を続ける。

そして皇帝はその場に自分がいなかったと説明した上で、

自分の影に扮したミルカを招き入れた。



 ミルカがヴェールと黒髪の鬘を脱いだ途端、

周りからは死者の復活でも目撃したかのように目が見開き、驚愕と驚倒の呻きをあげた。

そして肉親であるイオンも、音がしそうなぐらいに顎を落とした。




[お、祖母君!? な、何で? 何で祖母君が……?]

[久しぶりじゃな、イオンや。……おお、幾分か痩せたかの?]




 一方、そんなイオンなど特に気にしないかのように、

ミルカは4ヶ月ぶりに再会した孫に軽く笑みをかける。

今まで孫に内緒にしていたことをばらしているというのに、

この明るさは一体何なのだろうか。




<それと、もう1人諸君に紹介したい者がいる。……そこにおるのであろう、よ>

 突然名前を呼ばれ、は一瞬動きが止まったもの、

この状況で影でこそこそしているのも可笑しいと思ったのか、すぐに表へ姿を現した。

皇帝に変装したミルカと共に爆殺されたと思われていた人物が現れたため、

再び場内にざわめきが起こる。




[アルフ子爵! 貴方も生きていたのか!]

[信じられん。あの炎の中、どうやって……]

には特殊な能力がある。その力さえあれば、炎の中であろうと楽に救出出来る>

[……とまあ、そういうわけです]




 説明しなくてもいいようなことまで説明され、は少し不機嫌になった。

出来ることなら、この力のことについては、あまり振れて欲しくなかったからだ。



 イオンの帰国と同時に、影で何かが動き出すことはすでに分かっていたと皇帝は言う。

そのために、ミルカに自分の影武者になってもらい、都邸には自動人形だけ置いたのだ。

大体のことは予想通りだったが、問題はその情報をどうやって手に入れたのか、という疑問が横切る。

それとも、予め予想をしていたのか。




[……あなたも、今回の作戦の一員だったのですか、アルフ子爵?]

[私は途中参戦ですわ、スレイマン卿。それに私自身も、今回の作戦の趣旨は、今初めて知りました]

は一目散に、モルドヴァ公邸爆破に対して疑問を持っていた。そして独自の捜索の末、

モルドヴァ公が爆殺されてないことをつきとめ、ディワーンの日に乗り込んだ。……そうだな?>

[……おっしゃる通りでございます、陛下]




 まるで全てお見通しだったかのように言う相手に、は再び不機嫌になりながらも、

ここで彼女に逆らうわけにもいかず、彼女は軽く頭を下げるだけしか出来なかった。




[その後の調べで、スレイマン卿がモルドヴァ公廟邸にて何かの細工をしているのを目撃し、

そこから守るために、陛下に扮装した我が母――モルドヴァ公に再び接触し、同行の許可を獲ました。

……あとは皆がご覧になった通りです]

[お言葉ですが、陛下――]




 の説明を聞き終えた上で、スレイマンは落ち着き払って答える。

死者の復活の衝撃からいち早く立ち直ったかのように見えるが、語尾はかすかにかすれていた。




[私はさきほどの問いにお答えをたたまわっておりませぬ――私が陛下を爆殺したなどという

メンフィス伯らの誣告を、どうして一方的にお採りあげになられるのでしょうや? アルフ子爵が、

私を廟邸で発見したからですか?]

<……余は、そなたが余を爆殺しようとしたとは一言も言っておらぬ>




 細い指がヴェールにかかり、ゆっくりと捲りあげる。




[だが、確かにそなたは、“愛児達の島”で余を殺そうとしたのだ、スレイマン。

……この顔に見覚えはなきか?]

「セ、セ、セスちゃん!?」

[馬鹿な、何故、あの娘が!?]




 ヴェールが完全に上がりきった時、

今まで言葉が分からない状況を見守っていたエステルと彼女に支えられていたイオンが口走って目を剥く。

それとは逆に、の目は鋭く、まるで針のように尖っていた。




[ば、馬鹿な! お前はあの時の――]

[“ソロモンの指輪”を向けられた時は、さすがに余もひやひやしたぞ、スレイマン]




 激しく震えるスレイマンの声に、ヴラディカ=セスの表情はそれとは逆に、冷静さを保っている。




[だが、今やそなたの企て、明らかと知るがよい。……まだ、何ぞ言いたきことはあるか? あるなら聞こう]

[……ございます。さきほど、陛下はこうおおせられた。――“卿には特に期待していたのだが”と]

[確かに。ゆえにこのようになったのは、余としても残念でならぬ]

[……残念? 残念だと? はッ! しらじらしい嘘言をおっしゃるな、偉大なる我らが母よ]




 ようやく本音を話すことが出来ることを喜ぶかのようなスレイマンの声が場内に響き渡る。




[貴女は何者にも期待されないお方だ。――貴族の誰1人として、貴女に信頼されている者などおりませなんだ!]




 「何者にも期待されないお方」。

この言葉を、は以前もどこかで聞いた覚えがあった。そ

れは遠い昔、彼女が最も愛した人物が述べた言葉だった。






『あなたは誰にも期待されてなくて、誰も期待していない。それなのに、

どうしてこんなことをして、同じ人間達を苦しめるのよ!』






[[[いかん!]]]




 の思考を戻したのは、スレイマンの右手が持ちあがったのに反応した列席者の声だった。

だが、“ソロモンの指輪”が圧搾空気を打ち出した刹那に攻撃を加えられたのは、

すでに“槍”を構えていたアストだけだった。




「彼女の前に、“サフィストファー”を!」

『その心配はない』




 黒十字のピアス越しに叫んだ声はすぐに拒否される。

それと同時に、スレイマンの唇から大量な血泡が毀れ、

弓なりにのけぞった体は玉座を見上げるように倒れ付した。



一方、セスに向けて打たれた“指輪”は射出方向は若干ずれており、

背後の玉座に深々とした爪痕を刻んだだけだった。

このことを言いたかったのかと納得しつつ、

どうしてこんなに安心している自分がいるのか不思議でならなかった。



 「敵」である彼女の無事に安堵するなど、絶対にあってはいけないことなのに。




[……なぜ、余を殺さなかった、ディグリス公?]

[……親を愛さぬ子がおりましょうや、我らが偉大なる母よ?]




 赤子を抱く母のようや柔らかさで抱き上げるセスの姿は、どうの目に映ったのだろうか。

羨ましく感じたのか、それとも、懐かしさを感じただろうか。



 スレイマンの言葉を1つ1つ聞きながら、の意識は再び昔へと飛んでいく。

すべての戦いが一段楽し、それからのは、母のような眼差しをするこの少女とは違う道を進み始めた。

もう会うこともないと思っていたし、会いたくもなかった。

だがこうして再会し、同じ場所に立っている。

事実を知っている者同士として、ここにいるのだ。




[陛下……、最後にお聞かせ下さいませ……]

[何なりと申してみよ]

[あなたは何者なのです? いや、我々は――]




 だが質問はここで止まってしまい、ゆっくりと瞼を落としていった。

そんなスレイマンに向けて、セスはどこか悲しげに答えを口ずさむ。




[それを答えられれば、余とて楽であるのだがな……]




 それだけ呟き、セスは彼をそっとその場に寝かせ、血を拭おうともせずの立ちあがった。

そしてそこに浮かんできたのは、悪戯っぽい笑顔だった。




[……さて、諸卿、ご苦労であった。特にメンフィス伯ならびにキエフ候、そなたらの働きについては高く評価するぞ]

[…………]

[卿にも感謝する、ギアス子爵。卿は再び軍に戻り、モルドヴァ公とハルツーム男爵と共にここまで力を貸してくれた。

礼を言うぞ]

[恐縮です、陛下]




 にっこり微笑まれたイオンは引きつった顔のまま凍りついてしまっている。

その横で、は再び軽く頭を下げ、エステルがおずおずと口を開いた。




「セ、セスちゃん、その……、あ、いえ、陛下、その……」

「キミは“セス”でいいよ、エステル。アウグスタ・ヴラディカってのは公邸としてのボクの名前であって、

キミはボクの臣下じゃないからね。友達だ。そして友達はボクを“セス”と呼ぶ。……あ、それはもだよ。

キミもボクの友達だ」

「……それ、本気で言っているのかしら?」

「ボクは事実しか言わないけど?」




 疑いの目を向けながらも、彼女の顔は嘘をついていないようで、に向けて笑顔を見せている。

ここで問い詰めては、エステルが困惑してしまうため、

今回はとりあえず押さえておくことにした。




「じゃ、じゃあ、セスちゃん。……本当の本当に、あなたが帝国の皇帝なの?」

「一応、答えはイエスかな。少なくとも、ボクの数多い肩書きの1つではあるからね」

「肩書きの1つ?」

「うん。ま、いろいろあるってこと」




 皇帝であることが、彼女の肩書きの1つだとしたら、他に何があるのだろうか。

あまりにも自由奔放過ぎると思ってしまうのは自分だけだろうかと、

は心の中で自問してしまう。




「ところでエステル。今度はこっちから1つ質問していいかな? ええっと、キミとと一緒に

来ていたもう1人の使者がいたはずだよね? 彼は?」

「それって、ナイトロード神父さまのことですか?」




 どうやら、アベルが一緒にいることを知っているようで、セスはエステルの彼の居所を聞いた。

ルクソール男爵が教皇庁で追っているディートリッヒ・フォン・ローエングリューンだということを伝えた刹那、

セスの顔から微笑が消え、すそを翻していずこかへ駆け出した。

どうやら、ディートリッヒの存在――“騎士団”のことを知っているようだ。




「陛下! 一体、いずこに――」

「少し行くところがある! ミルカ、キミはここに残って、事後の処理にあたれ!」




 ミルカの問いに、セスが強い緊張を孕んだ声で指示を送る。

そしてアストの“槍”がまだ使えるかどうかを確認し、一緒にエステルの同行するように命じた。




、キミも一緒に来て欲しい。もしかしたら、キミの力が必要になるかもしれない」

「言われなくてもそうするつもりよ」




 もともと、事が済んだらすぐにアベルに合流しようと思っていたため、

はあっさりとセスの指示に従った。




「よし。……あとの者はここを動かぬように」

[へ、陛下! 私も!]

[そなたは駄目だ、メンフィス伯。……その足では動けまい]




 同行を求めたイオンに対し、セスは彼を見まわし、すぐに拒否した。

だが、それは懸命な判断である。




「……で陛下、どちらへ行かれるのです?」

「ラドゥ――いや、ラドゥの体を操っている奴を追う」




 アストの質問に、セスは短く答え、そして先を急ぎ出す。




「追って、必要なら劇はする。“騎士団”の男が、アイツ(・・・)の手先がここ(サライ)に入りこんでいるとすれば……、

行くところはあそこ(・・・)しかない!」

アイツ(・・・)?」




 走りながらも、セスの言葉には疑問に思ったが、それはすぐに解消された。

それはが、2年前に感じたものに似ていた。




「まさか……、会ったことがあるの!?」

「詳しいことはあとで。とにかく今は、アベルのところへ行こう」






 小声で言うセスの言葉に、は1つだけ頷き、

 目的地へ向かって足を進めたのだった。










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