[もう同じことを繰り返すのは止めて下さいませ、ミルカ様]
トランクに荷物を詰めているのもとにやって来たミルカの表情は、
まるで何かを楽しんでいるかのように笑みを浮かべている。
[そんなこと言わず、ゆっくり義母と共にここで暮らそうぞ、我が愛義娘よ]
[だからその言い方は止めて下さい!!]
ここに来て、何度このやり取りを繰り返しているのか分からないが、
もうすっかり定着してしまっていると思うのはだけであろうか。
いや、この場にバイバルスがいたら、きっと同じことを言うに違いない。
[貴方には、メンフィス伯という孫君がいらっしゃるじゃないですか]
[そうじゃが、それだけだといささかつまらなくてのう]
[つまらないから、私に残れとおっしゃるんですか、あなたって人はー!!]
淋しそうな表情をしながら、それに似つかわしくない発言に、
は突っ込まずにはいられなかった。
どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか分からなくなりそうだ。
[そうか。そんなに妾のことが嫌いだったとは、思ってもおらぬかった]
[誰も嫌いだなんて……]
[いつだったか、そなたは妾のために紅茶を淹れてくれたことがあった。あの紅茶は絶品だったから、
今回も楽しみにしておったのに、用が済むとすぐに帰ってしまう。そんなにここが嫌いかえ?]
ここまで言われると、返す言葉をなくなってしまう。
は大きくため息をつき、一度トランクを閉めると、
ミルカの前へそっと歩み寄った。
[……私はこれが、永遠の別れだなんて、思ってなどいませんわ]
優しく、そして慰めるかのように、
は自分よりも小さな、少女のようなミルカに言う。
[この通り私は、長生種に間違えられても可笑しくない体質ですから、戻って来ようと思えば戻って来れます。
それに……、……遠くに離れても、あなたにとって私は『愛義娘』でしょう]
はっとしたように見上げるミルカの顔は、彼女にしては珍しく、少し驚いたようにも見えた。
だがすぐに、満足したように微笑む。
[……そうじゃな。遠くに行っても、そなたは妾の大事な『愛義娘』には変わりない]
小さな手が、の手をそっと包み込む。それはまるで、本当の母のように、優しかった。
[妾に会いたくなったら、いつでも戻って来るのじゃぞ。イオンもキエフ候も、
バイバルス卿も、そして妾も、皆そなたの帰りを待っておるぞ]
[有難きお言葉、感謝します、ミルカ様]
「天使」のような笑みを浮かべたに、ミルカも負けないぐらいの笑みを浮かべ、
ゆっくりとの手を離して、扉の奥へと消えていった。
その扉をしばらく眺めていると、耳元から声が聞こえてくる。
『やれやれ、ステイジアが聞いたら妬くぞ』
「ステイジアと彼女は別よ」
『分かっておるがな』
再びベッドの上に置かれているトランクを開くと、クローゼットにしまった衣類を中に詰め始める。
自分用に用意した持ち運び式コンロやポット、そしてマグカップなどを手際よくしまっていく。
『ああ、そうだ。先ほどユーバーベルリンから通信が入った』
「ユーバーベルリン? ……ああ、もうそんな時期なのね」
11月になると、は決ってヴィエナを訪れている。
これには1つ大きな理由があってのことで、去年はしっかりと覚えていたのに、
今年は事が事だっただけに、連絡をとるのをすっかり忘れてしまっていた。
『出来るだけ早いうちに日程を決めて欲しいとのことだが、どうする?』
「報告をアベルとエステルに任せて直行するっていう手もあるけど、許してくれると思う?」
『これだけ働き通したのだ。休暇の1つや2つぐらいくれるであろう』
一通り荷物を詰め終え、トランクの蓋をしっかりと閉める。
そして窓際に腰掛け、外の風景を見つめた。
今日で最後だと思うと、少し淋しさも感じたが、
また来れると信じているため辛くはなかった。
ただ――。
「……至急で悪いんだけど、1つお願いしてもらってもいいかしら?」
『難しいことなら引きうけないぞ』
「たぶん、あなたなら簡単なことよ」
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