エステルが応接間に向かうと、の手に荷物がないことに気がついた。




「別ルートで帰る?」

「そう。ちょっと別件の用があって、そっちに寄らないといけなくなったの。申し訳ないんだけど、

アベルと先にローマへ戻ってくれないかしら?」

「それは構いませんが……、まさか任務ですか?」

「そんな、こんなに立て続けに任務に出ていたら、体が壊れるわ」




 黒の服に身を包んではいたが、それは士民服のような複雑な装飾品が一切なく、実にシンプルなものだ。

一体、どこへ出掛けると言うのであろうか。




「も、もう行くのカ、エステる? まだ少し時間があル。もう少しゆっくりしていけばよいではないカ」

「でも、ナイトロード神父が船で待ってらっしゃいますから。……少し早めに行こうと思って」




 1周間ゆっくり休養したからか、肩の怪我を残して、エステルはすっかりと回復していた。

怪我ものお蔭で、痛みはとうになくなっていた。




「長い間、ありがとうございました、閣下」

「う、うン……」




 ちょっとした他人行儀な謝辞に、イオンは不器用に頷く。

その様子を、は少しだけ微笑ましく感じた。

が、なかなか本心を言わないイオンがもどかしい。




「……じゃあ、あたし行きますね。お元気で、閣下。さん、ローマで」

「あ、あア……」

「アベルのこと、よろしくね」




 少しだけ寂しそうに笑い、エステルは反転をして、怪我をした右肩をやや上げて歩き始めた。

極力、負担がかからないようにしているのであろう。



 その背に伸ばしかけた手を、イオンは止めてしまった。

それを見たが、小さくため息をついて、彼の方に手を置く。




[何ボーっとしてらっしゃるんですか、メンフィス伯?]

[え?]

[『え?』じゃありません。ほら、早く!]

の言う通りじゃ。――言いたいことがあるなら、言っておいた方がよいぞ、メンフィス伯]




 片方の肩に手を置いたアストが、の助太刀するかのように続く。




[彼女はあまりに早く老いる。老いて死ぬ。――再び会える保証はどこにもない]

[ですが、しかし……]




 何と声をかければいいのか分からないといった表情のイオンに、とアストは顔を見あわせる。

まるで、自分達の弟を慰めているような錯覚に襲われるのは気のせいであろうか。




[思っていることを言えばよいのだ、伯爵。そなたが伝えたいことを言えばよい。――それだけだ]

[エステルも、メンフィス伯の言葉が一番聞きたいんじゃないかと思います。だから、今伝えたいことを、

ちゃんと伝えて来て下さいませ]

[…………]




 2人の言葉に、イオンの顔がはっと上がる。

何かが吹っ切れたかのように頷き、そのまま部屋を飛び出していく。




「エステる!」




 扉を開けて外に出ようとしたエステルの足を何とか止めることが出来たようで、

応接間に残ったとアスト、

そして見守っていたミルカとバイバルスが安心したかのように微笑んだ。




[全く、世話の焼ける子じゃ。素直に行けばよいだけのことなのに]

[それが出来ないのも、またメンフィス伯らしいところじゃないですか]

[それは一理あるな]

[しかし、この数日でかなりお強くなられましたな]




 感想でも述べるかのように言葉を発すると、アストが何かを思い出したかのようにを見つめた。

そんなアストに、は思わず首を傾げてしまう。




[? どうしたの、アスト?]

[そなた、神父の見送りはしなくてもよいのか?]

[昨日、遅くまで話したから大丈夫よ。それに、私もそろそろ出発しなきゃいけないし]

[列車は確か、+6時だったな。どこに寄っていくのだ?]

[ヴィエナという、ゲルマニクス王国の南部にある都市よ。ここで、ある人と待ち合わせしてるの]




 帝国貴族として身を置いていたため、列車に乗車するのに何の問題もなかった。

先日発行したチケットと仮の身分証明書を提示すれば、すぐに通過出来るだろう。



 応接間を出ると、廊下を歩き、玄関に置いてあるこげ茶のトランクをしっかりと持ち上げる。

そこまで迎えに来た3人が見送るように、彼女の背後へ姿を現す。




[それじゃ、また]

[ああ。元気でいるのだぞ、我が友(トヴァラシュ)よ]

[ミルカ様のことは、小官に任せるがよい]

[帰ってきたくなったら、いつでも帰ってくるのだぞ、我が愛義娘よ]

[はい]






 3人の笑顔を見つめながら、少し引かれる想いではあったが、

 は自慢の笑顔を彼らに向けて、扉の奥へと消えていった。











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