「……エステル誘拐された!?」
夜、レオンと飲み歩いて、
宿泊地へ戻ったの耳に届けられた情報は、予想外のものであった。
『例の歌劇の前に行われた挨拶の後、吸血鬼だと思われる者に誘拐され、以前失踪中だ』
「跡は追える?」
『プログラム〔セフィリア〕に任せてある。我が主よ、明日の早朝のうちに移動した方がよいのかもしれない』
「そのようね。……全く、何てことに……」
アルコールが入っても、決してそう簡単に酔うことなどないため、
の頭は正常通りにフル回転されている。
情報プログラム「スクラクト」に始発の列車のチケットを予約するように頼み、
紅茶の入ったマグカップを持って、窓際に腰掛けた。
空には満月が浮かび、がいる部屋を照り輝かせる。
まるでの不安を取り除くかのようだ。
『……心配なのね』
どこからともなく聞こえる声に、は驚くことなく、声に答える。
「私にも、よく、分からなくなってるの」
『エステル・ブランシェのこと?』
「ええ。……人間なんて、どうでもいいって思っていたのに、不思議なものね」
『まだ、そんなことを思っていたの?』
「これでも、昔よりもよくなったのよ」
人間なんて、どうでもいい。
昔はそう思っていたが、今は違う。
仲間と呼べる同僚がいて、そして守らなくてはならない人もいる。
そして何より、心の底から大切だと言える人がいる。
それでもまだ、少しだけ人間と言う「生き物」を好きになれない部分があるのは間違いなかった。
「……誘拐した吸血鬼の名前は特定出来てるの?」
『今、スクルーが調査してるわ。……でも、きっと彼女なら無事よ』
「どうして、そう言い切れるの?」
『彼女は心が強いもの。それに、あなただって、そう思っているでしょう?』
「そうだけど……」
紅茶を一口運び、そして小さくため息をつく。そして、再び月を眺める。
エステルはそう簡単にへこたれるような少女ではない。
1年前、イシュトヴァーンで初めて彼女に会ってから、はずっとそう思い続けていた。
その頃から、は何故か、彼女のことが気になっていた。
そしてそれは、先日までいた帝国にて、さらに大きなものへと変わった。
そう、あの星の痣を見てから……。
『あなたが望むなら、「彼」に頼んで、エステル・ブランシェの経歴を探ってもらってもいいのよ。
どうする?』
戦闘プログラムサーバ「ステイジア」の声で、はすぐに我に返る。
そしてしばらく考えて、ゆっくりと口を開いた。
「……今はいいわ。それより、チケットは取れそう?」
『座席がちょうど空いていたため、特に苦戦は必要なかった。それともう1つ』
「何?」
『今回の騒動で、異端審問局が動いた。ブラザー・マタイがイシュトヴァーンへ向かっているという
情報が入った』
「また、嫌な男が来たわね……」
ブラザー・マタイ。
冷静な表情で、残酷な命令を下し、時に相手の心を揺さぶるような発言をするこの男が、
は一番苦手だった。
「で、Axはどう動くのかしら?」
『その測定はまだ出来てはいないが、恐らく、今回の任務は異端審問局に委ねて、Axは身動きが取れない
状態になるであろう』
「となると、エステルの散策はしにくい、ということになるわね……」
異端審問局が介入してきては、派遣執行官の役目など何もない。
アベルが何とかして、調査をするように志願するかもしれないが、
それもきっと聞き入ってはくれないであろう。
そうなると、もしが彼らと合流しても同じ扱いをされ、そう簡単に表に出れなくなってしまう。
こうなっては、エステルを探すことも、助けることも出来ない。
「……ステイジア」
『言われなくても分かってるわよ、。ヴォルファーにすぐ用意させるわ』
「ありがとう」
紅茶を一気に飲み干し、窓際から離れると、は何かを決意したかのように、
髪を縛っていた黒いリボンを外したのだった。
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