翌日、イシュトヴァーン駅に到着したの姿は、僧服でも尼僧服でもなかった。



 黒のセーターの上にカーキーのコートを羽織り、ダークブルーのGパンに黒のロングブーツという格好は、

まるで1年前にここへ訪れた時と同じである。

長い髪を隠すような形で帽子をかぶっているところまでそのままだ。




「久しぶりに来たのはいいけど……、任務で来るのだけは嫌だったわ」

『そうとも言ってられないでしょうに。とにかく、最初の目的地へ向かいましょう。その後、

アベル・ナイトロードと打ち合って、事情を聞き出さなくてはならないのだから』

「分かってるわよ、ステイジア」




 ため息交じりで言うを、戦闘プログラムサーバ「ステイジア」が宥める。

その言葉に再びため息をついたあと、はこげ茶のトランクを持ち直して、足を進めた。



 自身、イシュトヴァーンを訪れたのはこれで3度目。

地形はしっかりと頭に入っているため、目的地まで行くのに迷いはなかった。



 だが到着した場所の外見は、以前のものと違うものだった。




「……『ホテル・ツイラーグ』?」




 掲げられている名前を読みながら、は顔を顰める。

確かここは酒場だったはずなのに、その頃の趣など、これ1つとして残っていなかった。




「本当にここで間違いないわよね」

『間違ってなどいない。証拠に、中に目的の人物がいる』




 情報プログラム「スクラクト」の声を信じて、はゆっくりと扉を開けた。

どこか高級感を感じる玄関ホールを通り抜け、正面に見えるフロントへと足を進めた。



 そしてそこに見えた巨漢な男に、は思わず安堵のため息を漏らした。

相手も人の気配を感じたらしく、手にしていた資料から視線を上げる。




「いらっしゃいませ……、……! じゃないか!!」

「お久しぶりです、イグナーツさん。よかった、場所があってて」




 イグナーツ・ルカーチ。

が初めてこの地を訪れた時から世話になっている人物で、

まだ酒場だったこの場所に宿泊し、酒を酌み交わしたパルチザンの仲間でもある。




「何だ、お前もここに来てたのか」

「私は休暇中です。ナイトロード神父は、今もスフォルツァ猊下の側にいますけどね。

――それより、エステルのことですが」

「ああ、聞いているよ。けど、今朝の報道側からの情報によると、もう捕獲されて、

中央病院で静養中って言っていたぜ。俺も見舞いに行きたいところなんだが、仕事が忙しくてね。

それに、簡単に対面出来そうもないしな」




 この情報はガセであることを、はとっくに知っていた。

ここに来る前に、情報プログラム「スクラクト」から可能な限りの状況を説明してもらっていたからだ。

たぶん、広報聖省長官であるアントニオ・ボルジア枢機卿が手を施したのであろう。




「それでしたら、私が代わりに様子を伺いに行きます。イグナーツさんは、そのまま仕事に専念して下さい」

「そうか、よかった。……ああ、今日は泊まってくんだろ? 生憎、スイートルームには、

アルビオンからお見えのお客様で使われているが、その次のクラスの部屋なら空いてるぞ」

「そんな高くなくてもいいですわよ。普通のシングルルームで十分です」




 右手を左右に振りながら、はスイート・ルームを使っている客がアルビオンの者であることが引っかかっていた。

慰霊式典に参加するような人物はアルビオンにはいない上、

スイートに宿泊するぐらいなのだから、それなりの貴族であることには間違いない。

アルビオン貴族のことなら、事情をよく知る(・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・)が、このことに関して、何も引っかからないわけがなかった。




「……ところで、スイートルームにいる方は、どうやらアルビオンの方だとおっしゃっていましたが」

「お、興味があるのかい? だが残念なことに、相手はとある貴族の執事らしくて、

主人は一緒じゃないんだよ」

「執事だけ? 珍しい話ですわね」

「ああ。執事の名前は、プライバシーのこともあるから伏せておくが……、……まあ、

お前ならそう多くにバラす奴じゃないからいいだろう」




 身内だからなのか、相手がローマの教皇庁の尼僧なのか、

イグナーツは宿泊リストを捲りながら、スイートルームに泊まっている客をに見せた。

本来なら禁じられている行為なだけに、も一瞬戸惑ったが、

情報プログラム「スクラクト」に調べさせる手間が省けたと思い、そのリストを覗きこむ。



 そして、宿泊客の名前を見て、大きく目を見開いたのだった。




「…………アイザック・バトラー…………!!」




 思いがけない名前だった。

一層のこと、忘れ去りたかった名前だった。

脳裏に蘇る記憶を抹消したくなる。




「何だ、、バトラー様を知っているのか?」

「え、ええ、まあ……。……イグナーツさん、すみませんが、ちょっと疲れたので部屋で休みます。

どの部屋を使っていいですか?」

「おっと、すまなかったね。……これ、鍵な。5階の一番眺めのいい部屋だ。自由に使っていいぜ」

「ありがとうございます。――あ、バトラーさんには、私がいることは内緒にしておいて下さい。

単なる一般人ですし、お名前だけ知っているだけなので」

「分かってるって。心配するな。そんじゃ、ごゆっくり」




 ベルボーイらしき男が部屋に案内しようとしたが、自分で行くから平気だと断り、

は昇降機へ乗り、5階へ向かった。



 と、いうのは見せかけで、本当はスイートがあると思われる6階へ向かっていた。




「ヴォルファー、トランクを部屋に転送しておいて」

『了解、我が主よ』

『やっぱり、そうするのね、

「しないわけないでしょう!」




 転送プログラム「ヴォルファイ」によって、手にしてたこげ茶のトランクが姿を消すと、

懐に隠してあった短機関銃を取り出し、天辺にあるレバーを一番奥へ押した。

上昇する中、ゆっくりと心を落ち着かせるかのように目を閉じる。

そして扉が開いた瞬間――は地面を軽く蹴るように、素早く目的地へ向かって走り始めた。



 幸運だったのは、廊下にホテル従業員や他の客がいなかったことだ。

そのお蔭で、何も躊躇うことなく、スイートルームへ移動することが出来た。



 どこか、他の客室とは違う趣のドアの前に立つと、は空いている左手でゆっくりとノブに触れる。

ピアスの奥から声がしたのは、その直後だった。




『扉を解除します、我が主よ』

「よろしく、フェリー」




 扉は鍵がなくては開くことは出来ない。

しかし、防御・修正プログラム「フェリス」にとって、そんなことはあまり関係ないようだ。

数分して、鍵がカチャリと開く音がする。



 それと同時に、は扉を勢いよく開け、銃口を前に出したのだった。

しかし、部屋の中は者家の殻のように、何もなかった。




「……タイミングが悪かったわね……」




 短機関銃を下ろして、は静かに部屋の扉を閉めた。

物1つない部屋は実に殺風景で、部屋にもとから備え付けてある装飾品以外は何もなかった。

本当に相手は、ここに滞在していたのであろうか。




「……スクルー」

『調べてもいいが、結果は以前と同じであることに変わりない』

「分かってるけど、それでも調べて欲しいの。……私にとって、あの男は心残りなのだから」

『了解した』




 一通り部屋を見渡してから、は諦めたように短機関銃をしまい、部屋を出た。

扉が閉まると同時に鍵をかけたのは、恐らくプログラム「フェリス」の力であろう。



 昇降機の前まで来ると、は指を鳴らす。

掌に1つの小さな光は人のように見えるが、背中に小さな羽が2つついていた。




「セフィー、彼の監視はあなたに任せるわ。何かあったら、すぐに連絡して」

『了解しました、我が主よ』




 光はに一礼するかのように動き、再び消えてしまった。

持ち場に移動したのであろう。




「ザグリーは、イシュトヴァーン市内の電話回線でも無線でも何でもいいから、全部の回線に目を配らせて。

そしてエステルの件も含めて、ほんの些細なことでもいいから私に伝えて」

『了解したぜ、我が主よ』




 昇降機の到着を知らせるかのように、鐘が小さく鳴り響く。

扉が開いて、中へ乗り込むと、扉が閉まるなり、は壁を思いきり叩きつけた。



 その目はまるで、何かを鋭く睨みつけているようであった。






「今回こそ、絶対に逃がさないわよ、アイザック・バトラー……!!」











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