マタイには、夜も遅いし、宿泊客が戻らないとホテルマンが騒いではいけないという、
意味不明な言葉を言って、装甲車を出てきた。
マタイは疑問な声をあげながらも、自分達のもとで彼女のプログラムが監視をし続けると聞いて安心したのか、
それとも何かを企んでいるのか、笑みを溢してそれを許可した。
ホテル・ツイラーグへ戻ると、はイグナーツに挨拶をして、すぐに部屋へ戻った。
トランクの中にある電脳情報機を起動させると、
1つ上の階にあるスイートルームの画像を表示させようとした。
しかし――。
『反応ゼロ。何かがプログラム「セフィリア」の介入を邪魔している』
「プログラム拒否をしているってこと?」
『いかにも』
画像・補助プログラム「セフィリア」が潜入出来る境域にも限界がある。
だが、現段階での「彼女」なら、何の抵抗もなく潜り込めるはずだ。
「何かいい手はないの?」
『プログラム「セフィリア」以外の手段はない。我でも、相手の居場所をつきとめることしか出来ない』
情報プログラム「スクラクト」の言うことを証明するかのように、
電脳情報機にホテルの設計図が映し出され、6階にあるフロアが点滅している。
そこに、エステルとシェラザード、そしてアイザック・バトラーが滞在しているのだ。
「……仕方ない。私が行くわ」
『危険だ、我が主よ』
「そうするしかないでしょう。何かが起こってからじゃ遅いのよ」
『エステル・ブランシェとバビロン伯シェラザード・アル・ラフマンの身に危害が加わることはないわ』
後方から聞こえる声に、はすぐに反応する。
光に包まれた女性――戦闘プログラムサーバ「ステイジア」の目が鋭く輝いている。
『2人に何かを仕掛けても、彼にメリットなんて何もない。だから彼は、すぐに2人を自由にするわ。
それより――』
視線の先が、電脳情報機に移ると、
設計図を映し出された画面が自動的に閉じられ、新たな画面が映し出される。
それは、イシュトヴァーン市内の地図だった。所々に点のようなものがあり、
色つけられている。
『それより今は、市警軍と異端審問局の動きの方が心配だわ。市警軍はエステル・ブランシェとバビロン伯
シェラザード・アル・ラフマンを倒すタイミングを伺っている。そしてさらにそれを、異端審問局が
監察している。その逆になったとしたら、エステル・ブランシェの身は助かっても、バビロン伯
シェラザード・アル・ラフマンの命は保証されない。だから今は、その双方の様子を見るのが先よ』
エステルがシェラザードと共にダヌンツィオを襲ったことを機に、
彼は市警軍に対して、2人を捕らえるか、最悪な場合、殺害するように命令していると思われる。
そして異端審問局は、そんなダヌンツィオがこれから起こすであろう「事態」を伺っている。
市警軍がエステル達を見つけてしまえば、事は異端審問局の思惑通りに進むが、
その異端審問局が2人を発見した場合、エステルは助かる可能性があっても、
シェラザードは確実に消去されてしまう。
そうならないためにも、は双方の状況を把握していなければいけないのだ。
「……ステイジアが言いたいことは分かっているわ。けど……」
『確かにアイザック・バトラーは、長年に渡って探していた人物で、少しでも手がかりを作りたいのいうのは分かる。
ただ、今はその時じゃないってことよ』
言いたいことは分かっている。
現に、そうした方が、今後のためにもいいことは理解している。
だがそれでも、は納得してなかった。
「…………ごめんなさい、『母さん』」
ポツリと呟くなり、は右耳のピアスの先を引っ張り、コードの先を電脳情報機に設置した。
「それでも私は、アイツのことを知りたい。ヴォルファー」
『僕は構わないけど、ステイジアが困るよ』
『もうとっくに困っているわ、ヴォルファー』
ため息交じりで答えるプログラムサーバ「ステイジア」だが、
その表情はどこか諦めたように見え、は思わず苦笑してしまう。
『分かったわ、。でも、危険と思ったら、すぐに戻って来るのよ』
「ありがとう、ステイジア。……頼んだわよ、ヴォルファー」
『了解、我が主よ』
転送プログラム「ヴォルファイ」の言葉を聞いて、はゆっくりと瞳を閉じる。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして瞼を開いた先に見えたのは、光がなくなったある1室だった。
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窓から月が照らし、部屋を光り輝かせている。
光の先に見えるのは、1つの大きなダイニングテーブルだった。
どうやら、ここはゲストルームと兼用になっているダイニングスペースらしい。
軽く地面を蹴り、扉まで向かう。
ゆっくりノブに手をかけ、音を立てないように扉を開ける。
そこにあるのは2つのベッドと、その上に盛り上がる2つの影だけだった。
(……なるほど、ダイニングと寝室が繋がっているのね)
歩み寄れば、そこに眠るのは、
先ほど救出されたと思われるエステルとシェラサードの姿だった。
2人とも疲れてか、ゆっくりと眠っている。
自分達を助けてくれた相手が殺人犯だと知ったら、この2人はどう思うのであろうか。
そう思うと、自然と胸が痛くなる。
特にエステルに関して言えば、これ以上危険な目に合わせたくなかっただけに辛くなる。
しかし本当に、どうしてここまで、自分はエステルに執着心を持っているのだろうか。
何度も問いかけ続けた疑問を、は未だに解けずにいた。
どうしたら回答が見つかるのであろうか。
やはり、彼女の裏事情も把握しなければいけないのであろうか。
(……駄目だ、今はそんなことを探っている場合じゃない)
首を左右に振り、周りをぐるりと見渡す。
特に変わったものはなく、ただの寝室だと分かるのに時間はかからなかった。
床を軽く蹴り、再び扉へ戻り、ダイニングルームへ戻る。
部屋はこの2つと、奥にもう1つ用意されている。
そこに、アイザック・バトラーがいるはずだ。
跳躍して、ダイニングテーブルの上でバウンドをしてから、反対側にある扉の目に止まる。
ドアノブに触れ、強く握り締めた、その時――。
何かを察知し、は思わず膝を曲げた。
頭上に刺さっているのは、1つのフォークだ。
銀で出来たそれの先は鋭く尖っていて、もしが膝を曲げていなければ、
頭に刺さっていたであろう。
すぐにその場に立ち上がると、そこには1人の男が新たなフォークとナイフを手にしていた。
灰色の髪に、引き締まった体をしており、小さな瞳孔の瞳を肉食めいたように輝いている。
それはまるで、先ほど画像プログラム「セフィリア」を襲った野犬に似ていた。
だとしたら、本来なら見えないの存在に気づいたのも分からなくはなかった。
(……つまり彼は、ラフマン卿と同じ長生種ってこと、か)
ポツリと呟くなり、は彼から遠ざかるかのように床を軽く蹴った。
それを追いかけるかのように、男の手にしている物が飛ばされ、壁に鋭く突き刺さっていく。
(ヴォルファー、一旦引くわよ!)
『了解、我が主よ』
逃げ回りながら、は転送プログラム「ヴォルファイ」に指示を送る。
それでも相手は、に向かって凶器と化した物を投げつけていく。
だがその手はすぐに止まった。人の気配が突然なくなったからだ。
「……………………」
男は黙ったままフォークをテーブルに置くと、先ほどが開けようとした扉へ向かって歩き始めた。
中へ入り、ゆっくり扉を閉めると、目の前に立っている男に向かって頭を下げた。
「御苦労、グテーリアン君」
ゆっくり振りかえった黒い目をした男の表情は、
どこか満足したかのように口に咥えていた煙草に火を灯した。
「君のお蔭で、いい情報が収集出来た。まさか彼女が、あの時の大佐殿だったとは、ね」
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